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物体もじ。
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幻水短編詰め合わせ(主に坊さま)

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adulto (ヤム・クー)



 ふと、何かを感じて夜中に目を覚ます。


 それは、珍しいことではない。その原因となるのは風の音だったり身の危険だったり小用だったりと時どきで変わるが、幾度も繰り返されてきたことだ。

 だから、慣れた仕草で彼は身を起こした。

 明かりを落とした小屋の中は鼻をつままれても判らないくらいの真っ暗闇で、月が雲に隠されてしまっているのだな、と、何とはなしに思う。

 あるいは、月もとうに沈んでしまったか。


 見えない目を何度か瞬かせながら、澄ませた耳に届く、聞き慣れた風と水の音。それに合わせて揺れる、舫い綱の擦れる音が、今夜はひと際大きいような気がした。

 低いいびきと安らかな寝息が、同じ小屋に起居するふたりが深い眠りの中にいることを知らせてくれる。それを邪魔するつもりもなく、するりと掛け布から抜け出して、彼は忍び足で壁へと寄った。


 目が闇に慣れるより早く、身体が覚えたとおりに雨戸を探り当てる。

 別に材料に困っているわけでもないのに塞がずにいるその穴から、息を殺して外を覗き見た。



(ああ、やっぱり)



 心中ひそかに、息をもらす。

 風が騒ぐはずだ。風が騒げば、この胸も騒ぐ。


 月も顔を見せない夜闇の中、沈むようにして見える、もう見慣れてしまった姿が、あった。


 ぎいぎいと耳障りな音をたてる小舟がいくつか眠る船着場、その管理小屋のように建てられたこの掘っ立て小屋からほど近くに、ふたりの少年が立っている。

 湖面を抜ける風に柳の葉裏色の髪をなびかせる翠色の姿は、玲瓏たる月のように雲に煙って見え、赤い衣の裾を遊ばせるように寛げた人影が、夜闇に溶けるような黒髪を頬に散らしていた。


 いつか、それは見慣れた光景になっている。


 何とはなし、目の覚めた夜。何かに誘われるように外を覗えば、そこには決まって、そのふたつの影があった。

 寄り添うでも対峙するでもなく、声の届かぬ小屋からは何をしているのかはまったく定かではないが、彼らの姿は、何故かいつでも、彼の目を奪う。


 面白いほうへ。ツキのあるほうへ。


 そう言って身を寄せた先であるこの場所で、もっとも面白そうなのが彼らふたりであると思うが、それと同時、何故か、見てはおれぬものも、感じている。

 それが何であるのか、彼には、わかるような、わからぬような。


 彼はただ、こうやって、時おり夜更けに少年たちの姿を目にするばかりであるから。

 ただただ、静謐な彼らの逢瀬を、眺めるばかりであるから。



(あんたたちは、一体ぜんたい、何なんだろうね)



 静かに、赤と翠、薄金と漆黒が、風に揺れている。聞こえるのは水音ばかり、まるでその世界には彼らふたり以外、自分さえも存在してはいないよう。

 ふと、片方が腕を伸ばして、もうひとりの髪に触れた。風に乱れるそれを梳きあげ、何か呟く口唇の動きが、やけにはっきりと見える。


 音を立てないように彼は雨戸から離れた。穴からひゅうっと細い音をあげて、風が吹き込む。まるで彼の動きを見咎めるように。


 温もりも消えた自分の寝床に潜り込みながら、思った。



 たぶん、この先何年経とうと、自分は今の光景を忘れることはないのだろう、と。



 誰よりも近しい場所にいる兄貴分にすら明かすことはなく、赤い衣の軍主が翠の法衣の風使いに告げた何かを、ずっと、自分の中に抱えていくことになるのだろうと、理由もなく、そう感じた。


 目覚めたときと寸分変わらぬ真っ暗闇の中、聞き慣れた静かな音を聞きながら、ヤム・クーは、ゆっくりと、目を閉じた。