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ティル・ナ・ノグ

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「…っ」
 朝食をとり、剃刀をあて、ジャケットを手に取った時、地面が揺れた。地震かとも思ったが、そんなことは勿論なかった。
 そして、気がついたら、緑の草原の上に放り投げられていた。ロイの自宅の周辺にはそんなところはなかったし、…それ以前に、街中にはとてもではないがありえない光景だった。のどかで、美しくて。
 彼はぽかんとしたままに立ち上がり、はるかに広がる農村風景を眺める。どこかで見たことがある、と考えて、はっとした。
 見たことはある。季節は少し違うのだけれど。
「…リゼンブール…」
 ざあっと風が吹いた。そしてロイは、丘の上に立つ一軒家を緊張の面持ちで仰ぎ見たのだ。

 ほとんど引かれるようにしてロイはそちらへゆっくりと歩いていった。そこに突っ立っていても邪魔だというのもあった。
 近づいていくと、赤ん坊の泣く声が聞こえた。ロイの足はあっさりと止まる。
「離しなさい!」
 続いて聞こえてきた声に、今度は眉根が寄った。赤ん坊が泣くのはわかる。だが鋭い調子で発せられた若い女性(恐らくは母親なのだろう)の台詞は不穏だった。誰に何を命じているのだろうか――
「…?!」
 しかし、ロイの疑問はすぐに解決した。そして、今度は起こっている問題を解決すべく動いた。
 家の窓から飛び出してきたのは大きな犬で、それは、赤ん坊を口に咥えていた。咥えられた赤ん坊は火がついたように泣いている。後ろから少し遅れて若い女性が飛び出してくる。
 ロイは落ち着いた足取りで犬の進路を塞いだ。犬は、警戒の唸りを上げる。おくるみが犬の唾液で汚れていく。ロイは冷静だった――冷静に、怒っていた。ここはリゼンブールで、あの日副官と訪れた家だ。飛び出してきた女性に見覚えはない、ということは、恐らく彼女があの二人の母親なのだろう。
 犬にさらわれたのは――エドワードなのだろう。
 勝負は一瞬だった。
 ロイを足蹴にして飛び越えていこうとした犬は、人間が繰り出した足に腹から掬われ、バランスを崩して宙に浮いた。その間に拳が口の脇にねじ込まれ、牙が緩んだ瞬間に、おくるみごと赤ん坊は人間に奪われる。
 そうして人質を奪還すれば、人間にはさらに容赦がなかった。犬をもう一度蹴り上げて、唸りを上げていたそれが、きゃうん、と情けない、哀れっぽい声を上げるのを聞いても収めようとはしなかったのだ。
 だが。
「もう、いいです、もういいですから!」
 女性の声がはっとロイに意識を撮り戻させた。赤ん坊の泣き声はとまっていたが、しゃくりあげるのは先ほどよりよほど苦しそうだった。
 女性はロイからそうっと赤ん坊を取り上げると、抱きしめて揺らしながら、何度も口付けを繰り返した。それは祝福と言う言葉を、不思議とロイに連想させたのだった。

 トリシャ・エルリック、女性はそう名乗った。
「この子はエド。男の子みたいな名前だけど、女の子なのよ」
 彼女は、今はすやすやと寝ている赤ん坊をどこの誰とも知れない、けれども娘の危機を助けてくれた男に見せた。
「…なぜ、男の名前で?」
「妖精に連れて行かれないように。私が祖母から聞いた話」
 若い母親は楽しげに言った。ロイは首をひねる。
 エドワードは「母親が妖精と約束したから男として育てられたと言っていた。だがなんとなく今のところの感じだとそういうことでもなさそうな気がする。まあ、どれだけ普通に見えても「あの」鋼の錬金術師とその弟の母親だ。恐らく中身は大物なのだろう、色々な意味で。 
「知らないかしら? 名前をとられても、男の子だと思ったのに女の子だと、妖精は連れていくことが出来ないのよ」
「連れていくというと…どこへ?」
「常若の国(ティル・ナ・ノグ)」
 女性は少女めいた顔で悪戯っぽく笑った。顔立ちは似ていないのに、そうした表情はエドワードにも似た所があって、あ、と思う。
「妖精は悪戯好きで子供が好きなの。この子は父親に似てどこもかしこも金色でしょ? きっと好かれてしまうと思ったのよ」
「………」
 ロイはそっと眠る赤ん坊を覗き込んだ。目で尋ねて許可を得てから、そっとちいさな手を握る。ふわりとやわらかく、溶けてしまいそうだった。それくらいに小さな、やわらかな命。
 ふと、手を握られたことで浅い眠りが破られたのか、赤ん坊は目を開けた。まだ薄い髪の毛は蜂蜜のような金色をしているが、瞳はもっとすごかった。まるで純金を溶かしこんだような、圧倒的な色。
「…確かに、その通りかもしれない」
 男は母親の言にそうっと頷いて、赤ん坊に目を細め笑いかけた。この子がやがて歩む辛い道のりを思い、けれどそれに負けることなくはねのける強さを持つことに深い感慨を抱きながら、彼は心で呼びかける。エドワード、と、名前を呼び掛ける。
「そうでしょう?」
「ええ。…できれば、育てる時も女の子ではなく、男の子として育ててはもらえませんか」
 男は顔を上げた。その黒い、吸い込まれそうな瞳に母親は何かを見る。運命や宿命、そういった言葉から連想されるもの。何か目には見えない不思議なものを。
「『この子には将来災いが降りかかるでしょう。それは、残念ながらなくすことは出来ないけれど減らすことは出来る』」
 ロイはまじめな顔で言った。女性は怒りだすことなく、見も知らぬ、だが何かを感じさせる男の言うことを静かに聞いていた。
「私も、この子を守ります。けれど、それだけではきっとたらない。だから、この子を男の子として、強く育ててください」
 彼女の旅路を改めてロイは思う。自分が示した道ではあった。手の届く限り守る覚悟もあった。何しろあの少年の日から、彼の中でエドワードは特別だったのだ。しかし人の手には限りがあり、ロイも常にエドワードのことをかばえるわけではない。
 ――それでも本当は少し迷った。女の子として育っていたら、あんなことはしなかったのではないか――、と。だがその考えはすぐに否定した。そんなことはない。恐らくそういったものを変えることはできないのだ。その後の歴史が大幅に変わってしまう。時間は目に見えないけれども確かに存在している。最後には必ずそうなる出来事、というのがあるだろう。エドワードの人体練成はそうした事柄に属している気がした。
 もちろんそこに、そうやって変わってしまったら出会うことはないだろう、という恐れもあった。出会いたいと願っているロイがいる。損なうことなく、あのままのエドワードと。だから母親への頼みはこれが限度だった。
 トリシャはじっとロイを見ていた。しかしやがて、ふっと笑い、悪戯を企む子供の顔をする。
「わかったわ、約束する。そう、あなたが妖精ね」
「…え?」
「予言は魔女か妖精が人間にするの、昔話はいつもそう。あなたはこの子の先を知っているのね。それなら妖精なんでしょう、魔女には見えないしね」
 言わなくていいのよ、とトリシャは笑い、エドワードを抱き直した。
「守ってくれると言ったの、忘れないで。言っておくけど母親は強いのよ、約束を守らなかったら妖精だって許さないんだから」
 人差し指を突き付けられて、ロイは呆気にとられた後苦笑した。
「誓います、この子の瞳に」
「あらあら、妖精って結構きざなのね」
作品名:ティル・ナ・ノグ 作家名:スサ