永遠に失われしもの 第13章
無垢のマホガニー材を切り出して、
猫足用に精密に加工され、
オリーブ色を基調としたコブラン織の布
をあしらったソファに、
漆黒の執事は、シエルを横たえる。
「失礼致します」
そしてセバスチャンは、ゆっくりと
シエルを包み込んでいた
鮮血色の天幕をはがし、
身体に傷がないか、確認する。
容易に砕けてしまいそうな、
小さな肘と膝の裏には、注射跡の生々しい
青黒い痣が浮かび上がっている。
小さく細く尖ったその顎に、
そっと手を添えて、
シエルの顔を傾けさせると、
滑らかな曲線を描く首筋の頚動脈上にも、
また同じような痣が浮かんでいる。
弛緩しきった、細すぎるほどの、
その腕と足の先には、
見るからに彼には重過ぎる無骨な金属の枷
とそれに繋がれた鎖がかけられていた。
漆黒の執事の甘く優しげな紅茶色の瞳は、
しばしの間、その枷と鎖に止まり、
やがて、軽く一つ吐息をつくと、
白い手袋をするっと抜いて、
顕になった黒い爪で枷をはじこうとするが
彼は、そこで止めてしまう。
「ご命令がなくては--ね」
セバスチャンは、青白い手で、
シエルの綿毛のように、
軽く柔らかい髪をいじる。
その仕草は起こそうとしているかの様
にも見えるし、
また幼子を寝かしつけようとするかの様
にも見えた。
--我が主の心はここにない。
闇の中に置き去りにしてしまったのか、
名も無き空間を宛てもなく漂っているのか
彼の最後の命令と同時に、
その身の中の薬剤が
彼のあらゆる知覚を
彼から奪い去ってしまったのか--
「また、
人形になってしまわれて--」
シエルの髪から頬、
額から鼻筋を細い指でなぞりながら、
セバスチャンが囁きかける。
実際セバスチャンにとって、
シエルといた時間の大半、
時を彼がシエルと共に翻り旅した
その188年の間中、185年は、シエルは
永久に腐り落ちることのない死体のように
人形のようであったのだ。
しかし喩え、意識が無かろうが、
魂が抜かれていようが、
シエルは彼の主なのだ。
--昔は、その魂を喰らうまで。
今は、永久に --
その間何年間もセバスチャンは、
まるで意識があるときの
シエルに対するのと同じく、
朝着替えさせ、歯磨きをし、
椅子に座らせ、側に仕え、
話しかけ、夜は寝間着に着替えさせ、
寝かしつけるかの様に、
彼に本を読んで聞かせたのである。
彼をトランクに詰め、
荷物のように持ち抱えて、
旅に出たその日まで。
人はそれを限りない忠誠心の故だと
いうかもしれない。
また、限りない恋慕だとも。
だが少なくとも、
セバスチャン自身にとっては、それは、
限りない魂への執着だと考えていた。
「誰かに魂を奪われたわけではないので、
今回の方が、はるかにまし--です」
--たとえそれが、
永遠に手に入らないものだとしても--
「眠っている貴方は、本当に可愛らしい」
--私だけの事でしたら、
このまま主の意識の帰還を待ちながら、
私は何千年でも過ごすことができましょう
私の生の尽きる、そのときまで--
だが、セバスチャンは、
シエルの命を受けている。
彼が魔剣を手に入れ、自らの手で、
その生を全うするのが望みなら、
それを叶うべく、動かなくてはならない。
真に不可能だと知っていても。
--ですから、今回はどうあっても
貴方にお目覚め頂かないと--
作品名:永遠に失われしもの 第13章 作家名:くろ