FAアニメ派生集
第十四話<虫の音と彼の声と>
「兄さん、鎧すごくきれいになったよ。ありがとう」
「ああ、いーってそんなの」
「まだ中に入らないの?」
「ああ、ちょっと涼んでく。さき入っててくれ」
「うん」
月が浮かぶ空を見上げて、師匠の家の庭でエドワードはひとり佇んでいた。
南部は湿気が多くて、空もなんとなく靄がかかっている。星はあまり見えなかった。遠くで虫がりりり、と鳴く音が聞こえてくる。
エドワードはその鳴き声に耳を澄ました。
グリードとの戦いで傷ついた額がじくじくと痛んで、集中できない。
(だけど…ちゃんと生きてる)
拳を握り締めて、生身の手と機械鎧の存在を確かめた。
大丈夫、まだ進める。
エドワードは空を見上げて、目を閉じた。
「エドワード」
突如、ふわ、と後ろから温かいものが身体を包んだ。
「えっ」
目を開こうとして、しかしすぐに瞼が何かで塞がれる。人の手だった。
「エドワード。目を開くな」
耳元で囁かれる。
何も見えない。
だけど…
その声を耳にするだけで、脳が反応するのだ。誰かなんてすぐにわかった。
全身に熱が駆け巡る。
ああ、なんて近くに
「大佐…」
戸惑うほどに切ない声が出た。ごくり、とのどが鳴る。
そう、この腕は、声は、彼に他ならない。
大佐。
「エドワード…」
ほら、こんなに甘い声で名前を呼ぶひとは他にはいない。
何度目かの名前を呼ばれた後、ぎゅ、と強くこの身を抱きしめられた。
この香り。大佐の身をいつも包んでいる甘い誘惑。
ああ
その声と香りだけで、全身の力が抜けるような気がする。
何か言いたいことがいっぱいあったのに、何も言葉にならなかった。
エドワードの身体を包んでいる腕も、背中に当たる胸板もただ熱くて。彼も何も言わなかった。
ただ、震えていて。それが気になった。
「どうしたんだよ…?」
ぎゅっと首に回されたその腕を自らの手で掴んだ。
大佐、何をそんなに怖がっている?
「エドワード…」
己の髪の毛に埋もれる彼の吐息。ほかに言葉を持たない人形のように、彼の口からは己の名前しか聞こえてこない。
「ああ、俺だよ。エドワードだ!どうしたんだよ、大佐…!」
背中から抱きしめられて、瞳をふさがれて、だから彼の顔が見えない。
こんなに近くにいるのに、遠い。
俺の声が届いていない。
どうしたんだよ……!
「中央へ…」
「え?」
そう呟きが耳に残って、そして温かい空気が瞬間に離れた。
「大佐!」
急いで振り返って叫んでも、そこに彼の影はどこにもなかった。
「エド。どうした?」
呆然と立ちすくむエドワードに、イズミが声をかけた。
「師匠…」
「疲れてるだろう。早く寝ろ」
庭に降りてきたイズミは、ぐしゃぐしゃとエドワードの頭をかき回した。
「はい…」
す、と目をそらしてエドワードはイズミの手の平の下で苦笑を浮かべた。
そう、こんなところに彼がいるはずないのに。いったいどうして彼の幻覚なんて見てしまったのだろう。
ぐ、と心臓の位置に手をやり握り締めた。
イズミはそんなエドワードの様子をじっと眺めた。
「エド。しばらく会わないうちに変わったな」
「師匠…」
エドワードは顔を上げた。
「少し…大人になったか」
しかしその言葉に、すぐに俯く。
「変わってませんよ…何も。馬鹿なことをして、アルを元にも戻してやれない」
「だが、何か大切なものができたんじゃないのか」
「…!」
「そういう表情をしている」
そう言われてエドワードの脳裏を駆け巡ったのは、ロイの面影だった。
じく、と先刻の温もりが肌によみがえる。
あの時確かに…その存在を身体で感じたのに。
そう真剣に考えて、かああっと顔に血が上った。ばれないようにエドワードはさり気なくイズミに背を向ける。
しばらく、沈黙がその場を制した。
虫の声が聞こえる。
「師匠、俺…」
ぽつ、と語りだしたエドワードの背中を、イズミはただ黙って見守っていた。
「母さんとアルがあんなことになった後…俺、ひとり逃げてたんです。
心を閉ざして、このまま死んでしまいたいと思っていた」
イズミは頷きも何もしない。エドワードも気にせず、ただ言葉を紡いだ。
「だけど、ある日いけすかない軍人が来た。責められて。怒られて…。閉ざして眠っていた心を、無理やり叩き起こされた」
すぅ、と息を吸い込む。
「前へ進めって」
大佐が、そう俺を導いてくれた。
「師匠」
エドワードは真っ直ぐイズミを見つめた。
「俺は、あの時 もう逃げないって決めたんです」
「エド…」
「帰りたい場所が…あるんです」
俺たちの家は、もうないけれど。
俺は…
彼の処へ
いつも変わらない表情で、声で、そこにいてくれる人がいるから。
偉そうで、出世頭で、いけすかないやつだけど。誰よりも強くて。
師匠、俺にとってあいつは大切なんです。
言葉には、とてもならなかった。
「そうか」
イズミは静かに微笑って。
それ以上は何も聞かなかった。
大佐。俺…帰るから。
だから負けるなよ。
一緒に、前に進んでやるから…