MY SWEET HOME
*
「……うん! 美味しいぞ、刹那」
自分が作った料理を、他の誰かに食べさせるという行為も初めてだった。
グラハムが口に含む瞬間まで、刹那は神の審判でも待つかのような緊張感に襲われていたが、笑顔で「良」の判定をもらってからは、こもっていた肩の力もスッと抜けていく。
「そうか。なら、よかった」
買ってきたばかりのテーブルの上には、メインとなる肉の煮込み料理に、野菜炒め、薄く焼いたパン、そしてアルコール飲料が、面積いっぱいに並んでいる。
「君は料理が上手いなぁ。私も見習わないといけないな」
「アンタはどんなものが作れるんだ?」
「私の料理は、軍の演習で教わったものだけだよ。クラムチャウダーとか、そういう全部グチャグチャに煮込んでおしまいみたいな」
「それだって十分美味いだろ」
逆に言えば、滅多に失敗することがない料理だ。簡単で美味しいのなら、誰も文句は言わない。
刹那の言葉に、グラハムは薄っすらと頬を染めた。それはアルコールのせいばかりではない。
「そうだな。私も不味いと思ったことはないよ」
照れ隠しと、良い雰囲気というものに、グラハムの酒を飲むピッチが自然と速くなっていく。アルコールは嗜む程度にしか普段は口にしないので、あっという間に頭の中がふわふわとしてきた。
「ああ、いいものだな……、こうして家の中で誰かと食事をするというのは」
軍は異動を繰り返す職場だから、グラハムが家だと思える場所ではなかった。あえて言うなら、基地そのものが「HOME」と呼べただろうか。
グラハムの台詞を黙って聞いている刹那は、少し酔いが回り始めている彼を、注意深く観察していた。酔うと誰でも箍が外れるものである。彼が素面では語らない内面を伺うことができたら、と考えたのだ。
「誰かと食事をすることはないのか?」
「うん? 外でなら食べるよ。軍人なんてお互い宿舎暮らしだし、家という感じではないからなぁ……」
「なるほど。家の中で食べたかったのか」
生まれたときから独りだったと言った、彼らしい望みだと刹那は思った。グラハムはコップの中身をすっかり空にすると、瓶を手にとって新たな酒をたっぷりと注いでいる。買ってきた白ワインは、今日中に消費できそうだ。
「そうだ。家庭の味というものが好きなんだ。だから君の料理はとても美味い!」
力説するグラハムは、自らの言葉を示すように野菜炒めへと手を伸ばしている。刹那はその皿を彼のほうへ寄せた。
「好きなだけ食べてくれ」
刹那だって悪い気はしない。けれどこんなに喜んでくれるとは、正直思っていなかった。料理は生きていくために必要だったから覚えたに過ぎなくて、誰かに食べさせたりするものではなかったのだ。
どうして今日は違ったのかと言えば、家庭を知らないグラハムに、手料理をご馳走してあげたくなったからだった。刹那が幼い頃に犯した罪の、罪滅ぼしの気持ちもある。彼の手伝いを拒んだのは、そういう理由だった。
幸せそうに刹那の料理を口にするグラハムに、言いようのない幸福感を与えてもらっているのは、実は刹那のほうなのだ。
ここにいてくれ、と改めて気持ちを強くする。
今度こそ守る、絶対に失わない、失わせない。刹那の手からもグラハムの手からも、二度と消えていかないようにすると誓うから──。
「刹那?」
物思いにふけっていた耳に、グラハムの怪訝そうな声が響いた。刹那はハッとして顔をあげる。
「……すまない、なんだ?」
「いや、私ばかりが食べて、君が全然口にしていないじゃないか」
ほろ酔いから、本格的な酔いに移行していそうなグラハムが、頬をピンク色に染めながら皿を動かそうとしていた。
「俺のことはいいから、アンタが」
「もう私は満腹だよ。これ以上は入らん」
グラハムは、ガチャガチャとテーブルの上の食器を動かし、刹那の前にすべての皿を移動し終えると、満足げにペタンと腰を下ろした。
酔って身体に力が入らないのか、腕で支えるようにして姿勢を保っている。クタリ、とした様子が少しだけ色っぽく見えるのは、刹那も酔っているからだろうか。
マズイな、と思った心が、意識して別の行動を取らせている。グラハムが食べ切れなかった残りを片付けようと、傷一つない新品のフォークを手にとって、自分が作った肉料理に突き刺した。懐かしい味が口の中に広がる。郷愁の思いと、ほろ苦さにあふれた、人生の記憶の味だ。
刹那が食べ始めるのを見ていたグラハムが、徐に何度も首を振って頷いていた。それを見て、とうとう酔いが危ないレベルにまで達したかと、少し不安になる。
「そうだぞ、刹那。ここは君の家なのに、私だけが飲んだり食べたりしてはダメじゃないか」
だいぶ酔っているらしいグラハムは、ジリジリとにじり寄ってきて、ワインの瓶を手に取った。
「さぁ、こっちも飲みたまえ」
力なく身体を斜めに傾けながら、グラハムはコップに瓶の中身をドボドボ注いだ。あまり美味しそうな注ぎ方ではなかったが、酔っていることを割り引けば我慢もできる。
それよりも。
「訂正しろ」
「──何を?」
「ここは、俺とアンタの、家だ」
所有者は確かに刹那だが、これから暮らしていくのは二人なのだ、と強調した。
キョトンとした顔で刹那を見つめるグラハムの首が、軽くかしげられる。意味がよくわからなかったらしい。 酔っ払いはこれだからと、刹那は小さく舌打ちする。
「俺だけの家じゃない。ここは俺とアンタが、これからずっと一緒に暮らしていく家だ」
顔を近づけて、ワインの瓶を持ったままキョトンとしているグラハムに分かるよう、刹那は少し大きな声を出した。
「分かったか?」
「わ……、えっ? ええっ!?」
呆けたような顔が、一瞬にして驚愕へと変わった。ボッと、酔い以外の要素で、顔がさらに赤くなっていく。グラハムの手からツルリと滑ったワインの瓶を、刹那は難なく受け止めて、テーブルの上へと置いた。
「な、何を言って……!」
「アンタは単なる同居だと思っていたみたいだな」
慌てまくる様子を見れば、一目瞭然。
「お、思うだろ!? 普通は!」
「キスするような相手と? アンタ、実は意外と……」
堅苦しそうに見えて、私生活はふしだらで、だらしないのだろうか。刹那は問いただすような視線を、グラハムへ向けた。
「勝手に私を決めないでくれ! だ、だいたいあれは君が強引に、し、してきたんじゃないか……」
問いただされて一瞬はムッとした心も、徐々にゴニョゴニョと尻すぼみしていく。グラハムには、強く反論できない立場の弱さがあった。断るなら、もっと前にそうすればよかったのだ。それをしなかったのはグラハムの問題であって、刹那に責められる理由はない。
そうだ、キスもされて、そういうことだ、とも言われていた。いくらグラハムがこういったことに鈍くても、刹那の行為とその意味はきちんと理解したのだ。
けれど分からなかったのは、己の心。
どうすればよかったのか、今をもってしても分からないままで、どうしようと必死になって考えているうちに、頭の芯がクラリとした。
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ