鷹の人5
かの国を征服してしまう、などという野望を抱かぬわけでもないのだが、かといってそれは甚だしく現実味に欠ける妄想であることは、ティバーンとて承知の上だ。
では、かの国にフェニキスという国を対等な相手と認めさせるのはどうか。殊更過激な手段に訴えずとも、サナキならば聞く耳は持とう。
そのような思惑がティバーンにはあったが、事態は思わぬ方に転んでしまった。
だがそれも、考えようによってはまたとない機会が到来した、とも言える、現在のベグニオン帝国は、確かに元老院の軍隊は残ってはいても中央軍はこちら側にいる。純粋に兵力のみを考えたとして、軍配は皇帝側だ。
その状態で、セネリオの進言どおりにサナキを連れてティバーンが凱旋するとなれば、ティバーンは同時にサナキという強力なカードをその手中に握れる事になる。
サナキに、確実に恩を売る。そうすれば、ティバーンは、より覚えめでたき存在となるだろう。何より元老院は力を失いつつある。連中の要する部隊も、今ならば、化身したティバーンを討つ気概のある者などはいないだろう。今だから、出来るのではないか。
敵将らの会話を聞いたウルキによれば、デインの狙いは、神使と元老院を引き合わせない事だという。
なれば、いっそ、帝都に向かうより先にデイン国王の元に神使を伴い参じるのも一興だろうか。
本来なら、デインがラグズ国王でもあるティバーンが来訪をしようと、デイン国王が謁見を承諾する事はあるまい。
だが連中も手段を選んでなどいない現状を見れば、追いつめられている。神使その人は、権威があろうがなかろうが、現実的にはベグニオン帝国代表者といえる。その来訪という事ならば、流石にベグニオンに対し不愉快な感情しか持たぬデイン国王と言えど、会合を持つ気にもなろう。ティバーンは第三者として、そこに列席する。流石にこれならば、こそこそと動き回っているおそらくは元老院の間者どもとて、気がつきようもないだろう。そして気がついた所で、何も出来ない。
ラグズ国王がベオク二国間の会合に調停役として列席するなど前代未聞の珍事だが、デイン国王は当初、自国の反ラグズ感情をどうにかすべしと動いていたはず。それは、ライの配下でもある諜報員が伝えて来た情報だが、ティバーンとてあえて疑う気は起きなかった。ガリアは流石に地続きでベオク三国と隣接していれば、各国に間者を相当数紛れ込ませており、常に他国の情勢に目を光らせている。
出てこないというのならば、こちらから出向けばよい。一見した様子では、あの総司令官のミカヤという女性は、決して話の通じないタイプではない。なれば、彼女を説き伏せて王に謁見を頼めばよかろう。デイン王が暁の巫女に絶対的な信をおいている、という情報は、彼女のありえない出世の早さを見ていてもよくわかる。巫女などという神懸かった言葉を持ち出されるほど、なるほど俗な話好きの民草が語りたがる男女の交わりがかの主従にある、などという話はどこからも聞こえてはこない。不思議と言えば、不思議でもある。
ともかく乱暴な理論ではあるが、少なくとも大軍団を引き連れて領内を横断するよりは、神使が危険に晒される事はない。
なにより、メダリオンに対する懸念も、これならば考えなくとも済む。自国の益のみならず、これはベグニオンにとっても決して益のない事ではないだろう、ティバーンはそう踏んでいた。だが、流石にあけすけに全てを言うわけにはいかず、ゆえに「いっそデイン国王に神使を伴って行くか」という事のみを、まったく端的に言ってしまったため、シグルーンの猛烈な反対に合ってあえなく口を閉ざさざるを得なくなったのだ。
ティバーンという男は、思惑はともあれ、ベオクを隷属して然るべき弱者、という既存概念に囚われすぎるがゆえに、どうしても発言が乱暴になるところが唯一の欠点だと言える。
その同じ胸の内で、だがそれでいてベオクという種族に興味を抱き、接触を考えてもいる。それのみならば、偉大なる現ガリア国王カイネギスの思想に近いものもある。ガリアの戦士ライからすると、かのフェニキス王が不思議な存在に思えるのは、そういうところだった。
その、ガリア側の実質的な代表でもあるライは、そもそも反ラグズ思想に塗り固められたるデインという国に足を踏み入れる事自体に二の足を踏んでいた。
彼は、ラグズ勢の中で唯一と言っても良い頭脳派で、冷静だった、漠然としてはいるが、だがそれは直感が優れたる猫であればこそ感じる事が出来る、だが抜き差しならぬ危機感のようなもの。そのことをライは彼なりの言葉で説明し、肝心の大将スクリミルはといえば、頼れる側近やお気に入りの「小さな軍師」の提案を疑いを覚えるまでもない。
デイン軍に見つからぬように、などということはこの大軍混成軍ではまず不可能である。
それでどうしてもデイン領内を通過するというのならば、それなりの戦は覚悟しなければならない。だが、悪戯に戦線を拡大する事は、そもそもメダリオンの懸念がある。そういうことを、何故だかサナキやシグルーン、セネリオそしてアイクその人もまた、まるでそのような懸念などなかったのだ、という態度である。
その事を、ティバーンは自分はセリノス王家に並々ならぬ思いがあればこそか、と切り捨てるように納得していた。大陸を巻き込む戦がおきれば、メダリオンの邪神の復活し世界を滅ぼす、などと言われてもあまりにも非現実的すぎ、お伽噺めいていてティバーンはピンと来なかったのだが、病床にあるロライゼが何より恐れる事態でもあった。
それを抑える為に王家の三兄弟の負担が日々募っている。
となれば、己が戦の衝動を抑える苦痛など、如何ほどのものでもなかった。
「俺の雇い主は、皇帝だ。なら、その意に従うまでだ」
すべてを聞き終えた上で、アイクはただ一言、そう言った。
それですべては決した。
軍議の場を後にしたティバーンは、えもいわれぬ疲労に苛まれていた。
何故か今回あえてアイクやシグルーンを説き伏せよう、とは思えなかった。決定は決定である。戦える事を伝えれば、同朋は奮うであろうことも目に見えていたし、自らの中に疼く衝動は、鎌首をもたげ獲物をとせかしてくる。メダリオンやセリノス王家三兄弟。心地よい衝動と、王としての理性。その何れを選ぶのか。何れかを選べば何れかは滅ぶ。その突飛な思いは、だがどこか生々しくティバーンの思考を支配していた。
ティバーンは気がついていなかった。いや、気がつけないでいたのだ。
彼が、心地よい戦の衝動に殊の外駆られやすく、だからこそ衝動を抑えることに常ならぬ努力をせねばならぬ理由が、セリノス王家三兄弟に対する懸念だけではないのだ、ということに。
そういったものを誘うもの。
目に見えぬもの。それは、だが、確実に、あらゆる箇所を要素を侵蝕し始めている。
なるほど、現状ではデイン側の出方は足止めの為の域をまだ出てはいない。