Alf Laylar wa Laylah
「私はてっきり…」
「え? う、うわぁっ…」
ロイはひょいっと軽くエドを抱きあげた。そして、予告なく唇を奪う。エドはあまりのことに頭が真っ白になった。
「似合ってるよ」
「え、あ、は、はぁっ?!」
くすくす笑いながら、ロイは調子に乗ったようにエドに口付けてくる。そして言うのだ。
「私を喜ばすためにそんな恰好をしていたのかと思ったじゃないか」
「よ、喜ばすって…! あ、あんた、ばっかじゃないのか…?!」
大体なんでオレが女のかっこして喜ぶんだよ、ばか、とエドはきいきいわめくが、相手は全く聞いていない。笑いながら口付けを何度も繰り返すだけだ。
「ちょっ、こら、やめろってば…!」
エドはもがいてもがいてどうにかロイの腕から逃れようとしたが、変にバランスを崩して落ちそうになり、逆に自分からしがみついてしまう。ほっと息をついたところで、相手のにやにや笑いに気づき、いたたまれない気持ちになった。
だが真っ赤になってうつむいた少年にそれ以上無体をする気もなかったらしく、ロイは今度は静かに下におろしてくれた。そして、声の調子を改める。
「ここはクセルクセス。かつて、金の魔法使い…、最初の錬金術師がいた街だ」
「…最初の錬金術師?」
エドは目を丸くした。そんな話は聞いたことがない。ロイは、ゆっくりと口を開いた。ただ、大きな遺跡があると聞いたことがあった。エドが行きたいと思ったのもそれが理由で、錬金術師がいたという話は今まで知らなかった。しかし、長寿のイフリートが言うならそれは嘘ではないのだろう。
「ヴァン・ホーエンハイム。男はそういう名前だった」
「…え?」
エドの顔色が変わる。とてつもなく聞き覚えのある名前ではないだろうか、それは。
「知り合いか? 髪や目が似ているから、子孫かとは思ったが」
「…オヤジだ」
「…なに?」
ロイも今度は眉をひそめた。それはつじつまが合わない。
「だから。オレのオヤジだ、…名前が一緒なだけかもしれないけど」
むしろそうであってくれとエドは願った。しかし、イフリートは「そうだな」とは頷いてくれなかった。
「…そういうことか、…どうりで、魔力が強いのも道理だ」
「なんの話?」
ロイは少し考えるような顔をして、それから話し出した。
「まだこの街が遺跡ではなくて、人が住んでいた頃の話だ。ここには錬金術師がいて、…ああ、ややこしいが、名前は一緒だが、彼は真実錬金術師というものではなかったと思う。魔導師だ」
「…どっちでもいいよ、この際。で、そこにオヤジがいたって?」
「ああ。助手をしていた。私はその頃暇つぶしにこの辺に降り立って街を見ていた」
「…あんた達って…ほんとに暇なんだな」
「まあな」
嫌味も通じないのか、とエドは顔をしかめたが、口にはしなかった。それよりも話の続きが気になったのだ。
「面白い男だったぞ。私を見ても逃げるどころか、本当にジンはいたんだなどといって、あろうことか髪や血をくれとまで言い出した」
エドは頭を抱えた。我が父ながら…恐ろしい。それと血縁だというのだから、自分の行く末も少し恐ろしい。もしもそれを身内に話したなら、今さらだよと呆れられるのだろうが、エドもそこまではわからない。
「さすがにそんなものをくれてやるわけにいかなかったんだが…大体、ジンの血は人の血とは違う。人の世に留め置こうとしても無理がある」
じゃあ何もやらなかったんだ、とエドは安心しかけたが、まだ油断するべきではなかったのだ。
「だから、力の結晶をやった」
「…はい?」
少年は零れおちんばかりに目を見開いて、絶句した。今何と言ったのか、この大馬鹿イフリート。
「それを基に、ホーエンハイムは賢者の石を作り上げた。だから、最初の錬金術師。敬意を表して、ジンからも金の魔法使いと呼ばれるようになった」
「…けんじゃの、いし…」
エドは頭を殴られた気分になった。なんということだ、身近にそんな大物がいたなんて。というよりアレがそんな大層なものだったなんて…!
がっくりと膝をついた少年を、どうした?、なんて不思議そうにのぞきこむイフリートが憎い。もう少し彼は後先を考えてほしいと思った。だが。
「エド。顔をあげてくれ」
つまらないじゃないか、とむくれたような声を出されたら、そうそうエドの意地も長続きはしない。
「…ばかやろう」
顔をあげ、それでも精一杯の意地で口をとがらせれば、相手はまったく通じていないらしく、嬉しげに目を細めた。
そして。
「………っ」
あっという間に腰を抱き寄せられ、再び口付けられていた。閉じられたまぶたの近さに焦ってぎゅっと目を閉じる。そうしたらまるで、それを読んでいたかのように相手が薄目を開いたのだけれど、頭が真っ白になっているエドにはそんなことはわからない。舌をからめとられれば、あまりのことに悲鳴をあげた。ただし、喉奥のそれが声を得て外に飛び出すことはなかったけれど。
息苦しくて必死で目の前の何かに縋る。ロイは、エドの訴えを守って、しっかりと上にも衣服を身につけてくれているようだった。意外と律義な男なのだ。彼という男は。
白い長い衣はあちこち煤けていたけれど、それでも後宮の女が着るのにふさわしく、美しい値打ちものだった。その上に、口付けを浅く繰り返しながらエドはゆっくり横たえられる。そのことに気がついたのは、見上げる姿勢で黒い目を見た瞬間だ。息苦しくてぼんやりしている間に、そんな体勢に持ち込まれていた。
頭をとろかせるようなそんな口付けにも、勿論そんな体勢にもエドは経験がなくて、どうしたものかとただ途方に暮れる。なんとなく逃げなければいけないような気もしたが、もうその時機は逸していた。
「エド」
頬を撫でる指が心地よくて、くすりと笑ってしまった。機嫌よさそうな顔に男は破顔する。また唇が重ねられた。
「…っ、」
しかし服の下、素肌にまで触れられては笑ってもいられない。驚いて目を揺らせば、口付けでごまかされる。ごまかすな、と言おうとした唇も塞がれる。人間と交わることのないはずのジンがどこでこんな手管を覚えてきたのかは謎だが、翻弄されるばかりのエドにそれを問い詰めるなんていう考えが浮かぶはずもない。
「…大丈夫だ。…もう離さないから」
いつしかしがみつくように腕を回していたらしい。笑って、あやすように言われた。だがそれは、今だけのことを言っているわけでもないように感じられた。数日前にエドがさらわれてしまったことも含んでいるのだろうし、恐らくはこれから先のことも暗示しているのではないかと。
「…うん」
目を閉じて、力を抜く。こんな外で、昼の明るい時間から何を、なんていう常識的なことが考えられるようになるのには、まだ時間が必要だった。
作品名:Alf Laylar wa Laylah 作家名:スサ