ティル・ナ・ノグ
「だからぁ、大佐はあれだ、文献ほしいときに取り寄せてもらうだろ、あとオレがあちこちぶっ壊した時とかに始末書を書かせやがったりするし…どっかいくとレポート書けとか…茶のもうとか誘うけどあいつに借り作るのはこれ以上なしにしたいしいったことないし」
「…ぶっ壊すって、…エド、普段一体何してるんだ」
「別に。たまたま壊れるタイミングの時にそこにいるだけだって」
ロイはエドワードと今日知り合ったばかりだが、これは嘘だな、と直感的に覚った。
「まったく…、なんで大佐のことなんか思い出さなきゃいけないんだよ、あいつ嫌味いうしち…言っちゃなんないことを言うし! ああもう、やめやめ! あいつのことはもう言うな!」
エドワードは自分で言っていて途中から怒り出した。忙しいな、とロイは思ったが、鋭い彼は気づいてしまった。少女が、口では文句ばかり言っているがその大佐に甘えている節があることにだ。
「わかったよ、言わない」
降参、と両手を上げたらようやくエドワードは納得してくれたらしい。それで、とまた問いかけてきた。結構しつこいな、と思いながらも、今度はロイも、さきほど話しかけようとした話題を口に上らせる。
「家付き妖精っての知らないか?」
「また妖精…」
「いや、そうじゃなくて、何か本で読んだんだ。錬金術書では確かになかったけど。…なんだよその顔、信じてないだろ」
「はいはい」
「おい、誰が話せって言ったんだ」
「オレ。…わかった、悪かったって」
「まあ、いいけど。それでさ、セントラルじゃ一時古い家がすごいブームになったことがあって」
「古い家? なんで? 新しい方がいいんじゃないのか、長持ちするっていうか」
木材にも石材にも鋼材にも寿命ってもんがあるだろ、とエドワードは現実的過ぎることを口にした。しかしロイは続ける。
「それはそうなんだけど、そうじゃなくて…その、いわくつきの家が売れたんだ、一時、すごく」
「…いわくつきって」
エドワードの顔からさっと血の気がひいた。さきほどまでのことを思い起こしてみても、どうやらこの少女は怪談の類があまり得意ではないらしい。
「だから、まあ、出る、とか…」
「でっ…出るって! な、なにがっ!?」
ロイは顔をしかめて耳を押さえた。だが少女はいよいよ落ち着きをなくしていた。ロイは立ち上がり、エドワードの膝から本を取り上げると、よしよし、とその金髪の小さな頭を撫でる。
「なっ、おい、なにしてんだよっ! 縮んだらおまえどうすんだ!」
「縮まないだろう、いくらなんでも」
何を言ってるんだ、とばかり呆れて溜息をつけば、でも何が起こるかわからないし、と口を尖らせている。だが逃げないのだから怖がっているのは確かだ。演技には見えないから本当に苦手なのだろう。そういうところは案外少女めいてもいる。
元々エドワードはこの肝試しにあまり乗り気ではなかった。それが、書斎という空間、本に囲まれているという状況により一時払拭されていた。だが、ロイの話で忘れていた居心地の悪さを思い出したというところだろうか。
失敗したかな、とロイは思ったが、今さら言わなかったことには出来ない。かわりに全く違うことを口にした。
「もし縮んだら責任は取るよ」
「はっ? 責任? どうしてくれるっていうんだよ、背を伸ばしてくれるのか? 言っとくけど上げ底ならもう履いてるんだからな! 別の考えろよな!」
少女は噛み付くように並べ立てる。おかしくなってロイは笑った。
「何言ってるんだ、男が責任をとるっていったらひとつしかないじゃないか」
エドワードは不審げな顔でロイをまじまじと見た。
対して、ロイは満面の笑みを浮かべて口にする。
「何なら何かに誓おうか?」
「…オレは別にそういうのはいらない。忙しいんで他を当たってくれ」
「他って、ひどいじゃないか」
「ひどくない! 大体そっちの方がひどい、そ、そういうことは、会っていきなり言うもんじゃないんだぞ? 姉さんたちはそういうのは教えてくれなかったのか?」
お姉さんぶった物言いは逆に幼さを感じさせて、ロイは顔をそらして笑った。
「笑ってんじゃねえよ!」
「姉さんたちならこう言うに決まってる」
「なんて」
「好きな子が出来たらぼやぼやしてるんじゃないって」
「…………はっ?!」
エドワードはぽかんと口を開けた。なんだか理解不能なことを言われた。
「まあ、それはまた改めて。それよりさっきの話だ」
「〜〜〜〜っ…」
「聞いてるか?」
「き、聞いてるよっ! なんだよ、さっきのって、どれだよ? 古い家が売れてるって話か?」
頬を上気させている少女にちらりと笑いながら、ロイは結局元の話に話題を戻した。
「家付き妖精って、その家に住んでる家族のために何かしてくれるっていうものらしい」
「なんだそれ…夜寝てる間に小人さんが洗い物片付けてくれたらいいのになー、みたいな感じか?」
「まあ…そんなところなんじゃないか?」
「なんだそれ、そんな都合いいのあるわけないだろ」
「そりゃそうだけど、だからほしがる奴がいるんだろ?」
「にしたってさあ…」
「でも、この家って正にそれじゃないのか」
「――………」
エドワードの顔からさあっと血の気が引いた。やはり怖がりだ。しかも、単純なものが怖いらしい。
「あ、」
「だ、騙されないぞもう!」
ロイが軽く目を瞠ってエドワードの背後を指差したら、屋敷に入って最初の頃のやりとりを思い出したのだろう、エドワードはほとんど叫ぶ勢いで声を上げた。
「や、今度はほんとに」
しかしロイは自分が見ているものから目をそらすことが出来ず、ほんの少し上ずった声で否定した。エドワードはといえば、椅子から転げ落ちるようにロイに近づいて、その腕を掴んだ上で恐る恐る後ろを振り向いた。
怖いもののないエドワードだが、こういう不可解なものには案外弱い。記憶にないくらい昔に相当脅かされでもしたのかもしれない。そしてそういうことをしそうな人物なら周りにいくらでもいた。あれで案外母親も平気で子供を怖がらせたりしていた気がする。
「…な、…なにあれ…」
自分の腕を掴む少女の腕をそっと押さえながら、ロイは立ち上がった。そして、彼女を背中に回すようにしながら、それに近づく。
「ちょ、ちょっと…だ、だいじょぶなのかよ…」
「さあ」
ロイは正直に答えた。だが、実際大丈夫だと思ったから手を伸ばしている。
――ふたりの視線の先には、先ほどまでなかったドアがあった。
そこだけ見るなら普通のドアなのだが、しかしさきほどまでなかったものがあるというのは十分におかしい。しかしおかしいこと続きで少々麻痺している少年は、特に気負いもなく近づき、押してみる。エドワードも置き去りにされるのが嫌でその背中についていく。
「開い、」
た、まで言い切ることは、ロイには出来なかった。