スピアソング
若い男の声。面の隙間から微かに見える、肌の色とは違う赤い皮膚。
ルイスは自分の機体であるレグナントのことを言われているのも関わらず、ミスター・ブシドーの顔ばかりを見ていた。面をつけているので、目と口元しかわからないが。こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてだった。女性兵士たちの間では、やれ何処ぞの御曹司だとか、やれ三国時代のエースパイロットであるとか、まことしやかに噂されていた。興味が無いのでルイスはその手の話に口を出すことはなかったが、自然と耳に入っていた。
ルイスの視線にふ、と笑ってミスター・ブシドーが口を開いた。
「顔が気になるかね」
あまりにも不躾すぎただろうか。恥ずかしさに赤面しながら、「いいえ」とルイスは答えた。
「醜いぞ。君のようなお嬢さんに、見せるようなものではないのだが。それを言えばこの面も同じか。気になっていたのだろう。何、減る物ではない」
そう言うと、何でもないことのようにミスター・ブシドーは仮面を外した。顔を隠すための面ではない、ということなのだろうか。
「あ」
硬質な面が外されると、声同様、若い男の顔がそこにあった。だが顔面の右側を覆う酷い火傷の跡。引き攣る赤い肉。その火傷が首から下にも広がっているだろうことは想像に難くない。失礼だと思いながらも、ルイスは彼の顔から目をそらすことができなかった。ミスター・ブシドーはルイスの大きな瞳に見つめられて、眩しそうに目を細める。
「言っただろう、ひどく醜いと」
「…ガンダム、ですね」
「あぁ、そうだ」
そこには美しい鬼がいた。
たしかに異形の面をつけた姿も、MS戦での鬼にも勝るほどの功績も、卓越したMSセンスも、奇妙な言動も、ミスター・ブシドーを表す要因のひとつではあったが。ルイスの目の前には、怪しげなぎらぎらとした光をはらんだ瞳を持つ美しい鬼がいたのだ。
同じだ。数年前、日本に留学していた時に美術館で見た、異形の者と。もしかして、この瞳を隠すために、わざと面をつけていたのかもしれない。
再び面を着けようとしたミスター・ブシドーの手を、ルイスは引きとめた。
「私とて軍人です。目をそむけるようなことは、いたしません」
そうだ。このアロウズの制服に腕を通したときから、刺し違えてでもガンダムに復讐すると決めたのだ。仇を討つために。パパと、ママと、その他大勢の私の大事な人たちと、私を大事にしてくれた人たちの。
「その火傷は、治せないのですか」
「治さないのさ。わざとな。皮下まで広がっているというから、完全には治らないようだが。治療を行えば今よりよほどましな顔になると、医者は言うな」
ルイスの失ったはずの左腕が疼いた。ガンダムの持つ特殊なGN粒子のせいで再生不可能になった左腕が。今は機械の義手が付いているために痛みなど感じないはずの、左腕が。ちりちりとした痛みを感じてルイスは顔をしかめた。
痛みに耐えるような様子のルイスを見下ろして、ミスター・ブシドーは口を開いた。
「ガンダムに恨みがあるものは君だけではない」
アロウズ兵士は一部を除いて七割が志願兵だ。もちろん志願したからといって全員採用されるわけではない。優秀なMSパイロット、指揮官、戦術予報士、メカニックマン、オペレーター等々。その誰もがガンダムに何かしらの恨みを持つものばかりである。
「私のように傷を負った者も多いだろう。私もかけがえのない同胞を失った。恩師も、失った。友人も…変わってしまった。また君のように家族を失ったものも多いだろう。友達、恋人。あるいはもっと大きな…そうだな、故郷や国であるとか」
大好きなパパ、ママ。そして誰よりも大事だった、沙慈。しかし沙慈はソレスタル・ビーイングの一員だったのだ。あろうことか、あのガンダムの所属する組織の。メールも、写真も、沙慈に関するものは全て処分した。それでもなお沙慈に対する思いを捨てきれないでいる自分自身を、ルイスは苦々しく感じていた。甘えてはならない。縋ってはならない。突き放さねばならない。それは最も汚してはならない、たった一つの宝物であってほしかったもの。もう、無理かもしれないけれど。
様々な想いが込み上げて、目を潤ませて見上げるルイスを知ってか知らずか、ミスター・ブシドーは優しく語りかけた。
「ワンマンアーミーを気取る私が言うことではないのはわかっているが、アロウズは同志だよ。誰もが見えない傷を負っている。そしてここアロウズに集い、自分のできる仕事を行っている。私はMSにしか乗る事が出来ないから、パイロットをしている」
ガンダムに対する恨みを抱えながら、統一世界を、平和を勝ち取るために、それらを手に入れるための礎となるように。同じ思いを持っているからこそ、同じ制服に身を包むことが出来るのだ。そのためには非道と言われる行為を行うことも、致し方ないのだとルイスは思った。非人道的であると批判されることも覚悟の上だ。その覚悟があるからこそ、アロウズの象徴である三本の矢を背負うことができるのだ。ガンダムの存在しない、平和な世界へ人々を導くための、三本の矢を。
「私たちは君と同じ、仲間だよ。私たちは同じ強さを持っている。信頼していい」
「…ジニン大尉」
頭によぎったのは、まだMSでの実践に慣れていなかったルイスを指導してくれたジニン大尉の顔だった。その彼もガンダムとの戦いで、亡くした。
「ジニン…。あぁ、君のいた小隊の隊長だったな。惜しい人物だった。分別のある、良くできた人だった」
「知っているのですか」
「もちろん。知らぬものなど、いない」
それはジニンのことを知らぬものがいないのか、それとも、ミスター・ブシドーが知らぬアロウズ兵士がいないのか、どちらだろうか。おそらく後者だろう。彼はライセンサーであり、通常の兵士とは違う、特別な権限が与えられているに違いなかったからだ。アロウズの司令官であるホーマー・カタギリとも近しいと聞く。思えば、一介の准尉であるルイスの顔を彼が知っているのは不自然だった。
「君のような娘を前線に立たせる私たちを、どうか許して欲しい。早く終わりにしなければな」
「ミスター」
「それともう一つ。君の乗る機体…。レグナントは気をつけたほうがいい。何か、得体のしれない力を感じる。上手くは言えないが。飲み込まれるような、何か」
レグナントからルイスに視線を移して、ミスター・ブシドーは問い詰めるように言った。
「それは、『君』か?」
「ミスター…?」
言い終えるとルイスに背を向けて、ミスター・ブシドーは手にしていた面を着け直した。今だ静かな寝息を立てるレグナントの前にルイスを残し、彼は格納庫の奥へと姿を消した。
* * *
カツカツと高い軍靴の音を鳴らしてキャットウォークを歩き、格納庫に置かれたスサノヲの前にミスター・ブシドーは立った。