犬神
帝人が村人に案内してもらったのは荒れ果てた山の入り口。
この山に獣が住むということだった。
(ひっどい瘴気・・・)
口元を袂で覆いながら、帝人は瘴気が濃いほうへ濃いほうへと足を延ばしていく。
大抵の陰陽師ならこの瘴気にやられ、肉を腐らせているころだ。
(僕じゃなかったらこれ、確実に仏だったろうね)
足元にごろごろ転がる動物の亡骸に眉をひそめつつ、
最も濃い瘴気が流れてくる洞穴を見つけた。
(ここだね・・・うわぁ、さすがに僕でも気分悪いかも・・・)
暗い洞穴はどこか陰湿とした空気も立ち込めて、より一層気分を滅入らせる。
けれど、帝人は全く迷いない足取りでその洞穴を突き進んだ。
歩いている途中、何かが帝人の体を駆け巡る。直感に似たその感覚は、恐怖と畏れ。
目の前で何かがうごめいているのがわかる。
その時、地を這うような、全身を委縮させる唸り声が洞穴に響き渡った。
帝人は冷や汗を流すが、ここで引いては相手に己が恐怖を感じていると悟られてしまう。
それだけは許されなかった。
「「帰れ人間・・・殺すぞ」」
「申し訳ありません。僕も仕事で来ているのでここで引きさがるわけにはいかないのです」
「「死に急ぐかっ・・・!」」
ざわざわと肌に突き刺さる憎しみと怒りが伝わってくる。
瘴気の風が向かい風となり、帝人の体にたたきつけられた。
(っ・・・!結構これはきついなっ・・・!)
袂で口元を覆いながら、帝人は懐から数枚の札を取り出す。
出来るだけ早口で呪を唱え、その札を投げようとした瞬間、
相手の獣の方が一足先に早かった。
頭と肩に激痛が走り、体の節々が悲鳴を鳴らす。
肩に食い込んだ爪が、地面にたたきつけられた衝撃とはまた違う苦痛を帝人に味あわせた。
「ぐぅ・・・っ!」
「「喰ろうてやろうかぁぁ!」」
帝人は生理的に滲んだ瑠璃色の瞳をなんとか見開き、
口を開け、その牙で噛み殺そうとしてくる獣に札をたたきつけた。
途端にその札が青く燃え上がり、一気に獣の体に広がる。
帝人が最も得意とする術の一つ、退魔の札。
その札から燃え上がる炎を消そうとのた打ち回る獣に、帝人はもう一度退魔の札を投げた。
「「おのれぇぇぇ人間めぇぇっ」」
怒りの咆哮を上げ、憎しみの瞳を向けてくる獣を帝人は静かに見つめながら、
痛む肩を押さえて立ち上がる。
「怒りを鎮めてください。そして、どうか僕の話を聞いて。
もし、聞いてくれるのでしたら、その炎を止めて差し上げましょう」
「「誰が人間のいうことなどっ!!!」」
「怒れる気持ちはわかります。大切な家族を奪われれば尚更。
けれど、これ以上あの村を襲うようであれば、貴方は殺されてしまう」
獣は驚きを隠せないのか、憎しみに染まっていた瞳は驚愕で見開かれ、何故、と呟いた。
「「何故・・・知っている・・・一度も俺は・・・」」
帝人は獣に苦笑すると、指を鳴らした。するとたちまち獣の体から炎が消える。
「あの村人たちが心の中で言っていましたから。あ、僕他人の心の中をのぞけるんですよ」
朗らかに告げられた帝人の言葉に、獣はどうやら本当に絶句しているようだった。
人外な生物にでさえ驚かれる力なんだなぁ、と帝人はぼんやり思う。
「「お前、本当に人間か・・・?」」
「たぶん、人間ですよ?人の腹から生まれたの確かですし」
帝人は呆然としている獣の傍までいき、獣を見つめながら目の前で足をついた。
必然的に己を見上げる形をとった帝人に、獣は困惑を隠せない。
「僕はあなたに誓いましょう。必ず、あなたの母君の毛皮を取り返すと。
ですから、どうか。あの村で暴れるのはやめてください」
「「おまえ・・・」」
「僕、人間ですけど、人間が嫌いなんですよ」
帝人はにっこりとほほ笑み、その笑みに獣はまたもや絶句の表情を見せたのだった。