Alf Laylar wa Laylah
エドの体にはロイの印がついている。契約の証だが、あのように印として体に顕れる例はあまりない。それだけエドの魔力が強いということと、魂の結びつきが強いということを示していた。たまにいるのだ、ジンと番のような運命を持って生まれてくる人間が。あの子供は、きっとそうなのだろう。だからマースの時には顕れなかった印がああやって顕れた。同じように儀式を済ませても、マースの時には焔は彼の中に消えてしまい、これといった目に見える証は顕れなかったのだ。
「…エドワード」
彼の名を呼ぶ。彼は確かに王都にいる。もう、すぐ近くにいるはずだった。だが視えない。
出会って、一緒にいたのは本当に短い時間だった。それなのにたくさんの表情を見た。眠っていた数百年の何倍も色鮮やかで濃密な時間だった。
――出てこい、臆病もんで甘ったれの寂しがりイフリート!
そう叫んで、彼は幼い手で護符を引きちぎり、強引に封印を解いたのだ。最初に見つけたとき、あまりの眩しさに何事かと思った。あれは彼の色彩だったのだ。身にまとう髪の色、瞳の色、それだけではなく、もっと本質的なもの、自分の世界に近い部分で、彼はきっと、魂までも黄金で出来ているのだろう。朽ちることのない光。だから眩しく感じたのだ。
「確かに、賭けは私の負けだ、マース」
ロイは晴れやかな気持ちで呟いた。おまえの前に現われる、自信たっぷりに言ったあの友人の言葉は正しかったのだと今改めて思った。彼のまいた種は芽吹いて、あの少年がロイの元にやってきた。封印を解いて、もう一度世界を見ろと連れ出した。笑顔と希望を、彼はくれたのだ。それなのに、無敵のイフリートがこんな場所で落ち込んでいていいわけがない。主を奪われるだなんて、屈辱もいいところ。このまま負けているわけにはいかないのだ。
ロイは捜査方法をやや強引なものに切り替えることにした。
つまり、当たって砕けろ、とばかり、結界の強い場所のひとつひとつを潰していくことにしたのである。
まさか兄が後宮に軟禁されているとは露知らずのアルが都の近くまでやってきたのは、奇しくもロイが都への潜入を決めた頃のことだった。
「ほんとに明日出るのか? もう一日休んだ方がいいんじゃないか」
ジャンの背に乗り千里を翔けたアルには疲労が濃かった。本来なら、半年はかかってしかるべき道程なのだ。強行軍にも程があった。
ジャンはジンらしく疲れを感じていなかったが、こんなとき瞬間移動が出来るジンだったなら、と疲労で発熱した少年にしょんぼりした声を出したものだ。
「ボク、結構頑丈だから、一晩寝れば大丈夫だと思うんだ」
アルは赤い顔をしながら、それでも元気にそう言った。宿代は巡検使の腕輪のおかげでチャラになっている。部屋に狼を連れ込めるのも特権の証だった。ちなみに、リザも鷹の姿で椅子の背にとまっている。
「でもよお…」
「そんな情けない声出さないでよ。ジャンさん、ボクより何百年も大人なんだから」
くすくすと笑う少年は、こんなときでも大物だった。
「…リザさん」
不意に涼しい風を感じ、少年は風上を見た。そこには白い鷹がいた。リザが、風を送っているのだと直感で理解した。彼女は何しろあの火災さえ風で勢いを弱めたのだ、微風を起こすくらい造作もないのだろう。
「ね、話、聞かせてくれないかな」
「話?」
「そ。ふたりは知り合いなんでしょ? 王様のジンだったの?」
ジャンはリザと顔を見合わせた。鷹は頷いて――それから、人の姿に変わった。リザさん、相変わらずお綺麗で、とジャンが言うのを、リザはちらりと見ただけで無視した。そういった部分から、彼らの関係はなんとなく察せられるものがある。
「長く話すならこちらの方が話しやすいわね、きっと」
彼女は微かに笑みらしきものを浮かべると、白い手でアルの額をそっと撫でてくれた。氷のように冷たい手は、しかし今は心地よいものだった。
「私たちは、ある方の眷属なのよ」
「…王様のジン? ええと…イフリート…」
リザは明るい色の瞳を軽く瞠った後、そうね、と頷いた。
「ジャンはマースについていった。腕輪に封じて、彼の子供達の護りとなるためにね」
「…えっ…、ていうことは、ボクって、王様の子孫になるわけ?」
アルは目を瞠った。冒険王がアルの街の出身だったことは知っていたが、まさかそんなことがあるなんて…。
「いや、それはちょっと違うんだが。ええとな、あの人は、後宮を作らなかったんだけどさ」
ジャンは狼の姿のまま、床に寝そべって話を続けた。彼にはこの姿が楽らしい。
「それは読んだことがあるけど…」
「だから子供は娘がひとり。後は、王族の誰かが継いだ。だからさ、俺はその姫さんにくっついて、あの街にいった、ってわけ」
「それが、…母さんのご先祖様?」
「いや、それがさ。その姫さんの子孫が大病を患ったことがあってな、その時にアルのご先祖さんが助けてくれたんだな。旅の医者かなんかでな。それで、感謝の印にって俺を渡したわけだ。おまえは、その医者の子孫。ロックベルみたいに医師の家系が親戚だってのも、その辺があるんだな」
アルは「そうなんだ…」と呟いて一瞬沈黙した。
「でも、それじゃ王様の子孫を守ることにならなくない?」
「まあなあ、でも主の主の…なんだ、何になるのかわかんねえけど、その当面の主であるとこの姫さんの子孫が俺をくれてやるってんだからしょうがない。それに、その医者は街に留まってくれたからな。子孫と離れるわけじゃなかったし」
「じゃあ、あの街にまだ王様の子孫がいるってこと?」
「いるぜえ、一応、俺があそこを離れる時に俺の眷属つけといたから、なんかあればすぐにわかるし」
そうしてジャンが告げた名前にアルは軽く息を呑んだ。それは、エドとアルの兄弟が師事した「主婦」だったからだ。
「…それは…あんまり守るとか、いらないかもね…師匠はジンより確実に強いよ…」
だよなあ、とジャンは屈託なく笑った。彼が腕輪の石に封印されても、周囲の変化をずっと視ていたのだということを、アルはそれで本当に信じた。それにしても、ジンというのは、アルが思っていたより随分と義理堅い性格を有しているらしい。
そして、ジャンの話が一段落したのを待って、リザがゆっくりと自分の話を始めた。
「そして私は、主について、主の封印を護る役目を負った」
「封印を護る?」
「ええ、そうよ。おかしな人間にやってこられても困るし、他のジンの手に渡っても厄介だもの」
「ああ、そうだよね…すごい魔法をたくさん知ってたんだもんね、昔話でも」
それが不心得者の手に渡っては一大事、というリザの言葉は納得できるものだった。だが、血は争えないというべきか、アルもまた好奇心旺盛な少年だった。
「でも、封印を解いたら誰でも契約できるものなの?」
そうでなかったとしたら、本人で対応できることなのではないだろうか。アルはそう思った。そしてリザは答える、そうではないな、と。
「だったら、そんなに警戒しなくても…」
「でも、封印されていることは本当だったのよ。封印されている状態では力も限られるから、護る必要はあったの。それにどの道、私もその役目がないと退屈でしょうがなかったと思うわ」
作品名:Alf Laylar wa Laylah 作家名:スサ