鷹の人5
そうでなくとも、神使サナキは自らを待ち望む民がため、道程を急いでいる。その強行軍は、結果としてベグニオン正規軍の武装を貧弱に、デイン軍の武装を強固にした。ベオク兵の中には、慣れぬ厳寒の中で疲労を重ね、体調を崩す者も出始めているという。
サナキの無謀なデイン横断強行における最大の失態とも言えるであろう、クリミアよりの補充兵及び補充物資の損失。この件に関してクリミア女王エリンシアは「兵卒達も納得ずくでの従軍でした」と事を荒立てる事はなかったが、おそらくクリミアに置いても帝国の威光は、かの国の復興を支援したという前提を含んでも、低下する事は必至だった。
容赦なく吹き付けてくる雪まじりの寒風、常に零度を下回る気温。慣れぬ地形、そして断続的に行われるデイン軍による奇襲。度重なる犠牲。
被害状況の報告を受けた時のセネリオの顔色は、その直前の大敗の報告を受けた時よりもさらに悪かった。まるで病人のようだった。
懸念の材料など山ほどある。「小さな軍師」の顔色が優れないのも無理はない。どころか、よくそれで戦場に立つと言ってのけた、と感心すらしてしまう。はっきりいってしまえば、最高司令官の希望は無茶と言ってよかった。回避出来る筈の戦闘を回避せず、だが、相手を滅ぼす事なくとは、流石に戦を知らない皇帝神使は言う事も違う。いずれにせよ、帝都シエネに辿り着くまで、セネリオは心休まるときなどはないだろう。ウルキは同情すら覚えそうになっていた。
ベオク、ラグズ両種族からなる皇帝軍の、全体としてのまとまりのなさは今更ではあるが、皇帝神使の無謀さもさることながら、指揮官にも問題はあった。
勢いに乗じて本陣に攻め上げ、大将首を打つ。確かに、指揮官アイクの猪突猛進な、作戦とも言えない、良い言い方をすれば信条めいているそれは、今まで幾たびも逆境を覆して来ている。勢いが皇帝軍側に圧倒的であり、そこに確固たる大義があり、行けると踏めばこれ以上有効な作戦はない。
だが、今回に限っては違う。皇帝軍そしてグレイル傭兵団はデインにとっては二度に渡る侵略者であるし、そもそも大義名分を持たない。「帝都に向かう為、通過したい」との要求を拒まれてしまえば、本来なら別の手段を考えねばならなかったのだ。だが、サナキはーー正確には彼女に仕える親衛隊長シグルーンが強硬にデイン王国内への「侵入」をすることを主張、選んでしまった。
アイクはそのような名目を嫌うのだが、いっそ神使に率いられている軍と言う名目を使い、これは「聖戦」である、と大々的に宣言してしまえば皇帝軍側にもある程度の大義を示す事は可能だった。
今回の戦に関しては、戦の発端は兎も角として、神使がデインと敵対することで宗教的対立、という要素も決して無視は出来なくなっている。
デインでは宗教的総本山ともいえるパルメニー神殿と、帝都シエネのマナイル大神殿との確執は有名だった。ただし双方、いずれもが、事を表立ち荒立たせる事を好まず、現在の祭司長でもあるトメナミも愚か者ではなかったから具体的な衝突は避けて来ていただけである。今回の神使の軽率な行動は、パルメニー神殿にまでも、対立敵対の口実を与えてしまっていたのだ。パルメニー神殿と現在のデイン王室は先代と比べ懇意であれば、それもまた想定してしかるべきである。
マナイル神殿と袂を分かって以来、その教義から祈り、服飾、神殿内における順列、儀礼式典の様式に至るまで、あらゆる要素を独自に取り決め、その通りに行っている。何しろ、デイン国内では女神アスタルテの像ですら、独自の表情をしているのだ。
中央集権の名目からひたすらに力を奪われ、押し込められていた先君の代とは違い、現ペレアス王政権の元では彼らは王に次ぐ強い権限を得る事に成功していた。それは先君が有力貴族を尽く誅殺し、政敵を滅ぼしつくしたという理由が大きいが、神殿にしてみれば二十数年辛苦を舐め尽くし耐えた対価と考えれば、決してその月日は無駄ではなかったといえる。
彼らにしてみれば、この王の信頼を真っ先に得る事こそ肝要であった。ゆえに、解放軍を旗揚げしたペレアスにいちはやく助力を申し出たのも、彼ら僧侶であった、最も、ベグニオン間者でもあったイズカにより、一時こそその寵を彼に奪われてはいたが、かの側近の謎の失踪が、パルメニー神殿の思惑を結果的に叶えていた。
現在ペレアスが重用しているのは軍事最高司令官でもあるタウロニオやマラド領主フリーダを除いてしまえば、ほとんどが貴族階級に属さない平民や彼らに由来する組織だ。それでも彼らは、パルメニー神殿に比べれば、神殿に対し牽制こそ可能なもののそのものの発言力や影響力は落ちる。
そのようにして、力を得たパルメニー神殿は、解放の英雄ミカヤの求心力までも利用した。
神使がデイン国境を越えた直後、本家マナイル神殿の神使サナキに対し、パルメニー神殿は暁の巫女ミカヤを擁した。
確かにミカヤの奇跡とも言える快進撃は、或いは女神のお告げを耳にした無名の女性が突如歴史の表舞台に躍り出たという事にしてしまえば、これほど効果的な事もあるまい。その事で、原因は横暴を働いた皇帝側にあるのだと暗に主張もしている。
民は救世主の到来に浮かれ、女神の加護は自分達にあるのだと思い込み、戦争の痛みを忘れる。すれば、彼らのうちから「聖戦」などという言葉も自ずと出てくる。もっとも、ミカヤは名目上、軍隊における最高司令的な立場にあったが、現実にはそうではない。彼女はよくも悪くも象徴的な存在であり、実は軍を動かしているのがタウロニオであることは、周知の事実であった。そしてミカヤその人も、己に司令官である天分がない事をよくよく承知し、あえてその地位にとどまりつづけている。
思惑は絡みながら、だがその彼らが、共通の敵を前に異様な結束を見せる。
少なくとも現状では、むしろ「聖戦」という言葉を使っているのが、神使に敵対しているデイン兵卒なのだというから、皇帝神使サナキの無謀の代償は、あまりに皮肉な結果を生んでいる。対するサナキ側とすれば、このように敵対する領内を通過しておきながらも、戦を避けたいと願い、自ら「聖戦」の旗を掲げるまでは踏み切れない。命の危機にあってもそうなのだというから、彼女の認識の甘さは推して知るべしではあるが、一方そうなってしまえば、デインと対立が決定的になってしまい、最終的にはデイン王の首を取り、パルメニー神殿の息の根を止めねばならなくなるだろう。だが、サナキはそれを望んではいない。
そのように、非常に矛盾する事情を内包しながら進撃するのであれば、それを担う参謀や指揮官は、それこそ情勢に対する慎重な心配りが必要であったし、当然だが行動もそれに伴うものが求められる。そもそも、ラグズの大軍を伴うならば、そのあたりの機微を読みつつも、巧い具合に彼らを扱わねば、あっという間にただの殺戮者、破壊者の集団になりかねないのだ。
それを、今までのように「正当性はこちら側に揺るぎなく、ゆえに眼前の、敵対するものを滅ぼす」理屈で罷り通ればどうなるか。デインークリミア戦役の折のデイン軍と、今回のデイン軍は、その質も性格もまるで異なっているのだ。そもそも正当性など皆無である。