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tricolore-2 (side柚木)

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 第三セレクションでの火原の演奏を聴いたとき、柚木は、本番直前の控室で見せた火原の表情を思い出していた。
 火原は彼が宣言した通り、最高の演奏をした。
 あの場所にいた大勢が、その場面に立ち会った。
 勇敢で壮麗な行進曲は、極彩色の風景を目の前に描き出し、誰もがその華やかな彩に心を奪われ、沸き立った。だが、鮮やかな色の渦の中で、はるか頭上に広がる青空の存在を感じた瞬間、柚木はハッと胸を突かれるような切なさを覚えた。
 火原は始まりの一歩を踏み出したのだ。
 嬉しいのか悲しいのか、それとも腹立たしいのか、柚木自身にも自分の感情の在り処がわからなかった。ただ、どうしようもなく胸が詰まった。晴れやかな行進曲を聴きながらふいに涙がこぼれそうになるなど意味がわからなかったが、不思議と爽やかさばかりが残る切なさに、これも悪くないのかと思えた。
 火原の演奏が終わった直後、すっと席を立つ姿が視界の隅に入った。会場全体が火原の演奏に興奮して拍手を送る中、その小さな影を見咎めた者は果たしてどれほどいたのか。
――――日野………?
 演奏順が近いため、そろそろ準備のために舞台袖に向かったのだと他の者は思ったのだろう。だが柚木には、拍手する間もなく足早に去っていく少女の後ろ姿に、いつもと違う何かがはっきりと映って見えた。
 気づいたときには、後を追いかけていた。
 走り出してから、自分は何をやっているのだろうかと我に返ったけれど、追いついて香穂子の腕を強引に掴んだ瞬間、はっと振り返ったその顔を見て、柚木は無意識に香穂子の肩を抱き寄せていた。
――――……本当に、何をやっているんだろうな。
 香穂子の眼からあふれる涙を見た途端、柚木の中でも、抱えていた何かがあふれた。
 これは自分の涙だ、と思った。柄にもない感傷的な思考だったが、その直感を柚木は疑わなかった。困惑する香穂子へ、胸元に挿した自分のハンカチを手渡した。
「こするなよ」
 声を潜めて耳打ちすると、香穂子はハンカチを受け取り、無言でこくりと頷いた。それを見て、柚木はやさしく微笑んだ。
「――――良い子だ」
 ハンカチを手に握りしめた香穂子が、ハッとしたように眼を瞠った。まだ睫毛のふちには涙の粒が残っていたけれど、香穂子はまっすぐな躊躇いのない眼差しで柚木を見上げた。
 そう言えばこんな距離から互いの顔を見るのは初めてのことだな、と今さらのように思いながら、柚木は香穂子の目尻の涙を、そっと人差し指の先で拭ってやった。
「さぁ、行っておいで」
 軽く背中を押すと、香穂子はそのまま廊下の向こうへと、振り返らずに駆けていった。柚木はその後ろ姿が消えるまで見送ると、ゆっくり息を吐き出し、廊下の壁に肩を預け、少しの間、目を閉じた。
 目蓋の裏に、先ほどの香穂子の涙がよみがえる。
――――お前には、あの演奏を聴いて、どんな風景が見えた?
 いつか、そんな風に訊ねてみたい、と柚木は思った。いつになるのかはわからないが、きっとあの青空も、無心な涙も、その日まで褪せることはないだろうという気がした。
 第三セレクションの結果は、火原と柚木の周囲を俄かに騒がしくした。例によって仕事熱心な報道部の天羽には、写真撮影やらインタビューやら、色々と協力を求められた。当然ながら優勝者である火原にも依頼がかかったのだが、写真一枚撮るにしても、いつものような笑顔が出てこない。もとから愛想のない月森や土浦ならいざ知らず、いつも笑顔の絶えない火原のこの様子には、カメラを構えた天羽もすっかり困ってしまったようだった。
「う〜ん……、まだちょっとお疲れみたいですね。また日を改めてお願いしてもいいですか?」
 これ以上は無理だと観念したのか、そう言って笑った天羽に、火原は申し訳なさそうに、ごめんね、と何度も謝っていた。
 見かねて何があったのかと訊ねたけれど、火原はただ「大丈夫だから」と繰り返すばかりで、打ち明けようとはしなかった。
 力になりたいのだと申し出て拒まれたのは、これが初めてのことだった。火原は隠しごとのできる性格ではないし、柚木に対しては隠しごとをするつもりもないと、以前はっきり言われたこともある。だから何でも話せと強いるつもりは勿論なかったが、それでも柚木には、火原のこの態度は、少なからず衝撃だった。
――――まぁ、どうせこれもあいつが原因なんだろうけどな……。
 そう考えるとやはり面白くないのは事実だったが、以前のように目障りだとは思わなくなっていた。簡単にそう断じてしまうには、多分、柚木自身も情が移り過ぎてしまったのだろう。
 部活に顔を出してくると言う火原と途中で別れ、迎えの車が待つ正門へ向かって一人で歩いていた柚木だったが、ふいにどこからか呼び止められ、足を止めた。振り返るとそこには、まさに火原の不調の原因と思しき人物が、こちらの様子を窺うように立っていた。
「やぁ、日野さん。これから帰り?」
 他の生徒の目もあるので、いつも通りにこやかに声を掛けると、香穂子はわずかにひるんだようだったが、少しだけ距離を詰める、両手で持っていたものを柚木の前に差し出した。
「これ、借りたままだったので……。ありがとうございました」
 四角く折り畳まれた白い布を見ても、すぐに何なのかわからずパチパチと目を瞬いたが、やがてそれが第三セレクションの日に自分が渡したハンカチだということに気づき、同時に数日前の出来事を思い出した。
「ああ、それか……。別に返さなくても構わなかったのに」
 深い意味もなく本当にそう思って言ったのだが、香穂子は大真面目な顔で、とんでもないことだと首を振った。
「ダメです! 柚木先輩にこれ以上借りを増やすわけにはいかないので!」
「何だい、それは。そんなにたくさん貸した覚えはないのだけれど?」
「いいから、とにかくこれは受け取ってください。それが私のけじめなんですから!」
 くすくすと笑う柚木に、香穂子は半ば強引にハンカチを受け取らせると、改めてまっすぐに柚木を見つめた。
「今度は茶化さないでちゃんとお礼を言わせてくださいね。………あのとき柚木先輩がいてくれなかったなら、きっと、私は舞台の上に立つことができなかっただろうと思います。あの場所に立てたのも、きちんと全力を出して弾くことができたのも、柚木先輩のおかげだと思っています。本当にありがとうございました!」
 茶化すどころか口を挟む間さえ与えられずに一方的に言われ、最後には勢いよく頭まで下げられてしまった。呆気にとられている柚木を再び見上げた香穂子は、はにかむように微笑んだ。
「あの日の演奏、悪くなかったって言ってもらえたのも、本当に……、本当に、嬉しかったです」
 あまりにまっすぐな言葉に、茶化すなと言われていたにも関わらず、大人しく聞いていてやることができなかった。柚木はにこりと微笑み返すと、他の者には聞こえないように声を潜めた。
「もしかして、俺が心やさしい人間だなんて勘違いしてる?」
 しかし香穂子はいつものように怒り出すことも、うろたえることもなかった。まるで挑むような視線で、鮮やかに微笑み返してこう答えた。
作品名:tricolore-2 (side柚木) 作家名:あらた