MY SWEET HOME
「大丈夫か? 飲みすぎだろう」
「……違う。君が私を悩ませるからだ」
「……ふぅん。いい言葉だな」
「君は……!」
大きく息をついて、グラハムは脱力したようにうな垂れた。もう何を言い返せばいいのかも分からない。ただ、どんどんと墓穴を掘っていくことだけは理解して、しばらくは黙っているのが賢明と口を閉じたら──。
まるでそのタイミングを計ったように刹那の腕が伸びてきて、ぐい、と頭を引っ張られた。
後はお約束のパターン。むにゅ、と生暖かい唇が触れてくる。酔って体温が上がっているせいか、刹那の唇はグラハムのそれよりも低いと感じた。
……といった事を、客観的に認識している自分に気づき、グラハムは慌てて両腕を使い、互いの顔を離した。
「──君はいつも突然で、だな……」
「許可を取ればいいのか?」
「それは……」
グラハムはまた口ごもる。どう足掻いても自分のほうが、明らかに分が悪い。強く拒めないのは己の気持ちが分からないからで、受け入れてしまうのは彼と触れ合うことを嫌だと思っていないからだ。
何故、嫌だと思わないのか。今はそれを真剣に考えたくなかった。
眉を下げて口を引き結び、下を向く。グラハムは本当に困り果てていた。
「グラハム・エーカー」
「……なんだ?」
刹那の呼びかけにノロノロと顔を上げる。目の前にある、意志の強そうな琥珀の双眸が、じっとグラハムを見つめてくる。
「俺は別にアンタを困らせたいわけじゃない」
「……」
「でもここが、アンタの家でもあることは忘れないでくれ」
「刹那……」
家というものを持ったことのないグラハムにとって、その言葉は誘惑にも等しかった。自分の家を持つことは、子供の頃からの憧れでもある。刹那の言葉は、優しい網となって、グラハムの心を捕らえようとしてくるけれど、素直に甘んじたくないと抵抗する心もあった。
「寝るときは、寝室のベッドを使え」
「……なんだ、急に? というか、君はどこで寝るんだ?」
「俺はここで寝る」
ポン、と床を叩いて示す刹那に、グラハムは首をかしげた。
「何故だ?」
昨日は同じベッドで眠ったのに──もっともグラハムは起きていたけれど──どうして急にそんなことを言いだすのか分からなかった。
残飯を平らげて整理し、皿を重ねながら、刹那は呆れたような溜息をつく。
「好きな奴と同じベッドで寝て、何もしない自信がない」
「なっ、ちょ、ちょっと待て! 君は何をしようと言うのだ!?」
グラハムの動揺しまくりの台詞に、刹那はさらに呆れたような視線を向け、大きな溜息もこぼした。
「言わなきゃ分からないのか?」
その年齢でと鋭く突っ込まれて、グラハムは不承不承口を閉ざす。ドッと吹き出す汗を乱暴に拭い、いつの間にか正座していた腿の上で、両の拳をギュッと握り締める。けれど、やはり確認しておかなければならない事柄はあるだろう。
「……冗談ではないのだな?」
「俺は冗談なんて言わない」
「そうか……」
確かに彼の口からは一度も、そういったユーモアだったり、洒落だったりなんてものは聞いたことがなかった。グラハムはますます逃げ場のない袋小路に、追い詰められていくようだった。
「……私が、その、下なのか……?」
恐る恐る聞いてみたら、刹那は少し考えるように視線を上向けていた。
「アンタが俺を襲いたいなら、そうすればいいさ。俺をねじ伏せられるなら、の話だが」
「……自信たっぷりなんだな」
「俺は負けない」
若さでも、体力でも、腕っ節でも、すべてグラハムより上回っていると、刹那は自負している。相手が卑怯な手でも使ってくれば話は別だが、グラハムは正々堂々を信条に掲げる男だ。姑息な真似は決してしないだろう。
じっと床を見つめるグラハムは、正座したまま、どんよりと重たい空気をまとっている。諦めにも似た、追い詰められる一歩手前のようなギリギリの感情を、彼から読み取ることができた。
「無理強いしたくないから、別々に寝ようと言っているんだ」
グラハムは眉間に深く皺を刻み、何か苦いものでも口に含んだような顔で、瞳を伏せている。
「君の気持ちはよく分かった」
「そうか」
やっと分かってくれたかと、刹那はホッとして、止めていた片付けの手を再び動かし始めた。
「だが、元は君のベッドじゃないか。私がこっちで寝るから、君は寝室を使ったらどうだ?」
そんなことを言いだしたグラハムに、刹那はまたしても片付けの手を止めるハメになった。分からず屋というより、これはもう性格だ。直したりできるものではない。
刹那は「ふうぅ」と、深く長い溜息をついて、気持ちを落ち着かせる。そうしないと、今すぐにでも襲ってしまいそうだった。
「よく聞け、グラハム・エーカー。俺は、好きな奴を床の上に寝かして、自分はベッドの上でのうのうと眠れるほど、図太い神経をしていない」
「──っ!」
瞬時に顔を真っ赤にして、グラハムは驚いたように瞳を見開いた。実に分かりやすい反応に、刹那はどんどんと深みに嵌っていくのを自覚する。
彼のことが、とても好きだ。
できることなら、今すぐ髪に触ったり、頬をなでてみたりといったスキンシップをしてみたい。熟れたトマトのように顔を赤くしたグラハムは、それでもまだ刹那に反論を試みていた。
「……そんな女性のような気遣いは無用だぞ」
「そうするなと言うなら、俺はこの場でアンタを襲うけど?」
それでもいいかと問いかけたら、さすがのグラハムも黙り込んでいた。
ようやく静かになった。刹那は食器を片付け、キッチンのシンクまで運んでいく。ショックを受けたように動かないグラハムをそのままに、自分が買ってきた洗剤とスポンジを取って、皿洗いを開始する。
こういった作業も、ここに住むようになってからは初めてだった。料理をしようなんて思いもしなかったし、ましてや一緒に住もうなんて考えは、遥か忘却の彼方だった。
不思議だ、と思う。人との出会いが、刹那を何度も変えてくれる。新しい考え、違った生き方、まったく知らなかった現実、そしてこれから先の未来。
それらは独りきりでは見つけられないからこそ、たとえ反発する者同士であっても、触れ合って理解することが重要なのだと、今の刹那は考えている。
グラハムの中にも変革が生まれて、こちらの差し出した手をしっかりと握り返してくれるようになったら、それが最高の理想の形だろう。
「手伝う」
背後から声がかかり、動揺から回復したらしいグラハムが、静かに隣に立った。刹那の洗った皿を手にとって、先ほどもそうしていたようにタオルで拭いていく。
微々たるものかもしれない。けれど、変化は確実に訪れていた。
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ