ひとりじめ
ついでにお茶でも飲むか、と気楽な発言をして、カガリはアスランの袖を引っ張る。
「…キラは用があるみたいだから、俺が付き合うよ。」
苦笑混じりにアスランが言う。
「…ほら、早くしないと向こうも待ちくたびれてるぞ。」
何処まで理解しているのか、親友は至極楽しそうにそう言って、カガリに引かれるままに歩き始める。
「キラも、用事が済んだら顔出せよ!」
そう言ってひらひらと振られた手に笑みを返して、再び扉に向かう。
主の在室を示すグリーンのランプ。パネルを操作すると、呼び出しのコールが鳴り終る前に扉が開いた。
「…いつまでそうしてるのかと思った。」
相変わらず笑みを浮かべたまま。
急に開いた扉に驚く暇もなく、固まったままだったキラの腕を掴むと、さっさと部屋の中に引き込んだ。
「いらっしゃい。」
軽い口調でフラガは言う。
けれど、肝心のキラの頭は両手で塞がれていて。引っ張られて、倒れ込むようにフラガの腕の中だった。
「…ッ少佐!」
力一杯引き離して、抗議を込めた眼差しを向ける。けれどそれは、軽く笑ってかわされてしまった。
「…僕がそこにいるって気付いてたんですか?」
賑やかな少女の所為で、多少なりとも外に誰かいるな、くらいは解るかもしれないが、いつまでと言う単語を使っている所を見ると、キラがしばらく呆けていた間も、フラガにはキラが扉の向こうにいる事が解っていたと言う事になる。それでいて、自分から出て来る事はけしてないのだから、時折この大人の意地の悪い所が酷く腹立たしい。
「…ま、当然でしょ。」
キラの事だし、と何処まで本気なのか良く解らない笑顔を張りつけてフラガは言った。
その余裕が悔しくて、嘘臭いですよと言って身体を離す。
「…で、話してくれる気になった?」
おいで、と手だけでキラをソファに招く。
そうですね、と呟いて、キラは酷く冷静に笑みを浮かべた。
「…あなた次第ですよ。」
何が気に入らなかったのかを、そこで思い出した。
偶然居合わせた誰かが、コックピットをこじ開けて、助けてくれた。その誰かが、どうにかしてプラントまで運んでくれたのだと言う。
あんまりよく覚えてないんですよ、と言ってキラは苦笑した。
「気が付いたら、プラントに居て。…ラクスの所に。」
拾った救命ポッドから出てきた少女を思い浮かべて、ふうん、と相槌を打つ。
不意に頬に伸ばされた指先。
「…すっごい、気に入らなさそうな顔。」
そう言って、キラは楽しそうに笑った。
いつの間に顔に出ていたのだろう。この聡い少年が、それに気付かないはずがない。
「…そうか?」
腕の中の重みを軽く抱き締めて、その柔らかな髪に口付けを落とす。
狭いソファの上で、器用に抱き合ったまま。
つい先ほどまで惜しげもなく曝されていた子供らしい滑らかな肌は、制服の上着に隠されている。
「…すぐ顔に出るんですよ、少佐は。」
相変わらずその唇には笑みを浮かべたまま、キラは言った。
それに軽い自己嫌悪を感じて、その所為でますます眉間に皺が寄っている。その顔を見て、そんな所も好きなんですけど、とキラは呟いた。
「…なあ、キラ。」
しばらく頬に触れていた細い指を握り締めて、呟く。
「いつまでそう呼ぶつもりなんだ?」
地球連合軍は不名誉な事に敵前逃亡したことになっている。けれど、それは自分にとって大した事ではなく、事実上オーブを含む第三勢力になってしまったのだから、それはそれで仕方ない。
なによりも、あのとき戻らなければこうしてキラに再会する事もなかったのだから。
自分で勝手にとは言え、もう軍人ではない。いつまでも階級で呼ばれるのも、自分がそう呼ぶのも軽い違和感を感じている。相手がキラならば、尚更。
そうですか、と言ってキラは目を細めた。
その瞳に見つめられた途端に、言い知れぬ悪寒が背筋を駆けあがる。
この、時々表に出るキラの性格は、だいぶ理解したつもりだった。けれど、あまり慣れる事はない。
「…キラ…?」
酷く情けない顔をしているだろうと思う。
けれど、ゆっくりと身体を離した少年は冷たい視線を向けるだけで。
「…あなたが気付いていないなら、それで構いませんが。」
冷たく響く声には、つい先ほどまでの蕩ける様な表情は欠片も見られない。
キラがこうなるのは、たいてい自分に非があるときだった。しかも、かなり理不尽な理由で。
端的に言えば、キラは何かに怒っている。けれどその理由が解らない。
「…勘弁してくれよ…」
お手上げ、と言うように溜息をつくと、キラは微かに口許を緩めた。
別にいいんですよ、と言ってキラはソファから離れる。
「理不尽な事くらい、僕にだってわかってます。」
そう言って、キラは手早く制服を身に付けていく。
本当に、些細な事なんですからと呟いて。
「…戻ります。カガリにも呼ばれてるし。」
躊躇う事なく扉に向かったその背中が視界から消える。一人で残されたフラガは、デスクの上の冷めきったコーヒーを一口啜った。
「…冷て。」
不機嫌でも、滅多にそれが表にでないキラが、あからさまに不機嫌な顔をしている。
最年長の部類に入る自分が、あまりゆっくりと二人だけの時間を取る事は出来ない。まして、まだ戦争は続いているのだから。けれどそう言う理由でキラが不機嫌になる事なんて考えられない。様々な理由で、戦うために少年は戻ってきたのだから。
「…解るかよ、バカ。」
超能力者でもない、大人と言ってもまだまだ人生経験の足りない若輩者に、他人の思う事が分かるわけがない。
あーあ、と盛大に溜息を付いた。
たった一人の気持ちが解らないだけで。
言葉と言う便利な意思伝達手段を持っていると言うのに。
「…言ってくれなきゃ分かるわけないだろ…」
そうは言っても、自分から理由を尋ねる事も出来ない。
乱暴に前髪を掻き回して。
情けない、と唇だけで呟いた。
本当に、それは小さな事なのかも知れない。けれど自分に取ってはものすごく気に入らない事だった。
どんどん、欲張りになって行く。
偶然見かけた光景が。耳に入った言葉が。
呼びとめられた人は、それが当然のように笑顔で会話する。
「…嫌なやつだよなあ…」
いくら自己嫌悪に陥っても、その気持ちだけは譲れないから。
それ以上見ていたくなくて、無言で背を向けた。
「…すっげェ、自己チューじゃね…?」
並んで端末を除き込んでいたディアッカになんとなく呟くと、心底呆れたようにそう言った。
分かってるよ、と言って苦笑する。
「他の人から見たらそうだろうけど。」
キーボードを滑る指は止めずに、ぽつぽつと続ける。
「…こっち見てて、なんて、言えるわけないじゃないか。」
この状況で、これ以上我侭言えないし。
そりゃそうだけど、と手許のモニターに表示される文字を追いつつ、ディアッカは頷く。
「けど、あのおっさんそう言う事に鈍そうに見えるけど…?」
なんでも分かっているように見えて、その実、鈍い。
殊に相手がキラならば、その手の心情の変化は見え辛いだけに気付きもしない。
「…いいんだよ。」
僕が勝手に思ってるだけだし、と続けてモニターから漸く目を離した。