MY SWEET HOME
モヤモヤという名前の我侭がすんなり通ったグラハムは、じっと刹那を見つめてしまった。
「……君が分からない」
「はぁ?」
「聞いてくれるとは思わなかった」
コーヒーが飲みたいなんてささやかな願いは、それこそ大気中を舞うホコリのようなもので、世界のことに一生懸命な刹那の耳には届かないと思っていた。
「コーヒーくらい好きなだけ飲ませてやる。他に希望があったらなんでも言え」
「なんでも……」
刹那のその言葉に、グラハムが真っ先に思い出したのは、明日に控える自分の誕生日のことだった。言えば、何か特別なことをしてもらえるのだろうか。この家で、特別なことができるのだろうか。
「私の……、……いや、なんでもない」
「なんだ? 言いかけてやめるな」
「いや、いいんだ、本当に。何か見つかったら言うよ」
誕生日を祝ってほしいなんて、子供みたいな──グラハムはそう思っている──ことは言えなかった。それこそ、戦争や紛争が再び始まれば、誕生日どころではなくなるのだ。
グラハムは意識を切り替える。刹那にはグラハムの望みや我侭を聞いてくれるという意思があると分かっただけでも嬉しいことだった。
「ところで、このポテトディップ? は美味いな」
「ああ、それは隣に住んでる奴が作り方を教えてくれたんだ。すり潰したジャガイモと、日本の明太子というものを、マヨネーズで和えるだけで出来る」
「この赤いのがメンタイコとやらだな。日本人は不思議な食べ物を好むと思わないか?」
「思う。生ものが異常に好きだ。食べてみれば確かに美味いんだが、口にするまで時間が要る」
同感だ、と言ってグラハムは笑っていた。ディップをトーストに塗って一口二口と食べていく。明るく振舞う姿に騙されそうだが、刹那は先ほど彼が言いかけてやめたことが気になっていた。
モニターをオフにして、グラハムと向き合う。今のところ世界に目立った動きはないが、今後の動向には注意と警戒が必要なことに変わりない。そしてまた、目の前の男の動向にも、刹那は同じように目が離せないでいた。
「情報収集はもういいのか?」
「何か動きがあったら、戦術予報士が教えてくれるだろう」
それは要するに、ガンダムの出撃を意味する。グラハムもそれを悟ったのか、表情が真剣なものに変わっていた。
「戦争が起こるのか?」
「まだ、分からない。そうならないことを願っているが」
今更、戦うことに躊躇いはないけれど、戦わずに済めば、それが最良だとは思っている。
「……君は戦いたくないのか?」
「世界に変革を促すことができるなら、俺は戦う。この先もずっと」
グラハムの視線が突き刺さってくる。何かを言いたそうな眼差しだったけれど、彼は無言を押し通して目を逸らし、残りのパンを口に含んだ。
本日の昼間も買い物に出かけて、生活に必要なものをいろいろ購入していった。グラハムが望んだコーヒーメーカーも、もちろんその中に含まれている。また、それに合わせてコーヒーカップも二つそろえで、新たに買うことにした。
知らず知らずのうちに、家の様式が整えられていく。刹那の目から見たグラハムは、もうすでに意思も固まっているのかと思えるくらい、買い物をする様子は楽しげであった。
それでもまだ、一緒に住んでくれるのか、とは聞けなかった。今の刹那は人生で一番臆病になっている。断られる可能性があるうちは、絶対に聞かないことにしていた。
「刹那。コーヒー豆も必要だぞ?」
「夕飯の買い物のときに買えばいいだろ」
ついでに、今から夕食のメニューも考えておく。刹那は今日も自分が作るつもりでいた。幸せそうに料理を頬張るグラハムを見ているのが好きなのだ。昨日の記憶がいまだに鮮明に残っているくらい、あれは印象的な姿だった。
「荷物も増えたし、一旦、帰るか」
「そうだな」
大きな紙袋を抱えなおして、二人は駐車場へと向かう。昨日も借りたレンタカーに乗り込み、約十分の短い距離をドライブして、マンションへと戻った。
買ってきたものを、それぞれ必要な場所へ設置したり、飾ってみたりといった作業を分担して行っていく。
その、最中だった。
「ピピピッ」という電子音が鳴り響いたのだ。刹那はすぐに通信機を取り出して、モニターを確認する。そこには予想どおりのことが書かれてあった。
「刹那……」
グラハムも作業の手を止めて、刹那を見つめてくる。それ以上を聞いていいのかどうかを、迷っている風でもあった。
「紛争が始まった」
刹那は、隠さないで告げた。戦術予報士から刹那に下された戦術プランまでは話せないけれど、自分がどこへ何をしに行くのかは、はっきり言っておかなければならない気がしたのだ。
「……どこで?」
「セイロン島だ」
「セイロン……」
グラハムは、少し遠くを見るような表情をした。何か引っかかるものでもあったのだろうか。刹那にはそこまで分からない。
「すぐに向かう」
紛争はすでに始まっているのだ。到着が遅れれば、その分だけ犠牲者が増えてしまう。刹那はリビングルームを出て玄関へと向かった。その背中に、グラハムから声がかかる。
「ガンダムで戦うのか?」
「それも作戦の一つだ」
圧倒的な武力を誇る兵器・ガンダムの登場は、戦場に大きな影響を与えることだろう。
グラハムは少し瞳を伏せる。戦果をあげてこいとは、さすがに言えないのだ。それをするには複雑すぎる、過去のさまざまな思いがあった。
「……武力を振るえば、多かれ少なかれ、犠牲がでるぞ」
「分かっている。それをするのは本当に最後の手段だ」
刹那の言葉に、グラハムは軽く驚いた。彼は洞察力が鋭いというか、どこか心の中が筒抜けになっているような感じもする。
「刹那……」
「もう行く。遅れてしまう」
「刹那! 武力は振るわないことが一番だ。それを忘れるな」
ソレスタルビーイングの理念に反することを、ガンダムのパイロットである刹那に向けて発している。意味のないことだと分かっていながらも、グラハムは言わずにはいられなかった。
何故ならグラハムは知っているからだ。刹那の、本当の望みというものを。
玄関ノブに手をかけていた刹那の動きが止まり、グラハムを振り返ってくる。
「分かっている」
その身体が動いて、ポーチの奥にいるグラハムの腕を、ぐいっと引っ張ってきた。手前には段差があり、引っ張られたグラハムは少し慌てた。落ちる、と思う間際に、刹那の力強い腕と、やや乱暴なキスに受け止められていた。
「──っ!」
君は本当にいつも突然で、と文句を言う前に、その姿は疾風のように消えていく。
「行ってくる」
バタンと、ドアが閉められる。
また強引に奪われてしまった唇を、頬を染めつつグシグシと手で拭っていたら、刹那に声をかけるのを忘れていた。
「あ……」
これで三度目だ。どうして毎回タイミングを逃してしまうのか、グラハムにも不思議だった。
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ