Calvados
幾ばくかの緊張も食べ慣れたラーメンを啜るうちに解れてきた。夜中のカップ麺は格別だと思う、啜り上げる喉越しと塩味と出汁のきいた汁の温もりが体内を温め落ち着かせていく。
少しだけサーモンと生ハムを摘んだが、ラーメンとは合わない気がした。一気にスープを流し込むと水を煽った。
「その……、影響ってコレだけっすか?」
パジャマとカップ麺を指す公麿に、笑いながら三國は答えた。
「それは副産物ってところだね。今回の影響の…………」
「副産物?」
残りのワインを三國は飲み干すと、少し構えてから口を開いた。
「君と俺はね、恋人同士なんだよ」
「はぁ? えっ、ちょっ……」
慌ただしい公麿とは正反対に、冷静に三國は話を続けていく。
「君の荷物があるだけなら疑問に思わなかったのだが、君の服がクローゼットの中にあってね。食器や歯ブラシとかも増えていたんだよ」
「それって…………」
「調べてみたらさ、君と俺とは恋人同士だって言うんだよ。驚いたよ」
公麿は未だに事態が飲み込めないでいるというのに、三國は淡々と涼しい表情のまま語っている。だが、新たに注がれたワインは既に減っていた。
「それが影響なんですか?」
「そうなるね」
「でも、それってデメリットが……」
と言いかけて公麿は口を噤んだ。誰も消えてはいないし、不幸にもなっていない気がする。いや、一番の被害者は三國のはずだ。
「俺と付き合うのに損失はないって言うのかい?」
「あっ、えっ、その……」
「要するに、君が可愛い女の子との未来を失うということだろうね。これは……」
「はあ……」
羽奈日の横顔がちらりと浮かんだが、彼女に影響が出ないのならばそれでいい、少しだけせつなくもなるが…………
「非生産的でもあるしね。同性同士だしね、君には色々と影響あるんじゃないかと思うけど……」
「なんか、まだよく判りません。今は助けて貰ってるし……」
あの時、三國が居なければアパートの前で路頭に迷っていただろうことを考えると、この影響が悪いだけではないと思うのだ。
「まあ、それは俺も驚いたからね」
「もしかして、俺のアセットの株を持ってるから……」
「それは関係ないよ。そういった話は聞いたことがない。まあ、今回のようなのも聞いたことはないんだけどね……」
そうですか……と、溜息はついたがまだ公麿には現状が把握出来ていなかった。だが、これだけは言っておかないといけないことがあった。これ以上、三國に迷惑を掛けるわけにはいかないのだ。
「三國さん」
「なんだい」
改めて三國を正目に見据えた公麿は、猫のような目でその端正な男の顔を捕らえた。
「別れてくれますか……」
「…………。」
「あっ、すみません。その、えっと……」
慌てふためく公麿の姿に、堪えきれないと言った感じで三國は笑い始めると目尻に涙を浮かばせながら机を叩き始めた。
「えっ、ちょっと、三國さん……」
「いや、そうくるとは思わなくて……、初めてだよ振られるのは」
「それはどうも……」
うっすらと浮かんだ涙を拭いながら、笑い疲れて苦しいのか残ったワインを飲み干してからこう三國は続けた。
「それに、良いこともあるんだよ。君という恋人を得てね」
その言い回しにぞくりと背を震わせたが、黙って話の続きを公麿は待つだけだ。
「縁談とか、その手のがまったく無くなってね。君が美少年とかならまた話は代わってきただろうけど、平凡なところが先方も戸惑っているみたいでね。助かったよ……」
「はあ…………」
それはいいことではないような気もするが、それ以前に小馬鹿にされているような気がしないでもないのだが、三國に迷惑がかかっていないというのならば良かったと思う。
「それに、君も知らない相手とこうなるよりはいいだろう。状況が判っている同士だしね」
それ以上は三國は言わなかったが、アントレ同士であったからこそこれは影響であると言うことが解っているが、この相手がアントレでなけれぱ当然誰かに恋人だと言われ関係を迫られることになるのだ。確かに、それは耐えられないことだ。
「そんな程度の影響さ、もういいかい?」
「はい、あっさっきの……」
「ああ、別れるもなにもそんな関係ではないのだからどうしようもないだろう? それにアパートの工事が終わるまではここに居るといい」
ゆっくりと空いたカップ麺を持ちながら立ち上がる三國を座ったまま公麿は見上げていた。青い室内の天井だけは金色に輝き、水面から見上げた空のようにも思える。
「あっ、ありがとうございます」
「それじゃあ、そろそろ寝ようか? そういえばベッドのサイズも変化があったな……」
生々しい影響の言葉に、恋人という関係の重さにゴクリと唾を飲み込んだ。、慌てて立ち上がった公麿は焦りながら口を開いた。
「俺、床とかでもいいんで……」
「男同士だから気にしなくていいだろう。嫌なら、ベッドに仕切りでもつけようか?」
「三國さんが平気ならそのままでいいんで……」
「じゃあ、数日間だけどよろしく頼むよ。実のところ、誰かと家で食事したのは久しぶりでね。話し相手になってくれてよかったよ」
「あっ、俺も、俺も美味しかったです。誰かと食べるの久しぶりで……」
大学の学食では食べているが、それとは何処か違う。カップ麺だとしても、誰かと食べる料理の味はいつもと違うように感じるのだ。
案内された寝室は初めて見る部屋で、決して狭くない部屋であるはずなのに、キングサイズのベッドが存在感を部屋中に示していた。
「眠れないのかい?」
何度目かの寝返りを打った瞬間、三國の声が聞こえた。枕が代わると眠れない、そんな神経質な体質ではなく、疲れてもいるというのに緊張しているのか眠ることが出来ない。布団も自室の物とは比べものにもならない程、柔らかく軽いというのに、ずっしりとした重みと硬い布団が恋しいとは、貧乏が身に染みこんでいる。
「すみません。起こしてしまって……」
「いや、俺も眠れなくてね」
「あっ、すみません……」
「君のせいじゃないさ、温かい物でも入れてくるよ」
黒いシーツとマットが波打ち、するりと衣擦れの音と共に三國がベッドから立ち上がった。
その後姿を見送りながら、公麿は小さく溜息をついた。明らかに三國のパジャマは自分が今着ているものと同じ物なのだ。サイズ違いのお揃いの物である。ペアルック、という言葉が脳裏に過ぎり、大きくなったというベッドと良い、恋人同士という関係に生々しさが含まれていることが実感させられる。
マグカップ二つを手に再び現れた三國は、湯気が立つ片方を公麿に渡した。
「ホットミルクだよ」
ほこほこと湯気を立たせる白い液体からは、優しい甘い香りが漂ってくる。その懐かしい匂いだけで、緊張していた心が解れていくようだ。
「ありがとうございます」
ふーふーと何回か息を吹きかけて啜るミルクは、牛乳の甘さ意外にもほんのりと蜂蜜の甘さが口内に広がっていき体内に染みこんでいく。
「甘い……」
「苦手だったかい?」
もう一つの湯気を立たせたマグに口をつけた三國が、心配そうに問い掛けるがそれに公麿は小さく首を振った。
「好きです。なんか懐かしくて、子供の頃作って貰ったな……って」