仮面舞踏会
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ぐったりとした身体をベッドの上に投げ出して、二人そろって情事の余韻に浸っていた。
久しぶりの満足感と充実感に、ビリーはつい昔を懐かしんでしまった。あの頃はよかったな、と。
ビリーがいつまでも懐旧をしていると、リアリストなグラハムは一足先に現実と向かい合い、ノロノロとした動作で起き上がっていた。
「もう行くのかい?」
「ドレスが皺になるから起きる」
「ああ」
そういう理由かと、ビリーも起き上がった。
グラハムはベッドの端に腰を下ろしたまま、ぼんやりと窓のほうを向いていた。そうやって大人しくしていると、深遠のお姫さまに見えるから面白い。
「お水でも持ってこようか?」
「──ああ、うん、頼む」
ベッドを降り、部屋に備え付けの冷蔵庫を開けて、ビリーは中を覗き込む。ミネラルウォーターの瓶を取って、コップに移し変えた。
「どうぞ、姫君」
恭しく差し出してやったら、グラハムは少し怒ったニュアンスを混ぜて苦笑していた。
「またからかって」
「ほら、今日の僕は君の騎士だから」
「あまり役に立たなかったけどな」
「それは言わないでよ」
クスクスと二人で笑いあう。ビリーはグラハムの隣に腰を下ろした。
しばらくはどちらも無言で、ただ二人だけの空間と時間の貴重さを噛みしめあった。本当に、次にこんな風に会えるときは、何時になるだろうか。
あまりにも違う過去と現在に、時の流れの無常さを感じずにはいられない。
ビリーはやっと、今日の舞踏会へ誘ってくれたおじに感謝することができた。飛び切りのサプライズも最高だった。
けれど、楽しい時間は必ず終わってしまうのだ。シンデレラ姫にもタイムアップがあったように。グラハムに掛けられた魔法も解ける。
「ねぇ、グラハム。まだ動ける体力は残っているかい?」
「──なんだ?」
ものによるという返答だった。
「ダンス、できないかなって思って」
ビリーの健全な申し出に、グラハムは軽く目を瞠り、その後で顎に手をやって考え込んだ。
「そうだな。せっかくステップも覚えたし、一度くらいは踊ってみたいと私も思っていた」
「じゃあ、決まりだね。ホールに行こうか」
軽く衣装を整えて、仮面を再び装着し、ビリーはグラハムをエスコートしながら先に立った。このスタンスもすっかり身についてしまった。
「しかし、急だな」
静々と階段を下りながら、グラハムが聞いてくる。彼は彼で、すっかり姫役が板についている。
「可愛い恋人を、皆に自慢したくなっちゃってね」
「なっ」
驚いたグラハムが階段を踏み外しそうになったのを、ビリーは慌てずに受け止めてやった。我ながら、今の動作は騎士っぽかったのではないだろうか。
グラハムの白皙の頬が朱色に染まる。転びそうになったことへの恥じらいか、それとも別の何かだろうか。ビリーは勝手に都合のいいほうを想像しておいた。
「な、何を言って……」
「お披露目するには、ホールでダンスを踊るのが一番かなって思ったんだよ。やっぱり嫌かい?」
疲れもあるだろうし、ビリーはグラハムが本気で嫌なら無理強いするつもりはなかった。
さらに顔を赤くしたグラハムは、視線を彷徨わせた後で下を向き、こう言ったのだ。
「き、君がどうしてもと言うなら」
彼が主導権を預けるなんて、本当に珍しい。
ビリーは可笑しくて笑いたくなったが、ここで笑ったらへそを曲げると思ったので堪えてみせた。
「うん。どうしても」
「なら、仕方ないな」
また手を取って、何事もなかったかのように階段を歩き出す。そんなグラハムのことを、ビリーはとても好きだなと思った。
ホールの中央で、一組の男女が踊っている。最初は大勢の輪の中にまぎれていただけなのに、今では彼らだけの独壇場となっていた。
「ビリーはダンスが上手かったんだねぇ。知らなかったよ」
ホーマーが隣の妻に話しかけると、彼女はどこか怒ったような口調でまくし立てた。
「当然よ。私が教えたんだもの」
「へぇ? 初耳だねそれは」
本当に聞いたことのない話だった。ホーマーは興味を持って続きを促してみた。
「いい歳になってもあの子ったらガールフレンドの一人もつれてこないじゃないの。私、心配になったから教えてあげたの、ダンスを」
彼女らの視線の先では、完璧なステップとその長身を生かした見栄えのよさで、女性たちの視線を釘付けにしている甥っ子の姿があった。
「ダンスパーティでダンスの上手い男子はモテるの。女の子が次から次へと寄ってくるのよ。だからそのうちガールフレンドの一人もつれてくるかと思ったのに。あの子ったらまったく生かさなかったよ!」
プリプリ怒っている妻に、ホーマーは苦笑する。
「ビリーは勉強一筋だったからな。まぁ、ほら、今ようやく君の努力が実ったじゃないか」
「遅すぎるわよ!」
しかも女の子じゃなくて男の子を釣っているし。まったく人生とはわからないものである。
「しかし、よくビリーにダンスなんか教えられたね」
本当に勉強ばかりで、興味のないものには見向きもしないような子供だったのだ。
「物は言い様よ。私の練習相手になって、って言ったの」
「ああ、なるほど。君は賢いね」
ホーマーは怒りが収まらない彼女を抱き寄せて宥めた。