仮面舞踏会
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「それで、そのまま見送ってしまったのかね?」
「見失ってしまったんです」
我ながら見苦しい言い訳だと、ビリーは自分で思う。けれどグラハムは強いし、実際にあの包囲網の中から見事に抜け出してみせた。そういう彼に対して、自分のできることなどほとんどない。むしろ彼に守られるほうが常だった。
「お前は、情けないと思わないのかね?」
「思っていますよ。でも、グラ……、彼女は強いですし、僕の助けなんかいらないでしょう?」
いつだって自力でなんとかしてしまえた。ビリーはモビルスーツのメンテナンスとカスタマイズは行ったけれど、それを操作するのは彼自身なのだ。
ビリーの発言に、ホーマーは少し厳しい視線を向けた。それを見て、やっぱり彼らはグラハムに甘くできていると思った。
「確かに『彼』は強いだろう。ガンダムもフラッグで倒してしまえるくらいには」
「……っ」
ビリーは少し息を飲んだ。四年前の出来事は、今でもあまり思い出したくないことである。時代は変わったのだと、ホーマーを初め人は口をそろえて言うけれど、ビリーにはよくわからないことだった。
忘れることなんかできない。だから必然的に変わることもできないのだ。
ホーマーは、ポンと肩に手をやった。
「だがな、ビリー。今ここにいるのは『彼女』だ。お前は彼女に対しても、君は強いから一人でなんとかしたまえと言うのかね?」
「そんなの、同一人物じゃないですか」
女装していようとも、中身はグラハム・エーカーである。ビリーの知る強さになんの変化があるというのだ。
ホーマーは小さく唸った。どうしたらその微妙な違いを、この甥っ子にわかってもらえるだろうか。こんなときこそ妻の助けが欲しいけれど、彼女は来賓と挨拶を交わしている真最中だ。
「お前、頭がいいんだから、もっと考えなさい」
「失礼ですね。答えならもう明白じゃないですか」
『彼』も『彼女』もグラハムだ。グラハムの強さはビリーがいちばんよく知っている。まったく何が間違っているというのか、具体的に言ってほしいものである。
「そうだな……」
ホーマーは諦めの混じったような、複雑な笑みを浮かべていた。その表情は少しビリーの癇に障る。
「今日、無理を言って女装してもらったのは、私が単純にそれを見たかったからだ」
「そんなことを言っていましたよ、彼女も」
ハハハ、とホーマーは面白そうに笑った。
「私は別に命令はしてないのだよ。あくまでも彼の自主性に任せたんだ。お前は、彼が引き受けた決定的な理由はなんだと思う?」
「──えっ?」
ビリーは答えに詰まった。グラハムの引き受けた理由なんて、彼に聞かなければわからない。それに、脅された自分と似たようなものだと言った、あれは嘘だったのだろうか。
でもグラハムが嘘をつくとは思えない。ではいったいなんだと記憶を蘇らせ、そういえばあの後で彼はこうも言わなかったかと思い出す。
『いや、それは半々くらいだからいい』
半々とは何を指すのか。もしかしてそれは答えでもあるのか。うーん、とビリーは悩んだ。
悩むビリーを見て、ホーマーはまた頭を抱えたくなった。自分に任された役割を、どうしてそこで思い出せないのか、まったくもって不可解である。
「ビリー。お前がもし演劇をするとしてだな」
「──いきなりなんです?」
「もしもの話だ。お前だったら騎士の役と姫君の役、どちらをやりたいと思う?」
ビリーはポカンと、おじを見つめてしまった。
「その二択しかないんですか?」
「そうだ」
「──そりゃあ、騎士でしょう。だれが好き好んで姫役なんか……」
あれ? と何かが引っかかった。そういえばそんな人物がごく身近に一人いなかったか。
ホーマーの手がまたポンポンと、今度は二回、ビリーの肩を叩いた。
「姫君は相手が誰でも構わないわけではないんだよ。お前の知っている『彼女』はそんなに図太い神経の持ち主かね?」
ビリーの中の符合が、ようやくピッタリと合致した。
グラハムはどこに行ったのだろうと、焦り始めたところでタイミングよくおばが現れた。
「あなたたち、背が高いから見つけやすいわね」
「おばさん、グ……、彼女見ませんでしたか?」
ビリーの珍しくやや焦った様子に、ホーマー妻は意外そうに首をかしげた。頼りない騎士様にお灸を据えてやろうと思ったのに、この分ならもう必要がなさそうである。残念だわと思いながら、念のために駄目押ししておいた。
「もう一人にしない?」
「しません」
「そう」
ホーマー妻はニッコリと微笑んだ。
「彼女はあそこよ。二階の露台で休んでいるわ。ビリー、お水を持っていってあげて。だいぶ疲れているみたいだから」
「わかりました!」
人ごみを縫うように駆け出していく甥っ子の後姿に、ホーマー夫婦はそろって唇の端を上げた。
「あなたが発破をかけたのかしら?」
「男の心得を少し授けただけだよ」
「そうね、それがあの子の一番足りない部分ですものね」
夫婦は互いに見つめあってから、人目も憚らずにしばらく抱擁を続けた。
自由時間は今日の舞踏会が終わるまで。だから、お互い悔いのないよう過ごしてほしかったのだ。