楽園
黄金色の戦装束を纏い、静かに膝を折る武将とその背後に控えた鋼の巨躯を持つ武将。
居並ぶ臣下の筆頭に立ち、三成はその姿を横から眺める。幾度が競り合いを重ねた末にこの将が豊臣へと和睦を申し入れた時、三成には大した感慨もなかった。秀吉と半兵衛がそれを受け入れたことに対しても異論はない。三成はただ、天上の神にも等しい方々の命に従う、そのためだけに生きている。戦が殲滅で終わろうと和睦で終わろうと、新たな将が加わろうと、三成には何の影響もないはずだった。
しかし今、三成はほんの少しだけ乱れた心で秀吉に拝謁する将を眺めている。
それはおそらく、この若い将と背後の戦国最強と謳われる将を見つめ、秀吉の代わりに言葉を紡いでいる軍師の表情が常になく高揚を滲ませているからだった。
どう思った、と。
半兵衛は新たな将との謁見を終えたのち、退出しようとした三成を引き留めて尋ねた。すでにその広間からは覇王も、集められた家臣たちも、件の将も姿を消している。
半兵衛はやはり、満足げな微笑みを浮かべて三成を覗きこんでいる。三成は軍師に問われ、件の男の戦いぶりを反芻した。一度、間近で対峙した時に持った印象を思い出し、もうやめろと無様に喚いていた姿をも思い起こす。本多忠勝と共にありながら三成を仕留めきれなかった、手ぬるい将だ。
三成は正直に告げた。
「秀吉様と半兵衛様が気に掛けるに値する者とは思いません」
それがどんなものであれ、三成が半兵衛の選ぶ対応に関して否定的な意見を述べることは大層珍しい。その言葉に少し眼を丸くした軍師は、次にその眼を細めてくすりと笑みを零した。
「おや。……拗ねてるのかい?」
「は、半兵衛様……!」
途端に困惑と羞恥をない交ぜにした三成が強く名を呼ぶと、半兵衛は楽しげに唇を引き上げた。
「ふふ、冗談だよ」
「……申し訳ありません」
思わず声をあげてしまったことを恥じるように眼を伏せて、三成は半兵衛の言葉を待つ。
「うん、今のは冗談。でもね、彼らはとても“使える”んだよ。これは本当だ」
軍師は緩やかに笑みを浮かべた。
「御すにはいささか厄介な面もあるだろうけれどね……、ずっと、欲しかったんだ。戦国最強とその手綱の握り手がね。
見ておいで、三成君。これから豊臣はさらに力を増すだろう、そう、豊臣の――秀吉の時代だ。秀吉が日ノ本を統べる日は近いよ……!」
珍しいほど昂り、熱を帯びた態度の裏には天下取りのためのさらなる策謀が渦巻いているに違いない。だが三成にはそれを読み解く必要はなかった。三成はただ、同じ熱を込めた瞳でこの軍師の示す道を進むだけだ。
「もちろん君にも期待しているよ、三成君」
三成は高揚に潤んだ眼で軍師を見つめる。
「はい」
「おそらく君と彼には組んで貰うことも多くなる。……だから印象を聞いてみたんだけれど、ね?」
先程の反応を思い返してか、からかうような色を眼に浮かべた半兵衛に対し、三成はもう一度半兵衛様、と名を呼ぶしかなかった。
「徳川家康」
探していた将の後ろ姿を見つけ、三成は鋭く名を呼んだ。家臣に囲まれながら回廊を歩いていた家康は、不意に呼びとめられて振り返る。そして三成の姿を眼にすると、やや緊張と警戒を秘めた表情を浮かべながら丁寧に向き直った。三成が戦場で見せた冷酷な姿は、家康を警戒させるに充分なものだった。
「これは石田殿。改めてご挨拶申し上げる。某、徳川家や」
「挨拶などいらん」
さっさと切り捨てた三成の態度に対し、家康は表情を変えなかったものの周囲の徳川家臣がざわめいた。それを目線で制した家康は、再び三成へと視線を向ける。
「それでは、某に何か」
三成は自分を真正面から見据える将へと視線を返し、ふんと鼻を鳴らした。秀吉と半兵衛が期待を掛けているというのに、こちらを見つめる男には戦場で見せた覇気などひとかけらもない。単に人の好さそうな面をした他愛のない人間。
「いいか。半兵衛様は畏れ多くも貴様を認めておられる。それに相応しい働きを見せろ。反した場合は即刻斬り捨ててくれる」
唐突で無礼な物言いに、ざわりともう一度家康の背後に控えた家臣が不穏な気配を纏う。立場としては豊臣の重臣である三成に対し、新参者である徳川は弱い。それでも、従軍して早々にこれかと不満を持っているに違いない部下を宥めるため、家康は笑みを浮かべて力強く頷いた。
「ああ、承知した。秀吉公も眼を瞠るような働きを約束しよう」
しかし三成は依然として鋭い表情を和らげない。家康はわかりやすく困り顔になった。それは相手の油断を誘う、家康の身に染みついた対応のひとつだ。
「……信用してはもらえないだろうか?」
「言葉だけで信を得ようなどと厚かましい」
三成が表情と同じく鋭く言えば、家康はわずかに眼を見開いた後すぐに頷いた。
「なるほど、道理だ。では石田殿の信を得るに足るよう努めさせて頂く」
三成はその言葉を聞くと、やや間をあけた後に不愉快そうな表情のまま言った。
「……だが、貴様がどれだけ励もうが秀吉様の左腕は私だ」
三成は言い終えた後、眼の前の男があっけにとられたという顔で自分を見つめ返していることに気付いた。
「……何だその腑抜けた顔は」
三成がやはり不機嫌に問うも、慌てて表情を改めた家康からは、なぜかつい先程まで浮かべていた警戒と緊張が抜けているようだった。
「あ、いや。何と言うか、」
ワシが思っていた印象とは、少し違うようで……、
などとわけのわからないことをぼそぼそと答える将に対し、眉をひそめて睨みつけた三成は言うべきことは言ったという思いで身を翻した。別れの挨拶もないそっけない態度だ。家康は咎めずに、その後ろ姿を見ていた。ふ、とわずかに口の端から笑み混じりの息を零しながら。
家康が三成を見かけるたびに口出しをしてくるようになったのは、この対面の後すぐだった。
そうだ。
秀吉様と半兵衛様に期待を掛けられておきながら。
貴様は裏切った。誓った信頼を穢した。
信じろと初めに言ったのは貴様だ。
秀吉様、半兵衛様、刑部、――家康。
あそこに足りぬものなどひとつもなかった。神の御園に許された一匹の獣として、三成は充足と安らぎを手にしていた。
それなのに、
貴様は総てを置いて背を向けたのだな。
家康。