最後の命令
もしかしたら、黙ってどっかに行っていた可能性もあったのだ。
その前に、自分の覚悟が間に合って安心していた。
「少し・・・痩せましたか?」
七花は不思議そうに自分の体を見回した。
「そうか?そんなつもりはないけどなぁ。」
「ならばよいのですが。」
「んで、なんか用か?」
彼女は少し目を閉じ、そして、覚悟を決めて言い放つ。
「七花殿・・・私と、手合わせ願えませんか?もちろん、真剣勝負です。」
「・・・・え?なんで?」
七花は心底驚いた顔をして聞き返す。
まさか、慚愧から真剣勝負を挑まれるとは露ほども思っていなかったであろう。
四季崎の変体刀はお互い、もう持っていない。
もし持っていても、今はお互いに無用の長物でしかない。
「あなたの・・・七花殿の為です。」
慚愧は真っすぐと、曇りのない大きな瞳で七花を見据える。
七花はすぐに答える事ができなかった。
真剣勝負とは、命のやり取り。
一度始めてしまえば、どちらかが倒れるまで終わらない。
宿の恩がある相手に、簡単に殺し合いをするほど、今の七花は恩知らずでもない。
どう返事したもんかと考えていると、慚愧の口が先に開いた。
「では、私は道場で待ったますゆえ準備が出来次第いらしてください。」
「え、ちょっとま・・・」
七花が引きとめる前に、慚愧は足早に道場へと向かっていた。
慚愧は道場で一人、七花を待っていた。
彼は来るはずだ。来なければいけない。
私が剣士で、彼も剣士なのだから。
しかし、私はなぜ、命を賭してまでも彼を助けたいのだろう。
私が命を落とす可能性の方が高いというのに。
助ける事が、とがめ殿の願いだと考えているから?
人を助けるのが、十二代目汽口慚愧の勤めだと考えているから?
そこで彼女は、いつの日かここに訪れた時のとがめと七花を思い浮かべていた。
お互いに信頼し合い、すべてを委ね合っているその姿を。
・・・ああそうか、私はああなりたいのか。
誰かを信頼し、すべてを委ねる事のできる関係を築きたいのか。
ひたすら剣の道に生きた私は、愛に生きる事を諦めたはずの私は、まだ諦めていなかったのか。
それを気付かしてくれた彼を、だから助けたいのか。
自分の命を賭けてでも、助けたい彼の命を賭けてでも。
剣の為だけであったこの命を、彼の為の命に変えたいのか。
自分の中の疑問に対する答えを見つけた所で、道場に一つの足音が響いた。
そこに立っていたのはもちろん、虚刀流七代目当主である。
「あんた、なんで真剣勝負なんてやりたいんだ?俺はこれでも、恩は感じているんだが。」
向かい合い、開口一番七花は質問をぶつけた。
「先ほども言った通り、七花殿の為です。そして、私の為でもあります。」
「そうか。俺には難しい事はよくわからないから、あんたの考えてる事はよくわからないけど・・・」
しっかりと慚愧を見据え、七花は落ち着いた声で言う。
「あんたが望むのなら、受けるよ真剣勝負。ただし、あんたが八つ裂きになっても知らないからな。」
最初は嫌々だった口癖も、すっかり応用が利くようになっていた。
「心の鬼を心で切る。これを持って慚愧と名乗る。私はこの名に恥じぬよう、あなたの心の鬼を、私の心で切りましょう。」
決め台詞を言い終えた二人は、同時に構えを取った。
七花は『鈴蘭』
慚愧は『中段の構え』
「ところで、木刀でいいのか?真剣勝負なんだろ。」
「当然。私には、この木刀以上の真剣はありませんゆえ。」
言葉を言い終わると同時に先手を仕掛けたのは慚愧であった。
驚異的な瞬発力で二人の間にあった距離をほぼ0にし、七花の胴に向け全力で木刀を振るう。
直後に、慚愧は驚愕した。
全力で振るったはずの自分の刀が、七花の胴に届くまでに止まっていた。
正確には、七花の膝と肘によってその進行は止められていた。
白刃取りの変形バージョンだろうか。
七花によって固定された木刀は引いても押してもピクリともしなかった。
「あんたには多分負けないよ。確かにあんたは強い。ただ、前の時と同じで、まだ俺の方が強い。」
パッと離された木刀を構えなおし、慚愧は答える。
「確かに、私は七花殿に比べればまだまだ未熟です。しかし、それでもこの戦いは負けられないのです!」
再び慚愧は突進する。
今度は七花の突き出された腕に向け突きをする形で。
全力で放たれたその突きに対し、七花は避けるでもなく受けるでもなく、受け流した。
剣の腹は手の甲で弾き、自分にギリギリ当たらない軌道まで流した。
その結果、突進の形で突っ込んで来た慚愧は自ら、七花の間合いまで入ってしまったのだ。
「蒲公英」
抑揚のない声に乗せ、七花の手刀が慚愧の胸に迫る。
なんの手加減もない、必殺の一撃とも呼べる手刀が。
瞬間、慚愧は踏みとどまるのを諦め、そのまま前方に加速した。
そして、手刀が自分の胸に当たるその瞬間に、身を捻り一回転。
くるりと回る勢いを利用して、そのまま木刀を片手に握り直し七花の首辺りに切りつけた
が、まるでそれを読んでいたかのように避ける。
そのまま倒れ込みそうになる慚愧を、七花は振り返る事もなく後ろ回し蹴りで追撃した。
さすがに体勢を崩している状態でこの攻撃を避ける事は無理だったが、幸いな事に先ほど
木刀を片手に握り変えていた為に、空いている右腕で防御することができた。
しかし、防御した腕もただではすまないだろう。
慚愧は右腕を捨てる覚悟で、七花の蹴りを受けた。
そのまま後方に飛ばされるも、すぐに起き上がり、七花を見据え、木刀を構え直す。
やはり、右腕は痺れている。
ここで再び慚愧は驚いた。今度は、違う意味で。
自分の右腕は、七花の蹴りを防御した為に痺れている。
否、ただ痺れただけだった。
虚刀流の攻撃を防御したのなら、その箇所が切り落とされていれもおかしくはない。
どんなにうまく防御した所で、最低骨折は免れないであろう。
それが、自身を刀と見据える虚刀流の切れ味なのだ。
そんな事は依然真剣勝負ではないとはいえ、手合わせした事のある慚愧ならば重々承知の
事。
実際、覚悟もしていた。
しかし、結果は痺れているだけである。
この程度の物は、ほんの数分もあればまったく気にならなくなる。
つまり、それ程までに七花は弱っていた。
まったく寝る事をせず、疲労をひたすら溜めこんでいた今の七花には普通の攻撃で相手を
瀕死に追いやるだけの重さを持たせる事ができない。
その事実を認識した慚愧は、愕然とした。
ここまで、瀬戸際だったのかと。
ホントに、衰弱死していてもおかしくなかった。
ただ、同時に微かに安心もした。
間に合ってよかったと。
自分が伝える事を伝えられれば、七花を助ける事ができるかもしれないのだから。
覚悟を新たにし、七花を真っすぐ見据える。
この事実を確認したのは、七花も同じである。
「・・・なるほど、俺はここまで弱ってたのか。」
「そのようですね。」
睨み合いながら会話をしていた。
「万全じゃなくて悪かったな。代わりに、今の俺の全力・最終奥義で終わらせるからよ。」
「望む所ですよ。こちらも、簡単に終わるつもりもありませんがね。」
そして、できれば剣を通して伝えられれば。
ただ、生きて欲しいと。