鷹の人4
いずれにせよ、魔道の遣い手というものは、どこか出世街道からは外れた、変わり者、という認識がないでもなかった。
そしてこの場に、魔道の知識を有し、精通しているといえるのは、ペレアス以外では実際に光の魔道を操るミカヤのみだろう。タウロニオやニケのそれは、知識としての域を越えまい。
「つまり、誓約書そのものが呪いが発動する触媒なんだ。誓約書があって始めて、呪いは成立する」
「逆に、誓約書さえこちらにあれば、呪いは発動しない、ということですかな」
「ああ」
捕捉するようなタウロニオに、ペレアスは頷いてみせる。すると、サザが、消極的な態度が常の彼にしては珍しく、言葉を挟んできた。
「それなら初めから、そうすれば……!どうして、それを」
俺にやらせてくれなかった。ベグニオンにはつてもあるのに。言葉を、サザは呑み込んだ。
そんな事を言えるサザではなかった。王宮を避け、ミカヤが総司令となってからも市井に活動の拠点を置くよう進言したのはサザだった。それは、どこか遠くへミカヤが行ってしまうのでは、という恐れからくる自衛だったのか。サザがペレアスを未だ信用していないのと同様に、ペレアスがサザを不信に思っていたとて、それは当たり前である。
「黙ってろ、サザ」
咎めるように、眉根を寄せたミカヤにかわって、ノイスが鋭くサザを牽制した。その男らしく彫りの深い目元の、太い眉の影にある灰色の瞳が、いつになく厳しいものを帯びている。
「…だが!ノイス!」
「王の言葉をお前はこの耳で、聞いていたのだろう。確証が持てなかったと」
ノイスとて、なぜサザが食ってかかるのかは理解していた。
サザは、彼なりに、力になりたかったのだ。ミカヤの為に。それでも、以前にくらべ格段の進歩をしているな、と、肩をふるわせている青年を見ながらノイスは思う。以前のサザならば、そもそも会話に加わろうとなどしなかったろう。
「十分な確証がなきゃ動けない。それが何故か。今のお前なら、わかるだろうが」
納得しきったわけではないだろうが、サザは一旦、その不満を腹に収める事にしたようだ。ノイスは小さく息を吐いた。
血の誓約が如何なるものかは、「草」やパルメニー神殿の諜報網をもってしても、掴みきれなかった。
それは、デインの製塩技術や鉄鋼技術などのように、他国には決して明かせぬ政治的な思惑があるのだろうということは、容易に想像がつく。あれほど他国を一方的に蹂躙出来る、理不尽とも言えるものなのだ。ましてあのベグニオンである。
ラグズ国家は言わずもがな、属国扱いをしているデイン、クリミアにそれを自ら明かすような真似をするとは思えない。代々元老院に属する一部の者のみに伝えられる知識、おそらくはそういった類いのものだ。
だが、行動に移れなかった決定的な理由は、そういったものではない。
「違う。違うんだ、ノイス。……確かに確証を持てず、持てなかったから、行動が出来なかった。そう言う言い方も、出来る、だが」
ノイスの気持ちは、素直に嬉しかった。ノイスという、一見粗野に見えるこの戦士は、だが解放軍時代から何かにつけ、ペレアスと接触を持ってきてくれた。イズカの妨害にも関わらず、年甲斐も無く瞳を輝かせながら、沢山の事を話してくれた。ミカヤ、タウロニオやフリーダとは違う意味で、長い間ペレアスを支えて続けてくれた男だ。
そんなノイスの信頼を、裏切る。
ノイスだけではない、ここに集う者、皆の、あれほど無様な態をなした己を、それでも信じると言い切ってくれた者たちの。
その思いは、ペレアスの口を重くするには十分だった。
先ほどまでの歯切れの良さは何処へか、口は何度も、言葉を紡ごうと足掻く。だが、意識は言葉は、音を伴って響く事がない。
だが、もう誰も助けてはくれない。
イズカはいない。
アムリタも、この場にはいない。
側近の青年も、タウロニオも、そのような時に余計な助け舟など、出さない。なんとなれば、彼らは臣下なのだ。そして、自分は、王だ。
臣下は、王に従うもの。それは、当たり前の事だった。
そして、ペレアスもまた、以前と同じ、臆病で意志の弱い、王という地位に安穏とただ座っていることに満足していられる、嘲笑されて当然の、笑い者の傀儡王などでは、なかった。
「………恐ろしかったのだ」
やっと出た言葉が喉を震えさせる事は、なかった。
「私の過ちが、ただ一つの、決定的な間違いが、我が民の命を、奪う、デインの民を、殺すということが…」
誰も、何も、いわない。ただ、八対の瞳は、じっと言葉を連ねる王に注がれている。
「ガドゥス公の言葉を、すぐさま、信じ込み、事の重大さに怯え」
存外に、胸中は穏やかだった。どこか、それを、過去のものと認識しているからなのか。とりかえしのつかぬ、だが、だからといって、それに囚われる事こそ愚かと、結論を自ら見つけられたからか。
「一人罪を抱え込み隠した…それが、……この事態を引き起こした、真の理由だ」
そこまで、ペレアスは決して俯かなかった。
以前の告白の時と、今とは違う。あの時のように、無様に取り乱している場合ではない。
真実など、告げずにすむのならば告げずともよい。虚構を重ね、ただ、己だけを騙し続ければよい。
だが生憎と、ペレアスはそのような事をするには弱すぎ、そして、実直すぎた。
「そのお陰で、死ななくてもいい兵士は死んだ!」
乱暴に卓を叩く音に、そして荒げられた声が、沈黙を破る。
サザはだが、その空気を醸し出している張本人であるがゆえ、激昂を抑えきれず言葉を次々と、吐き出した。
ミカヤが琥珀の瞳を見開き、弟の激しい表情を直視する。彼女としても、この、弟のような子のような青年が、このように激昂する場面など、ほぼ記憶していなかった。
「受けなくともいい被害を受けた、しなくてもいい戦もした…それも、全部、王、あんたの決断がなかったせいだろう…!」
なおも食い下がってくるサザを黙らせようと、反射的にノイスが口を開いた瞬間に、ペレアスは無言で素早く首を横に振る。
先ほどまでの、どこか怯えた様子はどこへやら、その表情の厳しさに、ノイスは結局、喉元まで競り上がって来た言葉を、腹の中に納めざるを得なかった。
「やっぱりな…結局、デインの不幸を招いたのは、破滅を招いたのは、あんた自身の弱さじゃないか…!」
「サザ、やめて…!」
口元に手をあてがい、首を左右に振って悲鳴のような声をあげるミカヤを無視し、サザは続ける。
「自分たちを慕う兵士が、望んで、笑いながら死んでく…絶望の中、ありもしない希望に縋って、死ぬ……それを眺める気持が、一体どんなものか。あんたは、前線に赴きもしない、だから、わからないんだろうな」
サザは、卓に両手を付いたまま俯いた姿勢で、ゆっくりと肩を揺らしていた。チラリと見えた、弟のあまりの暗い目に、ミカヤが一瞬、息を呑む。笑っていた。冷笑のようにも、自嘲のようにも、それは、見えた。
「一体ミカヤがどんな気持で、それを見たか、見ていたか」
誰も、サザの言葉を態度を咎める事はしない。