太陽の唄
ひたひたと、通路に響く足音。一人ではなく、幾人もの足音。
俯き加減の人の群れ。時折交わされる会話はひどく物騒で、それでいて声が震えている。
先頭の一人が立ち止まると、後に続くもの達は一斉に顔を上げた。
共用スペースの、片隅。ほかに誰もいないことを確認して、部屋に足を踏み入れた。
窓の外を眺めていた少年が足音に気付いて振り向く。誰かの向けた銃口に息を呑むのが判った。
「…おまえ、コーディネーターなんだって?」
誰からともなく、放たれた言葉。
おまえたちのせいで。
今までの生活は、すべて消えてしまった。
必死の思いで逃げ出したのに、自分たちの命すら危ういまま。
口々に発せられる言葉に、目の前の少年はただ、目を背けた。
一体、何が起こっているのか。
押しかけた人たち、向けられる銃口、何を言われているのかも解らない。
コーディネーターであるということは、こうも簡単に人々の心の恐怖を煽ってしまうのだと、唐突に理解した。
ありがとうと言ってくれた少女の言葉が遠くなる。
「…なん、ですか、あなた方…」
掠れた声でそういうのが精一杯だった。
呆然と立ち上がった自分の腕を、強く引かれた。
来い、といって強引に引っ張られたまま、歩き出す。背の高い人に囲まれたまま、部屋を出る。通路や宿舎にいた避難民たちは、息を殺して成り行きを見守った。それでも、自分に向けられる視線の大半は、敵意。偶然通りかかった整備士が、何事か尋ねて、殴り合いになった。誰かがブリッジに連絡しろと叫んでいる。
ひどく騒がしいはずなのに、ずいぶんと遠くの出来事を聞いているようだった。視界は誰かの背中で塞がれていて、周りをゆっくり観察できる状態ではなく、突然の出来事に思考自体も停止しているようだった。
何を守ってきたのだろう。この人たちを、自分は命をかけて守って来たはずではなかったんだろうか。
今は仕方なくても、いつか認めてくれると信じて。この人たちが、無事に地球に下りるそのときまで。
どうして。
視界が霞がかっていて、何もかもが遠くなる。強く掴まれた腕を引かれて一歩踏み出すたびに、自分の中で何かが壊れる音がした。
そうして、何もかもがどうでもよくなっていった。
自分にその程度の価値しかないのなら。
「…気の済むように…したらいい…」
呟きは、虚空に消える。
その知らせを受けたのは、自分が空室でぼんやりと考え事をしている最中だった。そろそろ戻らないと、と部屋を出たところで、かすかに自室の端末がけたたましく鳴っていることに気付いた。
緊急呼び出し。敵襲かと考えたが、館内のアラートが鳴っていないところを見ると別の面倒事が起こったらしい。
慌てて部屋に駆け込むと、端末の呼び出しを止めた。画面に現れたのは普段通信を一手に引き受ける青年。
「フラガ大尉、至急居住ブロックにいらしてください!艦長が…」
唐突に言葉が途絶えて、変わりに画面には学生の姿が映る。ひどく慌てた様子で、かすかに怒りを混ぜながら彼は言う。
「すいません、フラガ大尉。キラが、大変なんです。避難民に囲まれてて、もう、俺たちじゃどうしようもなくて…!」
艦長が現場に行ってますから、と言い残して画面は沈黙した。それが終わるより早く、部屋を出る。
「…どうなってんだよ…!」
あの連絡じゃあ、解らない。
けれど、キラが厄介なことに巻き込まれているのはわかった。移動用の手すりに掴まるのがもどかしくて、強く床を蹴る。慣性移動に従って、走っているのと同じ位の勢いのまま、突き当たりの壁に強く腕を打ち付けたが、構っていられなかった。無理やり通路を曲がると、途端に人が遠巻きに群れているのがわかる。
「ちょっと、どいてくれ!」
一番外側にいた見慣れた作業服の背中にぶつかって勢いを止めて、人ごみを掻き分ける。
言い争う声が聞こえた。手近な人間を捕まえて事情の説明を求めても、パニックに陥っているのか埒があかない。短く舌打ちして、最前列に出ると目の前に飛び込んできたのは息を飲む光景。
「…キラ…」
半ば呆然と呼んだ声は、少年には届いていないようだった。
うつろな表情で、立っている少年。民間人に囲まれて、銃を突きつけられていた。半ば引きずられるように、少しづつ移動している。
「いったい、どういうつもりですか!」
正面に立って進行を妨げているのは、艦長以下数名の軍人。学生の姿もある。そのうちの一人が自分に気づいて何事か言った。怒鳴り合う騒音が邪魔でよく聞こえない。近付こうとすると、上着の裾を強く引かれた。
「…と、何だ?」
苛立ちながら振り向いた先には、少女が立っていた。
今にも泣き出しそうな目で、強く握り締められた上着は話を聞くまで放してもらえそうにない。視線を合わせるように膝を突くと、震える声で少女は、たすけてあげて、とだけ言った。
「お兄ちゃん、たすけてあげて。あたし、たくさんたすけてもらったもん。」
潤んだ瞳でそれだけ言って俯いた少女の姿に、救われた気がした。
ここにいるすべての人間が、あの子を敵視しているわけではないと。純粋に感謝を述べて、慕ってくれる存在もいるのだと。
「…大丈夫さ。」
軽く頭を撫でて、そう言った。
「大丈夫。君がそう言ってくれれば、大丈夫だよ。」
うん、と頷いて少女はようやく掴んでいた上着から手を離した。視線を感じて顔を上げると、母親らしき女性と目が合った。軽く、その人は頭を下げる。
「…お母さん、待ってるぞ。ここにいたら危ないから、お母さんと向こうに行ってな。」
おかあさん、と呟いて少女はゆっくりと歩き出す。母親の手を取って、少女はもう一度振り返った。
「…ぜったい、やくそくだからね。」
艦長の声が聞こえる。
のろのろと視線を上げると、友人の姿も視界に映った。けれどもそれは、ひどくぼんやりとしていて、なんとなくそうと理解できる程度だった。
「…俺たちは、もうたくさんだ。こいつと、あのモビルスーツをザフトに引き渡せば、俺たちは助かるんだろ!」
避難民たちの声は、ひどくはっきりと聞こえた。
友人たちの声は聞こえないのに。
ぽつり、と黒い染みが生まれた。それはどんどん自分の中で広がって、世界を闇に変えていく。
あの、夢のように。
何もない、暗闇の中に、たった一人。
ようやく艦長の後ろまで辿り着いた所で、とんでもない言葉が聞こえた。
「…何考えてんだ…」
抑圧された不満は解るし、追い立てられる恐怖も解る。けれどそれは、そんな方法で解決できる問題じゃない。
「そんなことは許しません!すぐに彼を解放して、居住区に戻ってください!」
彼女も必死だった。あれを無事に届けるという任務以前に、キラに対して負い目を感じているほうが強いのかもしれない。
それでも相手は民間人で、命令だといったところで対して効き目があるとは思わない。それは彼女も理解しているはずだった。
「俺たちは民間人だ、あんたたちの言うなりにはならない。」
はっきりと言い切って、道を開けろと怒鳴りたてる。