今の関係と未来の関係
そっと虎徹がいるであろう辺りを覗いてみる。学生や女性客ばかりいる店内では容易に虎徹の姿を見つけられた。先ほどいた辺りで身近な棚を覗き込んでは関心の声を上げている。周りから何このおっさん、と冷たい目で見られているのに気付きもしない。
(すごい見られてるし…。早く気づいてよ。なんでそう鈍いの)
あっちの棚こっちの棚とせわしなく動く虎徹にさらに微妙になる空気。そんなことお構いなしに動き回っていた虎徹だったが、突然ぴたっと止まりそのまま何か商品を手に取った様子で静かになった。
このまま放っておいても大丈夫だろうかと不安になるカリーナ。今はおとなしくなっているがまたすぐに移動するだろう。虎徹一人では周りの迷惑になることはすぐに想像がついた。
やっぱり一緒にいるべきだろうか。カリーナは虎徹の背中に声をかけようとして、
「あれ?カリーナ?」
よく知った声に出かかった言葉を飲み込んだ。横切ろうとした棚の陰から友人二人の笑顔が見える。
「偶然じゃーん。なになに、買い物中?あたしら今来たとこなんだ」
「ほ、ほんと偶然だね。びっくりした…」
「なんだ、用事って買い物だったんだ。カリーナは一人なの?」
「一人だよ!全然一人なんだ!」
カリーナは虎徹のいる方向をとっさに背に隠す。今更カリーナは後悔した。つい虎徹との話に夢中になって忘れていたが、ここは学生達に人気の店。もちろん友人達と何度も来ているし、彼女達と鉢合わせになる可能性だってあったのだ。
なんとか虎徹と会わせまいとさりげなく奥の通路の方向へ誘導する。
「家で使ってるカップ割れちゃってさ、ちょっと見てこうかなーて思って」
「そうなの?でもこっちの棚にはないはずだけど…」
「!い、いいのいいの。あ、この小物入れいいかも!」
冷や汗をかきながらカリーナは適当に商品を指さしたりして二人の注意を逸らすことに専念した。
でもいつまでもこうしている訳にもいかない。
「あたし見たいのあるんだけどいいかな?」
「え、ど、どれ?どこ?」
「あっちにあるんだけどー」
まさか虎徹のいる方ではないだろうか。焦るカリーナを余所に一人が奥まった方向へと向かった。良かった、あっちなら逆方向な上に吊されたクッション達で見えにくくなっているはず。
「ごめん、急用あるの。またね!」
「え。ちょっと、カリーナ?」
「またなのー?」
挨拶もそこそこに素早く身を翻すとカリーナは早足で元来た通路を歩いた。一応大丈夫だとは思うけれど、安心はできない。虎徹を見つけて店から引っ張り出すしかない。
「て、いない!?」
やっと虎徹がいた場所に戻ってきたが既に彼の姿はなかった。
「もう、こんな時に何してんのよあのおじさん」
逸る気持ちのままカリーナはひとまずレジ前の開けた所へ出ることにした。そっちの方がまだ見つかりやすいかもしれない。
パニックになりそうな頭に目が回りながらもレジの側まで来た時、のんきな男の声が耳に入った。
「おーいたいた。何処行ってたんだよカリーナ」
「何してたのよ!探したでしょ」
「何ってそりゃあ、うぉっ」
帽子をヒラヒラと振って軽い足取りのままやってくる虎徹。いた、とほっとしたのもつかの間、走り寄って虎徹の腕をがっちりと掴むとカリーナは出入り口の方へ引き摺るように歩き出した。
「何だよ、そんな急いでどうすんだ。閉店か?」
「うるさい黙ってて。もう今日は買い物終わり。帰るわよっ」
「それはいいけど、おい。逃げたりしないって」
「いいから!」
一目散に店の外へ出る。それでもしばらく虎徹の腕を引っ張っていたカリーナだったが、強い力で引っ張り返されて後ろに倒れそうになった。その肩をそっと虎徹が支える。目の前の横断歩道の先、赤いランプが目に入った。
「しっかり前見ろ。どうした、何か怒らせたか?」
すぐに信号は青に変わったが、横断歩道は渡らずに歩道の隅に移動する。問いかける虎徹の声にカリーナは俯いた。
「違う。たださっきのお店に、その。学校の友達と会って…」
虎徹が息を吐いたのが気配で分かった。
「なんだ、そういうことか。まあ俺みたいなおじさんと一緒の所なんて見られたくないよな」
少し困ったような、自嘲気味な笑み。カリーナはぱっと顔を上げた。
「それは、そういうわけじゃ」
いや、違わない。冷静な自分の声がそう囁いた。店内にいる時、とても子供みたいな目の前の男に呆れた。逃げた。友達に会った瞬間会わせたくないと思った。
「いーのいーの。年頃の女の子の間はいろいろあるんだろ?気にすんなって」
普段と変わらぬ明るい声の虎徹。優しげに笑いながらカリーナを見つめてきた。
「連れてきてくれただけで感謝してるよ。助かった」
「―ッ」
なんだかその笑顔に息苦しくなってカリーナは目を逸らしてしまう。外した視線の先、ショーウィンドウに映るものが目に入る。
(違う)
お気に入りの服を着た自分がそこにいた。十七歳の、年相応の容姿。体型。
それから今にも泣きそうになっている顔。
(子供なのはあたしの方だ)
子供っぽいとバカにして虎徹を遠ざけた。友達と遭遇することを恐れて、虎徹に八つ当たりするように出てきてしまった。
でも自分にはこうするよりない。上手くフォローしたり、遭遇したとしても気の利いた言葉で躱すなんて出来ない。
まだ子供だから。
普通機嫌が悪くなるようなことなのに笑いかけてくるこの男の方が、よっぽど大人だ。
(カッコ悪い)
「あたし帰るね。…ごめん」
小さな声だったけれど虎徹にそう言ってカリーナは歩き出した。
「ああ!ちょっと待ってくれ」
「何。もういいでしょ」
こんなこと言いたくないのに。気まずい思いを抱くカリーナはついつい棘のある言葉になってしまう。
呼び止めた虎徹はポケットをまさぐるとクシャクシャになった小さな紙袋を差し出した。さっきのお店のだ、とカリーナにはすぐに分かった。
「これ。お前にやるよ。今日のお礼だ」
「え?」
促されるままに出した掌に乗せられる。
「お礼って、プレゼントの方は?娘の」
特にカバンも紙袋も持っていない虎徹。
「あー、まだ買ってないんだ」
「はあ?何それ。なんでメインのもの買ってないで私へのお礼なんて買ってるの」
「いろいろ面白いヤツいっぱいあって目移りしちまってさ。おれがガキの頃とかないようなのばっかり。んで、ちょこっと楽しんでる間にお前にいいかなって思ったの見てさ。とりあえず先に買っといた」
「…なに、それ」
知らず肩が震えた。小刻みに揺れる紙袋をぎゅっと握りしめる。
「バッカじゃないの。あたし何もしてないのに。すぐに引っ張って出てきちゃったのに」
「だから気にすんなって言っただろ。お前が誘ってくれなきゃ来ないような所だったし」
直視出来なくて下向きになりがちな目線。カリーナがぐっと握りしめたままの自分の手を見ていると、頭の上に大きな掌が軽く触れてきた。
「やっぱりお前頼りになるよ。ありがとな」
柔らかく二度撫でられて、虎徹の指が軽く髪を梳いていく。カリーナは鼻の奥にツンとくる感覚を堪えた。落ち込んだばかりの心に広がっていく安堵感。
作品名:今の関係と未来の関係 作家名:藍野ろの