やさしさライセンス
自分でも、何を言ったのか解らなかった。
ただ、それを認めた後から視界は真っ暗になって。
しばらくすると、また最初から繰り返す。まるで、悪趣味なプロモーションヴィデオのように。最後まで流れた映像は、また最初から再生される。
今まで誤魔化してきた心の奥に、はっきりと亀裂が入っているようだった。
いつのまにか馴染んだ通路。その壁を走るバーに手を乗せると、滑らかに移動を開始する。
第一戦闘配備は現在も継続中だった。今は第八艦隊と言う大きな力に護られているけれど、それだけで安心は出来ない。それでも、ただ護られている事はもう出来なかった。例え現在の最重要任務が地球へ降りる事だとしても。
そうしてそれは、きっとあの人も同じだと思った。
パイロットのウェイティングルームには先客がいた。乏しい光量の中でも、鮮やかな赤い髪がはっきりと判る。
「…フレイ…?」
半ば呆然としたような表情で、自分のロッカーの前に佇んでいた少女は、驚いたように顔を上げる。
「…キラ…っ」
そう呟いた少女は、その瞳を大きく揺らして抱き付いて来た。
志願兵になったと聞いていても、およそそぐわない制服に身を包んだ彼女は、自らストライクに乗る事まで考えていたのか。彼女の両手に抱えられていたのは、確かに自分が着るはずのパイロットスーツ。
「…まさか、フレイ…ダメだよ、そんな事…!」
慌ててそれを取り上げると、彼女は小さく、降りてしまったと思ったからと呟いた。
「キラ、降りちゃったと思ったから…だから、私が…!」
眦に浮かんでいるのは、涙。けれど、その瞳が酷く冷静に映るのは何故だろう。
「…だい…いや、僕が行くから。」
勤めて冷静に、それだけ言った。
父親を失ったときの彼女からすれば、不自然なほどの落ち着きようだった。それが、微かに言い知れぬ不安感を掻き立てる。
不意に、両の頬を柔らかな手が包んでいた。
「…それなら…」
私の想いが、あなたを護るわ。
呟きとともに触れた唇。それは酷く柔らかく、そして、冷たい。
そこから、自分の中で訳の解らない感情同士が激しく自己主張を始めたような気がした。
はっきりと言うならば、それは違和感だった。曖昧な違和感はしこりのように頭の片隅にちらついている。
それでも、今成すべき事に意識を集中させるため、軽く頭を振って嘆息する。呼吸を整えた後、格納庫の扉に向き直った。
いつものように、少し余裕のあるパイロットスーツに身を包み、片手にヘルメットを持って。
間違ってると言われても、否定はしない。
「…僕は、戦いに行くんだから。」
艦の外は既に戦闘状態にあった。時折震える外壁は、微かな振動を確実に伝えて来る。
この艦のもう一人のパイロットは、既に愛機の中だった。出番は少ないに越した事はないが、この状況ではそれは期待できそうにない。覚悟を決めて、軽く床を蹴ると、スタンバイ状態のまま主を待つ機体に向かって移動して行く。
「…お前…」
かけられた言葉。その姿を、瞳に焼き付けるように見つめて、笑みを返す。
「…まだ、待機ですよね?」
その唇が、どうしてと動くのを確認すると、不意に気恥ずかしくなった。カッコ悪いとか、そういう理由はこの人には言えないから。
「…ひとつ、決めた事があるんですよ。」
開いたままのコックピットに手を掛けて、そう言った。
「思ったよりも、諦めが悪いみたいですよ、僕。」
どうせなら足掻いてみた方が世界は変わるかもしれないから。
「…もう、逃げません。」
そう呟いて、馴染んだシートに背中を預けた。
どうして、大丈夫なんて言ってしまったんだろう。
揺れない床は久し振りだった。
携帯食料のパックと氷の入った袋を下げて、医務室とかかれた部屋の前で立ち止まる。医師の不在を示す札に軽く溜息をつくと、開閉スイッチに触れた。
「さて、交代の時間だぞ。」
薄暗い部屋の中は、個人の宿舎よりも幾分広く作られている。ひとつ塞がったベッドの傍らにいた少女は、ゆっくりと顔を上げた。疲労を窺わせる少女の表情は、どこか退廃的な雰囲気すら漂わせている。
「…でも」
そう言った少女の隣に立つと、身を屈めた。
規則正しく落ちる点滴の雫とは対照的に、荒い呼吸を繰り返す少年を見て眉を潜める。
「…ま、心配なのも解るけどな。」
苦笑混じりにそう言うと、少女の手の中にパックを落とし、サイドテーブルの器には氷を開ける。
「少し休んだ方がいい。隣の部屋が空いてるから。」
何かあったら呼ぶよ、と付け加えると、少女は漸く立ちあがった。
「…解りました。」
そう言って顔を上げた少女の瞳に浮かんだのは、一瞬の敵愾心。その、驚くほど冷たい視線はすぐに為りを潜めて、どこか放心したような表情に戻る。軽く頭を下げて出て行く少女の背中を見詰めながら、知らず、表情が厳しくなって行った。
「…まさか、ねぇ…。」
こういう時に、働きすぎる勘は考えものだ。
確かに、彼女が一瞬見せたのは殺気にも似た冷たい表情だった。無意識なのか、それとも。
「…どうも、可愛い青春のイチページって感じじゃないんだよなあ…。」
引っかかることはあるものの、彼らは子供のようでいて随分大人だった。助けを求められるまで、手は出さないと決めた。
一人で無理やり納得して、キラの額に乗っている温くなったタオルを氷水に放り込む。額にそっと手を乗せると、ひどく熱かった。
「…まだ、下がらない、か…」
実際、この程度で済んだのは奇跡のようなものだった。そこはさすがにコーディネーターと言うべきだろうか。
地球に降りてから、およそ二十四時間が経過している。
時折開かれた瞳は、微かに濁っているように見えた。何かにうなされて、目をあけて。それすらも身体的な条件反射に過ぎないように思えた。その証拠に、開いた瞳は何も映してはいない。
「…キラ。」
低く、呟いたその名前。
それに呼応するかのように、ゆっくりと瞼が動いた。薄く開かれた紫紺の瞳。視線が、絡んだ。
「…たい、い…?」
掠れた声で、そう言った。
「…気が付いたのか?」
思わず、椅子から腰が浮いた。身を乗り出すように覗き込むと、自分のおかれている状況が良く理解出来ないように視線をさ迷わせている。
「…ここ…どうし、て…?」
医務室だよ、と言ってまた額に手を乗せる。
「うーん、まだ熱あるなあ。」
もしかしたら、今こうして辛うじて会話している事も、意識の中には残っていないのかもしれない。まるでうわごとのようだった。
「辛いなら、無理して起きなくていいぞ。もう少し寝てろ…キラ?」
ゆっくりと目を閉じたキラに、また眠ってしまったのかと呼び掛けると、微かに微笑んだ。
「…手…つめたい…」
心地良さそうにそう呟いて、また目を開ける。
熱を出して寝込んでいるのだから、辺り前だけれど。
その所為で涙腺が緩んでいるのか、潤んだ瞳に酷くうろたえてしまった。
「…キラ…」
嘆息とともに。
その想いは、今曝け出していい感情ではなく。
その唇が何事かを呟いた事に気付いて、顔を寄せた。