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tricolore-3 (side火原)

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「あのときのおれは、ただ、自分が気持ちよく楽しんでトランペットを吹くことしか考えてなかったんだ」
「火原………」
「おれ一人だけ楽しくったって意味ないんだ。あのときのおれなら、それでよかったのかもしれないけどね。でも今は、楽しいことはみんなと一緒がいいって思うよ。……うぅん、違うな。一緒じゃなきゃイヤなんだ」
 口にしながら、やはりこれは笑われても仕方ないな、という気がしてきた。まるで子供が駄々をこねるような言い回ししかできない自分の語彙が情けないが、実際に分厚い辞書ほど言葉を知っていたところで、結局は同じことしか言えないのだろう、とも思った。
「………やっぱり、火原らしいよ」
 ふっと笑みを綻ばせた柚木に、火原は少し情けない顔で、そうかなぁ、とぼやいた。だが、不思議と悪い気はしなかった。自分らしさが何なのかなんてわからないけれど、柚木の見せる笑顔がいつもよりもずっとやわらかいことが、火原の気持ちを明るくさせた。
 そんな柚木が、ふいに思い出したように、火原に手を差し出して、こう言った。
「ねぇ、火原。君の力を、僕にも少し分けてくれないかな?」
「え?」
「僕も悔いのないように、このコンクールの最後を楽しみたいんだ。―――だから、一緒に頑張ろう、火原」
 最後の一言に、火原はハッとして顔を上げた。そして差し出された柚木の手と自分をまっすぐに見つめる微笑みを見比べ、込み上げた感情に、一瞬、言葉を見失った。
「…………うん」
 目の前の手をぎゅっと握りしめて、ただ短く頷くことしかできなかった。泣き笑いのような火原の顔を見て、柚木は何を思っただろう。しかたないな、と言う代わりに少し呆れたように微笑んで、それから黙って、握り返す手に力を込めた。
 



 片付けを終えて控室を出たところで、ばったりと香穂子に出くわした火原は、思わずあっと声を上げてしまってから、その声の大きさに我に返って、照れ笑いを浮かべた。
「香穂ちゃんも、もう待ち合わせ場所に行くの?」
「はい。火原先輩もですか? 柚木先輩は?」
「まだかかるから、先に行っててって。……じゃあ、すぐそこまでだけど、一緒に行こうか」
 つい先刻までは、淡いアップルグリーンのドレス姿だった香穂子だが、今は見慣れた普通科の制服だ。彼女の雰囲気にとてもよく似合っていたので、あっさり着替えられてしまったのは少し残念な気もしたが、やはりこうして並んだとき、制服姿の方が落ち着いて話ができる気がした。
「今日の打ち上げって、企画されたの、火原先輩なんですよね?」
「うん、そうだよー。折角だし、やっぱ最後くらい皆でパーっとやりたいなって思ってさ。でも、皆疲れてるし忙しいから集まらないかもねって柚木とは話してたんだけど」
「そうなんですか? あ、でも、月森くんが参加するっていうのは、正直ちょっと驚きでした。本人に言ったら絶対怒るんで言いませんけど」
「あはは、実はおれも!」
 思わず顔を見合わせ、二人は声を立てて笑った。
 学内コンクールの始めのころの月森なら、きっと参加を承諾したりはしなかったに違いない。彼もまた、このコンクールを通して何かが変わった一人なのだろう。
――――そう考えると、やっぱりすごいな。
 およそ二カ月の学内コンクールを経て、自分たちは本当に数えきれないほどのものを得た。それが何なのかは、きっとこれから時間をかけて、ひとつずつ、自分と向かい合いながらひも解いていくことになるのだろう。
「おれ、このコンクールに参加できて、ほんとよかったなぁ……」
 ぽつりと呟くと、傍らの香穂子も、短くうなずいた。
「………そうですね」
 その眼差しが、ここではなく、遠いどこかを見つめるように切なく揺れる。火原には、彼女のその呟きに込められた意味まではわからなかったが、敢えてそれを詮索するつもりもなかった。それもまた、いつか、時が来れば話せることもあるかもしれない。
 待ち合わせ場所は、講堂の正面入り口前だった。引率として、面倒くさがる金澤も強引に誘った。行き先は無難にファミレスになる予定だが、思えばそのメンバーがまともに一同に会するのは、ひょっとすると最初の顔合わせ以来なのかもしれない。
「あ、そういえばさ。さっき控室で柚木と話してたときに、また一緒に合奏したいねって。今度はできれば、他のメンバーにも声掛けてさ」
「わぁ、素敵ですね!」
「でしょ? 今日の打ち上げのときに、話を出してみようかな」
「いいと思います。私も……その……、すごく足を引っ張りそうですけど、混ぜてもらえると嬉しいです」
 不安そうにやや尻すぼみになる香穂子の台詞に、火原は思わず吹き出して笑ってしまった。
「大丈夫だよ、そんなこと気にしなくても! 柚木もね、香穂ちゃんの今日の演奏を聴いて、本当に頑張ったんだね、ってすごく褒めてたんだよ」
「えっ、柚木先輩がですか?」
「え、そうだよ。何でそこで驚くの?」
 きょとんと問い返すと、香穂子はもごもごと口ごもってしまった。
 思えば、香穂子ははじめのころ、妙に柚木に対して構えるところがあった。最近ではすっかり見かけなくなっていたので忘れていたが、いつの間にかこの二人の関係も変わっていたということなのだろう。
「香穂ちゃんと柚木、仲良くなったよね」
 そんな風に思いついたままを口に出すと、香穂子は苦笑いのようなものを口許に浮かべた。
「そうでしょうか……。仲良くなったというよりは、慣れただけという気がしないでもないですけど」
「ふーん?」
 どうやら、仲良しという言葉だと素直に受け止められない何かがあるようだ。それならそれでも構わないが、やはり火原の目には、二人が前よりもずっと親しくなっているように映る。それだけは、間違いのない事実だ。
「まぁ、おれは香穂ちゃんと柚木が仲良くしてるの見るのが嬉しいだけだから、どっちだっていいんだけどね」
 すると香穂子は驚いたように目を瞬き、怪訝な顔で問い返した。
「え、それってどうしてですか?」
「だって、自分の大切な人と大切な人が仲良くなるのって、普通は嬉しいものじゃない?」
 当たり前のように答えると、香穂子は呆気にとられたあと、色々な感情が交錯する表情のまま、押し黙ってしまった。
 怒らせたのかと一瞬不安になったけれど、様子を窺っていると、そういうわけでもないようだった。何かそんなにおかしなことを言っただろうか、と考えながら、本人には訊くに訊けずそわそわしていると、やがて香穂子がぼそりと呟いた。
「――――火原先輩は、欲張りですね」
 その言葉の意味を図りかねて困惑する火原に、香穂子は困ったように微笑んだ。
「私も柚木先輩も、火原先輩には敵わないんだなぁ、って話ですよ」
 やっぱり意味がわからなくて火原は途方に暮れたが、そこに現れた親友の姿を見つけ、慌てて名前を呼んだ。
「柚木!」
「おや、どうしたんだい? 二人そろって」
 にこやかに微笑んだ柚木に、火原が助けを求めるより早く、すかさず香穂子が答えた。
「火原先輩は、私と柚木先輩が仲良くなるのが嬉しいんだそうですよ?」
「………何の話なのか見えないのだけれど」
「大切な人だから、らしいです」
「大切な人?」
作品名:tricolore-3 (side火原) 作家名:あらた