01/Tio estas farebla.
お前のために、と。
交わした視線が、互いに、そう叫んでいた。
「パーン! これは……どういうことだ!?」
「俺は……テオさまの、信頼を裏切るわけには、いかない」
背を向けたまま、告げた男に、自分がどういう表情を向けているのか、気づいているのだろうか。
信頼とは、何の話だと。
そんなもののために、自分の予測から一歩も出られない行動しか出来ない男が、ふと、心底から哀れになった。
kara geamiko / 05
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「テオさまのお屋敷に、理由もない者を入れるわけには行きません!」
ルイシャンと、その背後の扉を守るように、グレミオとクレオが、玄関を塞ぐ近衛兵たちと真っ向から対峙した。
過剰なまでの装飾を凝らした近衛隊の制服を身に着けたクレイズを眺めやりながら、ルイシャンは考えをめぐらせる。
いかに相手が権力に弱いクレイズで、ここが彼から見れば雲上人も同然の大将軍の屋敷とは言え、相手がさらなる権力の持ち主、宮廷魔術師にして皇帝の寵姫であるウィンディの後ろ盾を持っているなら、この場での時間稼ぎはほとんど功を奏さないだろう。
力ずくとなれば、確かにクレオ、グレミオを加えて3人で粘れば多少は保たないこともないが、かと言って、時間が掛かれば、それこそおおもとのウィンディが乗り出して来ないとも限らない。
……本当は、一番いいのは、テッドと二人でこの屋敷を逃げ出し、体調が万全になったら、一旦別行動に出ることなのだろうが、この状況では、それも難しい。
そもそも、この場を自分たちだけで抜け出そうものなら、残されたクレオとグレミオが、どうなるか。
父、テオがいれば、庇ってもくれようが……
(……ああ、その問題もあったか)
すっかり、忘れてしまっていたが。
テッドから預かったソウルイーター、これを守るということは、すなわちウィンディに公然と反旗を翻すことであり、それはとりもなおさず、皇帝に弓引くことに、なりはしないだろうか?
(考えていなかったな、そう言えば)
間抜けといえば、この上ない間抜け。
このままでは、自分はおろか、父まで反逆者としての汚名を被ることにもなりかねない。
それでも、それが解っていたとしても、テッドの頼みを拒むことはなかったと断言できるから、それは後悔という形には、ならないけれど。
(まあ、仕方ない)
なるようにしか、結局はならないだろうと。苦笑を、口唇に刻んだ。
ならば、運任せついでに、軽く初対面から気に入らなかった相手の横っ面でも張ってやろうかと、物騒なことを考えた瞬間。
ざあざあと、降り続く雨の音に混じる、馴染みすぎた、気配。
「……早過ぎだ、阿呆が」
寝てろと、きちんと言ってやったというのに。任せろと、この自分が、言ったというのに。
苦虫を噛み潰したような顔で、ルイシャンは扉を振りかえる。
まるでタイミングを合わせたように、開かれたそこにあった薄茶の瞳と、視線がはっきりと絡んだ。
一瞬ののち、外された、それが。
意志を持って、唖然とこちらを振りかえる、その場のすべての人間を、睥睨する。
にこりと、いっそ無邪気なまでの笑みを浮かべて、テッドは、クレイズに視線を固定した。
「なあ……待ちなよ、クレイズさん」
とん、と。
すれ違いざま、テッドの拳が、ルイシャンのそれに、打ち合わされる。
二人だけの、合図。
「ふん……ようやくおとなしく捕まる気になったか? 手こずらせおって」
すぅ、と、テッドが右手を差し伸べるのと同時に、ルイシャンは、クレオとグレミオを引きずって、屋敷の奥へと、駆け込んでいた。
「よっぽど、俺の紋章の餌食になりたいみたいだね……いいよ? それなら、まずはあんたから……」
どこか楽しげにすら聞こえる、台詞を聞きながら、調理場の勝手口を、目指す。
「ぼ、坊ちゃん!? テッドくんが、テッドくんは……」
「黙ってろ、グレミオ。今のうちに逃げる」
「坊ちゃん! でも、テッドくんを置いては……!!」
「クレオ。俺に二度、言わせるな」
ばたばたと、走り去る足音と、玄関の扉が開閉する音。
みっともなくも逃げ出したのは、小心者のクレイズか、それとも近衛兵も含めてか。
まあ、みっともなく逃げ出しているのは、こちらも同じこと、だが。
「行くぞ。見つかるなよ」
ざあざあと、降りしきる雨の中、飛び出す。
ちらりと、見慣れた青い後ろ姿が見えたような、気がした。
「駄目です、坊ちゃん、帝都の出入り口はすでに塞がれて……」
「ちっ……なら、どこかに身を隠すか」
「こちらへ、坊ちゃん!!」
悲鳴を上げて逃げ出した近衛兵たちを尻目に、重い身体を引きずるように、外へ出る。
降りしきる雨に、一瞬ごとに体力を奪われていくのがわかり、けれど、今度こそ、足を止めるわけには、いかなかった。
角を曲がるたびに、見える近衛兵の姿に、神経をすり減らす。
(まだだ……まだ……)
ちらりと見えた、赤い後ろ姿。
まだ、あいつは安全圏には、行けていない。
今ここで、捕まるわけには、どうあっても、いかない。
テッドが紋章をもっていると思い込んでいる限り、近衛兵にとって……いや、ウィンディにとっての優先順位は、自分が一番なのだから。
「おや、まあ……! 誰かと思えばマクドールさんの坊ちゃん!!」
「……マリー……さん……」
「ふぅん……何だかわけありみたいだねえ? 兵隊はやたらとうろついてるし……」
「マリーさん、あの、私たちは……」
「いいさ、入んな。宿代はツケでいいから」
「え?」
「ほら、早く! 見つかりたいのかい?」
「……ありがとう」
ずるりと、泥濘(ぬかるみ)に足を取られた。
思わず手をついた煉瓦塀も、しかし身体を支えることはしてくれず、掌が擦れて血が滲む。
もうどれだけ走り、逃げ回っているのだったか、消耗でぼやけかかる頭で、テッドはそれでも必死に考えていた。
(ルイ……お前、逃げられたか……? 大丈夫だよな、お前なら……)
ばしゃんと、やけに大きな水音が、響いた。
あれ、などと思う間もなく、沈んでいく、視点。
倒れてしまったのだ、と気づいたときには、すでに動けなくなっていた。
(ここまで……か? ちっくしょ……)
ざあざあと、降り続く雨の音が、いやに耳につく。
まるでそれ以外の感覚を閉ざされてしまったようだと思って、すぐに、それが紛れもない事実なのだと気づく。
傷を負った身体は地面に投げ出され、冷え切った指先は、もうほんのわずかに土を掻く力すら、残っていそうにない。
目の前に落ちた雨粒が跳ね上げた土埃が、頬に張り付いて、すぐに流される。
作品名:01/Tio estas farebla. 作家名:物体もじ。