MY SWEET HOME
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自分でそう言ったとおり、刹那は寝室にはこなかった。元からあったベッドに、グラハムは一人で横たわり、今日一日に起こった出来事のすべてを振り返ってみる。
昨晩はまったく眠れなくて、朝食はハンバーガーチェーン店のハンバーガーを食べた。その後はインテリアショップへ赴き、食器や調理器具や、生活に必要なものを大量に買い込んだ。夕飯は刹那が作ってくれて、とても美味しかったので、グラハムはすっかり満足したのだ。
──そこまでは本当によかったのだけれど。
これは同居ではなくて同棲で、刹那はグラハムのことが好きで、この家は二人で一緒に住むための場所なのだと、告げられた。
ありとあらゆる意味で、グラハムは驚かされたのだ。まず自分を好きだということ、一緒に住むために呼ばれたということ、襲いたいという感情があるということ。
「信じられない……」
ベッドに横たわりながら、グラハムは小さな独り言をもらした。どれもがありえないと思えることなのだ。好きになってもらえること自体が、すでに予想外だったのだから。
「刹那……」
彼のことは嫌いじゃない。むしろ好意を持っているほうだろう。ただ、その感情が即恋愛に結びつくかと言ったら、否だった。
自分たちは、ついこの間まで敵対関係だったのだ。グラハムは刹那の乗るガンダムを追い掛け回し、刹那は対アロウズ・イノベイターに死力をつくしていた。
戦いの最中に多少の会話はしたけれど、それはあくまでも、お互いの心の中にあるものをぶつけ合っただけであり、君が好きだとか、一緒に暮らしたいだなんてことを、思っていたわけではなかった。
だから本当に、突然すぎたのだ。
えてして恋は突然起こるものかもしれないが──ガンダムに心を奪われるように──ついこの間まで全力で戦っていた相手に告白されても、グラハムの心情は「困る」であった。
「……ああ、そうか」
このまま素直に身を預けることは、あまりにも単純というか、彼は敵だったろうという思いが、グラハムの心に靄をかける。
「私は……」
どうするのが正しいのだろうか。日頃あまり深くは悩まない性質ゆえに、迷路の奥のほうまで迷い込んでしまった思考と感情が、グラハムから今夜も睡眠を奪っていた。
二日連続で徹夜をした身体は、とても素直に疲労を表している。昔とは違って無理が利かなくなっていることに、グラハムはガッカリしたような溜息をこぼす。
「おはよう、刹那」
「ああ。……眠そうだな。カーテンは役に立たなかったか?」
「いや、そんなことはないよ」
問題なのは光ではなく、心のほうだ。けれどそれを刹那に言っても仕方がない。グラハムは彼の追求を逃れようと、ごまかすための笑顔を浮かべてみせた。
人間の身体とは不思議なもので、どんなに悩んでいても寝不足でも、腹が空くようにできている。グラハムはキッチンへと足を向け、空腹を補う何かを作ろうと歩き出したところ、
「冷蔵庫にいろいろ入っているから、好きなものを食べてくれ」
と、刹那の声がかかったのだ。
「……えっ? 作ってくれたのか?」
グラハムは驚き、慌てて冷蔵庫のドアを開けた。そこには和え物やディップ、綺麗に焼けた目玉焼きまでが納められてあった。完璧に整えられた朝食メニューに、しばし呆然とする。これは自分があまりにも情けなくはないだろうか。
「……すまない」
思わず反省の弁がもれたが、
「謝罪なんかいらない」
返ってきた刹那の声には尖った響きがあった。グラハムは彼を見つめ、自分が言葉の選択を誤ったことに気づく。
「そうだな。ありがとう、刹那」
冷蔵庫の中から刹那が作ってくれたものを取り出し、必要なものは暖め、カップには牛乳を注ぎ、トースターにパンをセットして焼き上がりを待つ。
どこかくすぐったさを覚える、朝の始まりだった。
グラハムが食事をする横で、刹那はモニターを操作して、世界各国の情報を収集していた。
連邦政府の動きに、ヴェーダが示唆した民族紛争が起こる可能性のある地域の状況。幸い、昨日は何事もなく過ごせたけれど、今日もそうだとは限らない。
「熱心だなぁ。戦争は終結したのではないのかね?」
「……アロウズとの戦いは終わったけれど、小さな紛争なら、どこにだってある」
顔も上げずに言う刹那に、グラハムは少し皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「すべての争いごとに首を突っ込むか。それは休む暇もないな」
長時間を放っておかれた一昨日を思い出し、グラハムは急に、悩んでいることが馬鹿らしくなってきた。
刹那にとって、ソレスタルビーイングの使命は、他の何よりも優先する大事なことなのだ。もちろんそれは、彼らが武力介入を果たした最初のときから分かっているつもりだった。
けれど、二日も徹夜して彼に悩まされた現状を思うと、非常に虚しいというか、睡眠時間を返してくれ、とも思ってしまう。
刹那はいつだって世界のことを中心にして、物事を考える。ミクロの存在であるグラハムの心情なんか、世界という大きなものの前では、簡単に隅っこのほう、もしくは欄外へと追いやられるのだろう。
でもグラハムは、物事をそんな風に考えることができない。かつてはそうやって生きてもいたけれど、今はまだ無理なのだ。何かのために戦うという、その理由がどうしても必要だった。
非常に面白くない気分が、心の奥のほうから湧きあがってくる。モニター画面から目を離さない刹那に、このモヤモヤをぶつけてやりたくなった。
「……コーヒーが飲みたい」
それはあまりにもささやかな我侭でありながら、グラハムにできる精一杯の甘え、でもあった。
ボソッと呟かれた言葉に、刹那はモニターから顔をあげる。
「そういえば買ってないな。今日も買い物があるし、ついでに買ってくるか」
「……できればインスタントじゃないのがいいんだが」
「分かった。機械のほうも買おう」
そんなに高性能なものでなければ、コーヒーメーカーなんてそれほど値は張らない。刹那が即答したのはそういう理由からと、グラハムの我侭が可愛かったからだ。
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ