楽園
それでもその言葉だけは言うわけにはいかなかった。
「……慈悲じゃない」
家康は己の眼から滑り落ちた水滴が、三成の顔を覆う腕に落ちるのを見た。咄嗟に身を離し、それでも溢れる熱い雫を止められずにただ呻くように告げる。
「そんな、ものじゃない。……」
生きて罪を償えなどと言える立場にはない。それを言えるのは元親だけだ。家康が生かした理由はそんな高尚なものではない。慈悲という傲慢にすらなりきれない。
「……離してやれないんだ」
ただ生きて欲しかった。
手を放せなかっただけだ。
三成は、静かに腕を退けて傍らの男へ視線を向けた。その眼は家康と違いさらりと乾いている。もう涙を流すほど柔らかな芯を持ってはいない三成は、代わりに無様な姿を晒す男を見つめた。声もあげずに涙を流し、己の裾で拭う身勝手な男。
ただもうこの男だけが、三成自身ですら失くしてしまいそうなものを抱えて離さないのだと知った。
泣き顔を見るのすら初めてではない。
あの日、一人きりで何も与えず与えられずに生きていくのかと叫んだ時に家康が向けた顔。
――馬鹿馬鹿しい。
あの頃、幾度も眼の前の男へと与えていた言葉が不意に心の内へと湧き起こる。その言葉がどれほどの許容と情を含んでいたか、いまさらに知ってしまった三成はもう一度繰り返した。馬鹿馬鹿しい。
それでもなお与えようとする、この男も、長曾我部も。
刑部。
貴様も、私も。
「………貴様が憎い」
唐突に囁かれた言葉は静けさに満ちていた。家康は頷く。
「ああ」
「だが私は生きねばならない」
「……ああ」
「……忘れるな」
三成は宙を見つめて呟く。
「忘れるな。忘れるな、家康。……例え私が忘れても、貴様を憎んでいることを忘れるな」
三成の眼は静謐に澄んでいる。家康は言葉もなく、かつて共に背を預け合った日々に交わしたような透き通る声を聞いていた。
「今の私には要らぬもの、離せぬというなら総て持っていくがいい。よすがに成り果てた憎悪など、……貴様だけに与えてやるから」
あいしていると、言っているように聞こえる。
こんなものはただの欺瞞だ。
三成も、家康とてそれを知っている。
わかっていながらそれ以外に術を知らぬのだと自分を騙し、互いに演じた。
夜着の下から伸ばされた痩せた手がゆっくりと宙に浮く。家康はその掌を緩く掴み、白い手の甲へと額を押し当て、祈るように眼を閉じた。
「……ああ、貰っていく」