レールの上で、キス。
頬
真っ白い肌に走る一筋の赤に、思わず指を伸ばすと驚いたような顔がこちらを向いた。
右の頬に、前から後ろへと通りすぎるように引かれた細い傷は、深手というわけではなさそうだが、ラビの指を汚した後も、じわじわとその太さを増していっている。
やや強引にその顎を捕らえ、上を向かせて、マフラーの端で拭うと、痛かったのか、細い眉がひそめられた。
「たいした傷じゃないですよ」
「だーめさ。アクマの血の弾丸の傷、だろ?」
「僕は寄生型ですから」
「だからって、過信は禁物……ってか、ふつーに手当はしないとだろ。黴菌入るぜ」
「マフラーで拭く人に言われても……」
「細かいことは、いいんさぁ」
少しうるさそうな顔をしながら抵抗するでもない年下の少年を見て、ラビはため息をつく。
たいしたことはないと、大概の人間ならそう言うであろう、一筋の傷。アクマとの戦闘でついたものとは言え、恐らく三日もすればきれいに治るだろうそれが、ちくりと刺さるように、ラビに痛みをもたらす。
圧迫したせいか、血の止まりかけた傷を、親指でなぞってみた。
「あのさ、アレン……別に、俺とか、庇わなくても、大丈夫だからな」
向けられた、アクマの銃口。装填された弾丸は、アクマの血(ウイルス)が入った致死性のもの、当たれば確かに、身にイノセンスを宿しているわけでもないラビは、ひとたまりもないけれど。
仮にも、アクマと戦うエクソシストたる身。そう簡単に食らったりは、しない。
それなのに、この少年は。
「だって、ラビ」
「庇われて、そんで、アレンに怪我なんかされたら、俺、立場ないさあ」
襲い来る弾丸の前に、己が対アクマ武器たる鉄槌をかざそうとする、その寸前。白と黒の痩躯が飛び込んできた。白く硬質に輝く左腕のイノセンスで全ての弾丸を弾き、お返しとばかりにひと息でアクマを屠った。
アレンの頬には、弾きそこねた弾丸のかすった痕が、一本、はっきりと。
白い頬に一瞬浮かんだ、アクマの五芒星(ペンタクル)。すぐに中和され、消えさたとは言え、本来なら死を表すその光景が、忘れられない。
もちろん、アレン自身は、自分にアクマのウイルスが効かないことをわかっていての行動なのだろうが、心臓に悪いことに変わりない。
「でも、ラビ。僕だって、ラビや他のみんなが怪我するなんて、嫌ですから」
「いやそれ、俺の台詞さ。おにーさんは、ちゃんと自分で躱すなりなんなり出来るから。な?」
「年上ぶるの、止めてくださいよ。僕のほうが安全に対処出来るんですから、僕がやるほうが効率的だと思いますが」
「そーゆー問題じゃ、ないさ」
「それ以外の、どんな問題ですか。というか、いいですか? ラビ」
ぐい、とアレンが伸ばした両手に顔を掴まれて合わされた目は、ぎくりとするほど強く、濃い色に輝いていた。
ほんの少し低い位置から、怒ったような顔をして覗きこんでくるその表情に、ラビは目が離せなくなる。
「そうやって、ラビが僕のことを気遣ってくれるのは、正直、嬉しいですよ。でも、みんながアクマのウイルスにやられるなんて、絶対に願い下げですから。僕だって、ラビやみんなを守りたいです」
異論など聞かない、と言い切った言葉に、二、三度目をしばたき。気がつくと、口唇に笑みが浮かんでいた。
わずかに紅潮した頬が幼く見え、そのくせ、絶対に退かない決意を浮かべた銀の瞳だけが、静かに大人びている。
(そっか)
決して背伸びをするわけでなく、ごく当然のように、守りたいのだと。
同じ立ち位置にいることを主張されて、思わず苦笑してしまう。
例え年下でも。対等な仲間だと、思い知らされて。
ほんの少し、顔を掴むアレンの手の力が緩んだ隙に、少しだけ、身を屈める。
右の頬に走る傷痕、アレンがラビを守りたいと思ってくれた間違いのない証拠を、ぺろりと甜めると、乾きかけた血が舌の上で溶けて、鉄の鋭く冷たい味がした。
「うわっ」
「守ってくれて、さんきゅ。アレン」
「……何で甜めるんですか。びっくりする」
「んー、消毒?」
驚いて、さらに頬を染める白い顔は、さっきまでの大人びた色を消し去って、また、年相応の幼さに戻っている。
(まあ、でも、やっぱり)
指先についていた血を目の前で舐め取り、ラビはにやりと笑ってみせた。
「次は俺が守ってやるさ。アレン」
02/頬
作品名:レールの上で、キス。 作家名:物体もじ。