The Beautiful Beast.
彼女が此処に泊まるようになってから約一年が経った。彼女はこの城の外から出ることはせず、ずっと此処にいる。言うべきことではないだろうと思いつつも、つい言葉にしてしまった。
「帰らなくていいの?」
ぴたりと、彼女のページをめくる手が止まった。本を閉じると、真っ直ぐ俺を見る。
「そろそろ話さなければいけないわね」
ふ、と口元に悲しげな笑みを乗せて微笑んだ。
「話す……?」
彼女は大きく深呼吸をして。
「私は生贄なの」
「生贄?」
「そう、あなた――獣に捧げる供物よ。貴方は神様みたいなものだから。村人達は貴方を恐れている」
「そんなこと知ってる。でも供物なんていらない、どうしてそんなことに――」
「私が聞いた話では、村は必ず数百年に一度何かしら災いが起こる。けれど、貴方に生贄を捧げればそれを防ぐことができるそうよ」
愕然とした。俺にはそんな力を持ってる自覚はない。けれどこの、呪いをかけた城ならば。
「いらない。君も、帰ればいい。俺は一人でいい」
「臨……」
「帰れ!」
強く言って睨めば、彼女は目に涙を浮かべていた。
「もう帰れないわ」
指先で涙を拭い、そっと微笑む。
「私は村で死んだことになっているでしょう」
「え……」
「それに、私は貴方の傍にいたい」
はっきりとそう言って、俺の傍に歩いて来る。逃げるように後ろに下がり、けれども追い詰められ背中に壁が当たった。
「貴方の傍にいさせて、臨也」
穏やかな声音とは裏腹に強い意志を感じさせられる瞳で、俺を見た。そして優しい手つきで俺の手を握る。身体の震えが止まらない。
――だから彼女と近づいてはいけなかったのだ。
愛を知らない獣は、いくら愛を与えられても決して返すことはできない。
俺は目を閉じた。
ぱしり。手を振り払う。
「同情なんかいらない!」
そのまま階段を駆け上がり、部屋で引きこもった。俺は食べなくても生きていける。むしろ死ぬことが出来ない。
握られた手を見て、顔を歪めた。いらないいらないいらないいらないいらない!俺はずっと一人で生きてきた。これからもそうだ。変わらない。だから、人の施しなんていらない。
いらない、のに――!
いつの間にか眠っていたようで、目を開ければすぐ横に波江がいた。
「なっ……!」
「私は貴方に同情なんかしてないわ。言ったでしょう、行く場所がないのだと」
そこで一旦言葉を切って、今までで一番美しい笑顔を見せた。
「でもね、傍にいたいのは私の意志よ。私が――「君にはわからない!」え?」
身体が熱い。彼女の言葉を聞きたくない。
「そうね。それでも、」
「……」
「貴方の気持ちがわからなくったって、知らないことばかりだって、傍にいたいと思ってるわ」
息を呑んだ。それに気づいた彼女は、ふわりと笑む。
「私は貴方に同情しているから傍にいたいわけじゃない。それだけは、わかって欲しいの」
そして。
「私は、貴方の傍にいてもいい?」
続けられた言葉は、泣きそうな声だった。
「――勝手に、すればいいだろ」
くしゃりと顔を歪めてそう言えば、彼女は柔らかに微笑み。
「ありがとう」
彼女が出たあと、溜め息が零れた。
どうして、たった一年間一緒に過ごしただけのこの俺の、傍にいたいと言える?
美しいだけの、この獣を。
苦しくて、息が出来ない。
*
外をぼんやりと見つめる。子供達がにこにこと笑いながら手を取り合っているのが見えた。それを見て、なんだかもやもやする。人間なんて嫌いだ、大嫌いだ。
それなのに、なんであんな女の声が何度も頭に流れるのだろう。傍にいさせてと願った、あの声が。
苦しくて苦しくて堪らない。だから、忘れることにした。止まることを知らないこの感情の波に呑まれることのないよう、蓋をして。
嫌なことは考えなければいい。此処は俺が築き上げた城なのだから。
たくさんの言葉でごてごてに装飾した文章を振りかざして、俺は再び逃げた。
――このときもっとよく考えていれば、後悔することなんてなかったのに。
けれど今の俺は、これこそが最善の策だと信じて疑わなかったのだ。つねに逃げつづけ、向き合うことをしなかった。
過去は、俺に纏わり続け未来を奪う。
作品名:The Beautiful Beast. 作家名:普(あまね)