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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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やさしさライセンス

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 右手に受け取ったものは、重過ぎるくらいの純粋な好意。
 感謝されるような事は、何ひとつしていなかった。それをようやく自覚する。幼い少女の手で形になっているのは、偶然と幸運と、誰かの助けが合って成し得た事だった。
 今からでも遅くはないだろうか。
 左手に受け取った書類を丸めて宙に離した。
「…こんな紙キレに、縛られて溜まるか。」
 それすらも、半ば自暴自棄だったのかもしれない。けれど、今出来る事がある。せめて、この人達を無事に地球に降ろす事。この艦に乗って、初めて自分でそうしようと決めた事。
 それは湧き上がる別の感情をすり替えただけだとしても。
 第一戦闘配備の艦内放送を聞きながら、自分のいるべき場所へと向かう。あの、機体のコックピットへ。
「…やっぱり、有り難うだけじゃなかったな。」
 あの時、伝えるべきだったのかもしれない。
「これからもよろしくって。」
 微かに浮かんだ微笑は、誰に向けられたものなのか。その時は気付いていなかった。
 そうして、凄惨な記憶を積もらせるばかりの戦場へと向かって行く。綻んで壊れ始めた心が、メッキで覆われているだけだとも気付かずに。





 ノイズ混じりの通信機から聞こえてきたのは、悲鳴だった。悲鳴と言うよりは、訳も解らずに叫んでいると言った方が正しいのかもしれない。視界が赤くくすんで見えて、その機体がどこにいるのか咄嗟に見付ける事が出来なかった。この上もなく、状況は最悪だった。ワイヤーで固定された機体は、既に回収作業に入っていて身動きが取れない。混乱したように聞こえるブリッジの様子から、ストライクが回収できないほど離れてしまった事が伺える。
「…あの、バカ…!」
 異常なほど高温になった機体の中で思わず悪態を付いた。いくら文句を並べたところで、大気圏内と言う状況が動く事を許さない。艦内に回収が完了しても、機体の表面冷却が終るまで自分はここを動く事が出来ない。
 コンソールが着艦完了を表示し、冷却完了までのカウントダウンが始まっても、今すぐハッチを開けたい程の焦燥感が広がって行く。表示された時間が減って行くのを苛つきながら睨んでいると、艦が大きく進路を変えた。
「…まさか、回収…する気か…?」
 今からでは軌道修正が間に合わない。予定した地域への降下を無視してでもストライクを回収しようと言うのか。
 冷却完了、と表示されたコンソールを叩きつけるようにハッチを開放すると、パイロットスーツを通しても伝わる熱に顔を顰める。
「ストライクはどうなった?」
 ヘルメットを毟り取りながらそう言うと、インカムを片手に整備主任は軽く頷いた。
「…今、着艦したって報告が。けど、回収はもう無理ですよ、時間がない。」
 理論的には単独での大気圏突入は可能な機体のはずだ。けれど、それを実践してみた人間は誰もいない。たとえコーディネーターだとしても、死ぬ時は死ぬ。大気圏を通り過ぎるときの温度は強烈で、艦の中と外では恐ろしいほどの温度差がある。
 まるで自分が燃えているような錯覚すら起こさせる光景が、視線の先にある窓から伺えた。
「…死ぬなよ、こんなところで…!」
 厚い強化ガラスの窓を、形容し難い感情をぶつけるように拳で叩きつけた。
 不意に、その先の光景が一変する。身体に重みを感じて、今までの揺れとは違う、メインエンジンの振動が酷くはっきりと伝わって来た。落下するにまかせていた船体が、水平移動を始めた事が分かる。窓の外には、大地が広がっていた。
 徐々に高度を落として行くにつれて、地上の様子がはっきりと視界に飛び込んで来る。
『着陸します、全員衝撃に備えてください。』
 緊張した艦内放送の後、大地と接触する独特の衝撃が襲った。
 艦が停止するのももどかしく、格納庫を横切って通路を走った。搭乗口近くの通信端末に気付いてブリッジに繋ぐ。
「艦の冷却時間はどのくらいだ?」
 最新の特殊装甲を持つにしては時間がかかる気がしたが、十七分ですと返って来た答えに舌打ちして扉の上に設置されたディスプレイを睨んだ。
 気付けば、ヘルメットを握ったままだった。パイロットスーツは、100℃くらいまでなら耐えられる。そう思い立ったが最後、搭乗口の横に設置されていた非常用パネルのロックを解除した。
「おい、外に出るぞ。」
 ブリッジに伝えると、案の定艦長が待ってください、と声を荒くした。
『まだ安全確認がされていません、いくらあなたでも…!』
 非常事態だろ、と返して笑みを浮かべた。
「幸い、俺はパイロットスーツのままだし、多少熱くても大丈夫さ。それに、艦の外にいたあいつの方がどうなってるか心配だろ?」
 言葉に詰まった相手に大丈夫さ、と駄目押しして搭乗口を開放した。
 ヘルメットのバイザー越しですら、熱気が感じられる。目の前に広がるのは、広大な砂漠だった。雲のない空から、冷たささえ感じさせるほどの月明かりが、酷く明るく感じられた。
 夜間の砂漠は氷点下まで気温が下がる事も手伝って、想像したほどの熱さは残っていなかった。あまりの温度変化に身体がおかしくなりそうだった。
 この程度ならば、とストライクがいるはずの外部デッキに向かう。バイザーを上げて一応確かめてから、ヘルメットを砂の上に放り出した。
 ただ、大切なものを失うかもしれないと言う、いい知れぬ不安をかなぐり捨てるように。

 最初に目にしたのは、高温に溶けた金属の欠片。装甲が所々剥がれ落ちてはいるものの、片膝を突いた状態でストライクはそこに在った。痛ましい機体の状態に呆然としたのも束の間、膝から昇って歪んだコックピットの外部操作パネルのカバーを引き剥がす。祈るような気持ちで開閉スイッチを押すと、多少軋んだ音は立てたものの、ゆっくりとハッチが開いた。
「…キラ…?」
 その中に、手足を投げ出すように少年は納まっていた。けれど、呼びかけに対する反応はない。
 ベルトを外して小柄な身体をコックピットから引きずり出すと、抱えたまま慎重にそこから離れた。
 微動だにしない身体に耳を寄せると、微かに心音が聞こえる。それを確認して安堵の溜息を洩らすと、窮屈そうなヘルメットを外して襟を寛げる。閉じ込められた熱気を追い払うと、辛そうだった呼吸が幾分楽になったようだった。
「…キラ、大丈夫か?」
 何度目かの呼びかけに、ようやくうっすらと目を開ける。定まらない視線が虚空をさまよって、ようやく自分を認めたようだった。
「…フラガ…大尉…?」
 掠れた声が聞こえると、ようやくその身体を抱き締めた。
 気付けば、零れる吐息は白く凍りついていた。


 落ちていく感覚。
 強引な力に引きずられて、青い星が近くなる。
 傍らを摺り抜けて行く死神達は、自分の代わりに沢山の命を狩って行った。
 護りたかったもの。護りたいと強く願ったものを。
 伸ばした腕が届く事はなく。
 神々しいまでに凶悪な一条の光が、一瞬の後に閃光に変わる。
 目が合ってしまった。
 不甲斐ない自分に、感謝を述べてくれた少女。その、なんの疑いもなく明日を迎えるはずの少女は、目の前の光景にただ呆然と目を見開いて。
 見えるはずのない自分を認めて、確かに微笑んでいた。
作品名:やさしさライセンス 作家名:綾沙かへる