Alf Laylar wa Laylah
マースの視線はロイに向いていた。それで、エドも、先ほどの相棒という呼びかけが誰に向けられたものかを理解した。理解すれば、大きな目を見開くだけだ。
指環のジンがイフリートの相棒のわけはない。イフリートの相棒なら冒険王その人しかいない。
しかし、指環のジンの名前は冒険王の名前と同じだった。冒険王は人間だったはずだが、…はずだが? 同じ名前にはやはり意味があったということだろうか。
「どういう…ことだ」
『賭けは俺の勝ちってことなんじゃねえか?』
いひひ、と笑ってマースはロイに指先を突きつけた。賭け? と首を捻るエドに説明はないが、とりあえず今は黙っておくことにして傍観を続ける。
『憶えてんだろ? 俺は種をまくって言ったんだ、おまえの前にきっと現われるようにってな』
ロイは目を瞠ってマースを凝視していた。その顔には驚きばかりがある。なんだか何となく面白くなくて、エドは口を尖らせる。
「…だが、おまえ、その体…、その指環は…」
ロイははっと目を見開き、エドの手を唐突に捕まえた。わ、と声を上げたエドに構わず、その指におさまった指環を、今マースの体が繋がっているその石を怖いくらい真剣に見つめる。
『そ、これも賭けだったけどな、よかったぜ〜、実際、こいつが来てくれるのがもう少し遅かったら俺も消えちまってたかもしれないしなあ』
「…え、ちょっと、おっさん、どういうことだよ?」
さすがに聞き捨てならなくて口を挟んだら、ロイが溜息をついた。頭をぐしゃぐしゃとかきまわすのは困惑しているのだということを伝えていた。やはり、ジンといっても結構わかりやすいのかもしれないとエドは改めて思った。
「…その指環は私がこいつにくれてやったんだ。属性が合わなかったし、護符くらいにはなるからな。それ自体魔力のある石だ。私の力も多少は溜めていたんだろうが…」
『そう、あの指環だ。いいか、エド、よく聞いてくれ。俺はな、おまえが王様って呼んでくれた、なんとそのご当人なんだな〜!』
エドは…半目になってふたりのジンを見つめた。その後おもむろに頬をつねる。残念ながら痛かった。
『おいおい、信じてくれよなー。って、まあ信じられないのも無理はねえけどさ。とにかくだな、石の魔力とこいつの残した魔力のおかげで、俺、死ぬ間際にジンになったんだな』
「…そんな、」
「馬鹿なことを」
エドは「そんなことありえない」と言おうとしたのだが、後を継ぐような形で挟まれたロイの台詞は違った。彼は人間がジンになれるということを否定しなかった。今度は、少年は具現化したイフリートを凝視する。
「…できるのか?! そんなことが!」
「…不可能ではない。大体、今目の前に実例がいるじゃないか」
「だって、…人間が?」
「手段はある。ただ、知られてはいないし、試そうとする者はもっといない。…そして成功例は、私の知る限り、今目の前にいるこいつだけだ」
ロイはじろりとマースを睨んだ。マースはといえば、おお、おっかねえ、と嘯いてエドの頭の脇まで後退する。
『ま、そう怒りなさんな。成功したんだからいいじゃねえか。おまえはイフリートの割に固いんだよ、頭が』
「余計な世話だ、まったく」
ロイは苛々と溜息をついたが、さほど怒ってないようにも思えた。なんだか身の置き所に困って、いやどうしてオレがそんなこと思わなくちゃいけないんだ、とエドは頭を切り替える。大体、つい今、ロイはエドに名を渡して契約終了だと言ったのだ。場の主導権はエドにあってもいいはずだった。
しかし、再びマースが口を開いた。
『…でも、やってみた甲斐はあったぜ。おまえんとこにこいつが来るのを見届けられたからな』
ロイは目を瞠って沈黙した。エドは眉根を寄せる。いまひとつ彼らの会話がよくわからない。
『エド』
「なんだよ、おっさん」
『俺は実はそろそろ限界なんだ』
「…え?」
『それから、このあたりも限界だったな、ほっといたらほんとに活火山になっちまってたかもしれねえ』
ロイは面白くなさそうな顔をした。自分が責められていると感じたらしい。だがそれは正解だ。
『何百年か待ってみて、おまえの気持ちも少しはわかったつもりだ』
「……」
マースはロイに向かって目を細めた。ロイは何も言わない。
『でもな、置いてかれんだったら元気なうちに別れた方がいいって思ったのは、俺も同じなんだ』
ロイはわずかに目を揺らしたが、やはり何も言わなかった。エドもまた黙って聞いていた。
置いていかれるのが嫌だったんだろう――それはエドも思ったこと。
『俺は人間だった。あの頃はまだ若かったし、不安はあんましなかったよ。でもな、俺がおまえよりずっと早く年とっちまうことを知ってた。そんで、年取った人間がどんだけ何も出来なくなって、弱くなって、馬鹿なことに手ぇ出しちまうかも知ってたんだよ』
「…何が言いたいんだ」
『おまえさんにはわかんねえだろうなあ、こればっかりは…』
マースは頭をかいて苦笑した。
『いいか? 俺があのままおまえとずっといたとして、王様になった俺が戦争やらなんやらにおまえの力を使わなかった保障は全然ねえんだよ』
「戦争? おまえが? 馬鹿馬鹿しい」
ロイはマースの言葉を一蹴したが、エドにはマースの言わんとしていることがよくわかった。人間の歴史とは欲望の双子の兄弟だ。
「王様が使おうとしなくても、回りの連中や、民は…オレ達はきっとあてにする。戦争だけじゃない、自然災害だって、商売だって、何にだってきっとそれをあてにするようになる」
エドは床を睨みながら拳を固めて硬い声で付け足した。マースはそんな小さな頭を撫でたいようなそぶりを見せる。実体のない彼には、本当には無理だったけれど。
「そして、駄目になる。なんでもしてもらって、何にもしなくなる。考えなくなる。傲慢になる。あって当たり前になる。…そうなったら人間はおしまいだ」
「…だったら、なぜ私と行こうなんて思ったんだ」
イフリートの言い分は尤もな物だった。そこまでわかっているなら、冒険なんてしなければいい、イフリートの魔力など最初から求めなければいいのだと。
「でも、それも人間だから」
「…?」
『少年よ大志を抱け、ってね』
顔を上げてきっぱりと言った少年を励ますように、マースが胸を張って口を開いた。
『人間はちっぽけで、だけど夢だけは見る。でっかい夢だ。出来ないことの方が多いから、夢は多いぞ。おまえと反対だ』
「夢?」
「…オレは錬金術師なんだ」
迷うように、エドは口を開いた。
「錬金術師…ああ、そんな連中もいたな」
「あんた達ジンみたいな魔法は使えない。でも、普通の人間から見たら魔法みたいに見えるらしい」
「…そうだろうな」
ロイはエドの言葉を待ってくれるようだった。黒い、吸い込まれそうな瞳が、それで、と続きを促していた。
「だから、王様の言うことはわかる。オレだって、あのまま街にいたら、都に連れて行かれてたと思う」
『は?』
これにはマースも驚いたらしい。確かに、彼に話す機会はなかった。
作品名:Alf Laylar wa Laylah 作家名:スサ