MY SWEET HOME
ガンダムの登場によって、戦場は混乱をきたした。慌てたようにモビルスーツ部隊が発進されたり、ミサイルの砲台がガンダムに向けられたりもしたのだが、その武力が振るわれることはなかった。五年前の出来事を、誰もが覚えていたのだ。ここで動けば必ず返り討ちに合う。せっかく立て直した組織がまたガンダムによって、壊滅状態にまで陥ってしまう。
連邦側はまだいいけれど、少数派のタミル人勢力はたまったものじゃない。ガンダムが現れるや否や、彼らは一斉に引き上げていったのだ。
「……えっ、あ、部隊に動きがあるようです。タミル人勢力側が引き上げていく模様です。まだ、詳しいことは分かりませんが、交戦は避けられるのではないかと、思われます……」
何度も繰り返された現地特派員のリポートで、報道番組の司会者たちも一様にホッとしたように、緊張を解いていた。
「まだ予断は許さないかと思いますが、とりあえず、一時的に戦闘は回避されたとみていいですよね?」
女性キャスターが、笑顔でコメントを求めている。
画面を食い入るように見ていたグラハムも、現状を知って肩の力を抜いた。そうしてみて初めて、自分が緊張していたことに気づいた。
「……まったく。見ているだけというのは辛いものなんだなぁ……」
戦場を駆け抜けた男が情けないことだと、苦笑する。力があれば怖いものなんてなかった。でもそれは感情の裏返しでもある。グラハムはいつも恐れていたのだ。失敗することを、失うことを。だから無理と無茶を重ねてでも闘うことができた。
けれど、何一つとして守りきれずにすべてを失い──。
「……刹那、君もそうなのか?」
あの純粋さの裏側には、守りたいものを守りきれなかった悔しさがあったのだろうか。
つけっ放しのテレビ番組は、すでに通常の形式に戻っていた。今日一日のニュースを読み上げていくニュースキャスターたちの声が、一人きりの室内に響いていく。
刹那はいつ戻るのだろう。停戦が宣言されない限り、近辺の空域に待機したままだということは想像できる。早ければ今日中に、遅くても明日のうちには発表されることを願い、グラハムはテレビの電源を切って立ち上がった。
夕飯の買い物へ行き、一人分の食事を作って食べる。あれだけ飲みたいと思っていたコーヒーも、今は特に飲みたいとは思わなかった。コーヒー豆も買ってきたけれど、その袋が開かれることはなかった。
風呂に入り、ベッドに横たわる。自分の他に誰もいない家は、宿舎に一人きりよりも、もっと寂しい気がした。
停戦調停が連邦大統領の手で行われたのは、ガンダムの介入があった翌日の昼過ぎだった。ニュースの報道でそれを知ったグラハムは、すぐに時計に目をやって時間の計算をする。セイロン島からここまでの距離を測って、だいたいこれくらいという目星をつけた後は、あらかじめ決めておいた行動に移るための支度に入った。
ミッションを終えた刹那が戻ったのは、すでに日もとっぷりと暮れた、午後七時過ぎのことだった。
ガチャ、というドアの開く音を聞きつけ、グラハムは廊下を駆けて、玄関まで顔を出しに行く。
「刹那」
「今戻った」
まる一日以上ぶりの再会だ。こういう場合はどう声をかけたらいいのか、咄嗟には言葉が思い浮かばなくて、グラハムは口を開けたり閉じたりを繰り返した末に、無言になった。
ガンダムを動かしたとはいえ、武力介入を行わずに済んだためか、刹那の表情は普段よりもやや明るめに見える。
「何もしてないぞ」
その声が誇らしげに聞こえたのは、グラハムの気のせいではないだろう。
「──ああ、知っている。テレビで見ていた」
軍の基地でもなく、母艦の中などでもなく、本当にただの一般市民として、客観的に見られるこの場所でそれを知った。
「そうか。……いい匂いがするな。食事中だったのか?」
廊下にも僅かに漂う食欲をそそる匂いに、刹那はクン、と鼻を利かせた。任務を終え、真っ直ぐ寄り道もしないで帰ってきたのだ。自分も早く何かを作って、空腹を静めたい。
刹那が歩き出そうとすると、グラハムが前に立ち塞がる格好で止めてきた。なんの真似だと思い見上げる先にいる男は、邪魔をしながらも、何故だか視線をあさっての方向に彷徨わせている。
「あ、ああ。その、腹が減っているんじゃないかと思って、用意していたんだ」
停戦調停のニュースを見てから、グラハムがしようと思ったことはこれだった。刹那が帰ってくる時間を見計らって、料理の準備をしたのだ。ちょうど、出来立ての暖かいものを出せるようにと。
「作ってくれたのか?」
珍しく驚いたような声をあげて、刹那が問いかけてくる。
「そうだが、私の料理はグチャグチャに煮込んでおしまいな、単純なものだぞ?」
グラハムは軽く肩を竦めながら、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。刹那のような凝った家庭料理は作れないのだ。それが残念であり、また仕方がないと、諦めている部分でもある。
「全然かまわないと、前にも言っただろう」
中身なんてたいして重要じゃない。グラハムがどんな考えで作ろうと思ったのか、それが一番大事なことだった。腹を空かしているだろう刹那のために作ってくれたのだ。これを喜ばずにいられるわけがない。
ぐいっと、腕を引っ張って、グラハムの身体を抱きしめる。その身体から、廊下に漂うものより強い匂いがした。今なら、ずっと聞きたかったことを聞いても大丈夫だろうか。
「グラハム」
「なん、だ?」
刹那の、フルネームではない名前呼びに、グラハムは不意を突かれてドキリとする。我ながら単純だと思い、抱きしめられて顔が見えないことに安堵した。
「ここに、いてくれるのか?」
これからもずっと。この家で一緒に過ごしてくれるのかと、刹那はやっとの思いで尋ねることができた。
グラハムは、実は一瞬だけ、返事に迷った。過去のすべてが消化されたわけではないし、ソレスタルビーイングに命を奪われた人々の無念を思うと、自分がこういう関係になることを、まだ素直に受け入れられない部分がある。
だから、一つ賭けをすることにしたのだ。
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ