幻水短編詰め合わせ(主に坊さま)
agordi (坊さまとカシオス)
どん、どん、どん。
音というよりも響き。むしろ衝撃とでも言うべきものが鳴り渡り、突き抜けていく。
腹の底から鼓舞し、沸き立たせる拍動(リズム)。
力任せ、としか言いようのない無粋なその響きに圧されるように、人の波が平原を呑み込んでゆく。
戦場である。
目も綾な、慣れぬ者なら場違いとすら思ってしまいそうに煌びやかな、色とりどりの旗印が翻り、揃いの具足に身を包んだ兵たちが渦を巻く。
「だから言ったろう」
その光景を俯瞰しつつ、色鮮やかな、しかし華美とは言えぬ紅衣の少年が口を開いた。
いっそ粗末とすら見える出で立ちとは裏腹に、背後に従える軍旗はこの場にあってすら一層に、鮮やか。
からかう口調と表情で振り返り、不満さを隠しもしない配下の者を見てにやりと笑う顔は悪戯な少年のようでいながら、思わず目を、身を伏せてしまいそうな威を放つ。
「けれど軍主殿。こんな音、趣の欠片もないではありませんか。軍楽隊の1人として、こんなものは……」
「くどい」
その威に屈さずにいられるのは、余程の剛の者か、はたまた「大人物」か。
今、少年の眼前に在るのはどちらであろうか、ごくごく淡い緑の長物を纏ったその青年は、それこそ戦場には似つかわしくない、なよやかな風情のくせ、切捨てるような口調にもめげる気配を見せなかった。
「なれど、せっかくなのですから、勇壮にして雅やかな曲などはいかがでしょう。このような役目ばかりでは、我々の腕も錆びついてしまいます。そうではないですか、メロディさん?」
「え、ええと……こっちに振らないでください、カシオスさん」
熱の篭もった口調で隣の少女に同意を求めるが、あっさりと逃げられて仕方なく顔を戻す青年を、周囲は恐々とした目で見守っている。
年と容貌に似合わぬ風貌と苛烈さを持つ彼らの主が、いつその秀麗な面に不興を浮かべるかと思うと気が気ではないのだろうが、そんな周囲の心配をよそに、軍主は苦笑さえ浮かべてみせた。
「カシオス。お前の言い分もわからないでもないがな。この場に相応しいのは、これだ」
すい、と手にした漆黒の棍で、見下ろす、渾然とした戦場をぐるりと示し、目だけで軍属の音楽家を振り返る。
「お前は、他人と剣を交えたことはあるか?」
「いいえ、軍主殿。私の役目は音楽をもって剣を振るう方を励ますことにありますので」
「ならば想像しろ。ここは戦場だ。まず聞こえる音は何だと思う?」
「剣戟の音、でしょうか」
「足りんな」
「鬨の声」
「そんなもの」
「……なんでしょうか」
「息遣い。衣擦れ。土を踏む音。風の鳴る音。総じて表現するなら、地鳴り」
ゆったりと空を切った棍が、言葉の終わり、とんと地を打って土を抉った。
その響きに足元を揺らされたように、音楽家は忙しくまばたきをする。
兵たちの形づくる渦が、混ざったと見えた色を分かれさせ、一方が一方を溶かし込むように、だんだんと均一な、ただひとつの色に染まっていく。
どん、どん、どん、と、最初から変わらぬ、単調な戦鼓の音。
その音よりも遥かに小さい、そのくせけっして埋もれない声が、カシオスに向けられた。
「旋律などいらん。凝った拍子は調子を崩す。必要なのは、ひたすら単純であること。そして、すべての音を圧倒して、必ず兵の耳に届くこと」
この声を、と、カシオスは思う。
この声を音楽と為すことが出来たならば、きっとそれこそが、兵を鼓舞する音曲として、最も相応しいものとなるであろうに。
戦場の音のすべてを飛び越え、必ずすべての者の耳に届くであろう、至玉の響きだ。
「だから、これでいい。気取ることに意味はない。これこそが相応しい」
「貴方様がそうおっしゃるのならば―――御意のままに。軍主殿」
耳ではなく、臓腑に、意識に、直接鳴り渡るような音が、遠く響く。
解放を志すものすべてが聴いた、戦場の音。
作品名:幻水短編詰め合わせ(主に坊さま) 作家名:物体もじ。