やさしさライセンス
自分が、そう考えたくないだけかもしれない。
苦笑して目を開けると、目の前に少年が立っていた。
『…うわッ』
声が被る。目の前の少年も、酷く驚いたらしかった。随分と距離が近い。
「…どうしたんですか…?」
こんなところで寝てたわけじゃないですよね、と見上げるように言った。
「いや、別に…ちょっと考え事を…」
うろたえてしまった。内心で、もうちょっとマシな言い訳はないものかと模索していると、少年の方が自嘲するように笑った。
「…見てたんです、ね。」
それだけ言って目を伏せる。
まるで自分が彼を責めているようにも見えた。
「…あ、いや…悪いな、覗くつもりじゃなかったんだ。」
我ながら苦しい言い方だった。情けなさ過ぎてまともな言葉が出て来ない。
「…別に責めてるわけじゃないぞ?」
取り繕うようにそう言って、キラの肩に触れると、一瞬大きく震えた。継いで、ごめんなさいと小さく呟く。
「…解っているんです。逃げてるだけだって。」
逃げないって決めたのに、と続けた瞳は、今にも泣き出しそうだった。
「…キラ。」
それは諦めにも似ていた。
今なら、抱き締めても大丈夫だろうか、なんて。
肩に置いた手に少しだけ力を入れて引き寄せる。それに従って、自分よりひとまわり以上も小さい身体はゆっくりと自分の方に寄りかかって。他人の重みを心地良いと感じるのは、随分久し振りだった。
「…フレイには、同情しか感じないんです。」
幾分篭った声でそう言った。
彼女に悪いですよね、と呟いて小さく笑う。
向こうはどうだろうな、と少女の名が出ただけで顔を顰める。腕の中の少年からは見えていない筈だと思うと、次第に不機嫌さが顔を出す。
「…同情じゃなければ、良いのか…?」
なんの事ですか、と言って上げた少年の顔を強引に捕らえて、唇を重ねる。
離れた後も、目を見開いたまま。
「…今のは、本気だからな。」
苦笑混じりにそう言って、身体を離した。
子供じみた対抗心。けれど、それも時には必要だと言い聞かせて呆然としたままの少年に背を向ける。
視界の隅に入った、歪んだ表情。
絶望的かな、と呟いて溜息をついた。
何が起きたんだろう、と遠ざかる背中を見ながら考えた。
柔らかで、暖かい感触を残したまま。そこに、震える指先で、触れる。
「…少、佐…?」
フレイに対するのが同情だと言うのなら。
本気だと言った彼に対する自分の気持ちはなんだろう。
「…うわあ…」
唐突に赤面する。
そのまま床に座り込んだ。
「…そういう、意味ですか…」
大分遅れて、心が反応する。
どこかで、それは理解していたのかもしれない。それを利用して、ただ自分が安心していたいだけなのかもしれなかった。
幾分落ち着きを取り戻して、立ち上がる。
「…優しいんですね、少佐。」
自分の心は、こんなにも。
誰かを護りたいと、願っていたはずなのに。
軋んで悲鳴を上げていた心は、別の感情に支配されていて。
「…有り難う、ございます…。」
いつか訊いた事の答えは、意外なところで返された。
失敗したなあ、と思ったのはぎこちなく合った視線が逸らされた時。他にも人がいれば普通に会話も出来る。二人きりになると、少し難しい顔をして距離を置く。
それはそれで、自分の事を少しは意識してくれているのだと思うと嬉しくもあった。
相変わらず赤毛の少女はキラの周りでよく見かける。それに曖昧な笑みで対応する姿は、キラがどう思っていようと自分には余り面白くない。こういう時、自分が大人気ないと思う。
反応は賢著に現れる。
何かの拍子に手が触れたり、プログラムチェックを狭いコックピットでしていたりする時に。
キラ、と呼びかけるだけで、顔を赤くして目を逸らす。
「…なに、ひとりで笑ってんですか少佐?」
スカイグラスパーのパイロットシート。まだ一度も飛ばしたことのない機体のチェックは入念に、と何度も繰り返している。その最中に、頬が緩んでいたらしいことを指摘されて、悪いね、と軽く返した。
「…ちょっと嬉しい事があったんだよ。」
俺だけな、と呟いて声をかけてきた整備士を顧みる。
「…ま、イイですけど。取り敢えず一度こいつにストライカーパックを着けてみようって話に…」
梯子の上で器用に持ってきたファイルを開きながらそう言った。差し出されたマニュアルらしき冊子には、所々付箋が付いている。
「…へえ?」
付箋のついたページを眺めながら、それに関するプログラムを呼び出す。コンソールに表示された文字に目を走らせながら、これはちょっと、と呟いた。
「…ぶっつけ本番でも良いけど、これは優秀なプログラマーの手を借りないとなあ…」
その呟きに、そうですねぇと相槌を打ちながら整備士は辺りを見回した。
「さっきまでそこら辺にいたような気がするんですがね。」
はいはいと言って苦笑した。
「探して来るよ。軍曹、やってみたいんでしょ。」
マニュアルを返すと、シートから立ちあがる。
すいませんねぇ、と言う声は既に下のほうから聞こえた。続いて梯子を降りると、どこら辺にいるかなと逡巡してから格納庫を出た。
時刻は、夕暮れ。
その、地平線に消えて行く太陽に思わず見入ってしまった。それまでのきつい熱気は成りを潜め、砂混じりの温い風が吹きぬけていく。
最後の一筋を残して太陽が姿を消すと、薄い藍色の夜が訪れる。
艦を降りると、近くの岩山の上に昇ってみた。かと言って、ここは敵地の真中だったので、周りからそれと見えないように一段下に腰を降ろす。
息が詰まりそうな気がした。
一人では居たくなくて、でも彼女や友人達とは一緒に居たくなくて。
唯一、一緒に居たいと言う人は、とても自分が四六時中一緒に居られるような人ではなく。
相変わらず逃げるだけか、と溜息を付いて頭上に広がる空を見上げた。足だけを残して、仰向けに転がる。いくつか瞬き始めた星をなんとなく数えながら。
「…なにやってんだ?」
突然降って来た声は、あまりにも唐突で、しばらく思考が停止した。反動で起き上がる。
「…フラガ少佐?」
そう言うのがやっと。
心構えなしでは、酷くみっともなく慌ててしまう。あっさりと顔が朱に染まって行くのが分かるほど、緊張していた。
そんな自分にはお構いなしに隣に陣取ると、凄いな、と言って空を仰ぐ。
「随分いい場所見つけたなあ。」
そう言ってその人は笑った。
「…偶然、ですけど…」
その、惹かれて止まない笑顔から無理やり視線を引き剥がすと、俯いた。震えた呟きが届いたのか、その人はまた笑う。
「…キラ。」
不意に呼ばれると、条件反射でそちらを振り向く。
「…はい?」
先ほどとは代わって、驚くほど真剣な瞳。
「…本気だって言った事、覚えてるか?」
静かに、告げられた言葉。動悸が激しすぎて、呼吸困難を起こしそうだった。
「…はい。」
なんとか、それだけ搾り出す。
そうか、と呟いたきり、沈黙する。
「…少佐?」
それに耐えられなくて、恐る恐る呼びかけると、参ったなと言って苦笑した。