ひとりじめ
「…それに、弱ってるトコも面白いよ。」
可愛く見えるしと笑うと、微かに引き攣った表情でディアッカは気の抜けた返事を返した。
こいつ、怖い。
出会ってからそう時間が経っている訳ではないけれど、それは薄々感じていた。特に、機嫌の悪い時は容赦がない。
「…よく分かった…あいつの言ってたこと。」
それが親友を指すものだと言う事に気付いて、キラは軽く首を傾げる。
「…アスランが、何?」
それになんでもない、と手を振って内心溜息をつく。
気の毒だよなあこういうやつが相手じゃ、と同情すら覚えて。
当の本人は、変なのと言って相変わらず柔らかな笑みを浮かべているけれど。
「…キラ、いつまでおれにノロケる訳?」
とっくに仕事は終っているのに、そこから動こうとしないキラにそう言うと、珍しく顔を赤くして俯く。
「…離れてるからさ。」
小声でそう言ったキラはどうなのかな、と続ける。
「ほら、僕今あっちにいるでしょ。…だから、どうなのかなぁと思って。」
一番近くにいるでしょう、と言われて、なるほどと頷いた。
「…あのな、そう心配するほどでもないぜ?」
そのうって変わって微笑ましい様子に苦笑しながら答える。
「そりゃ出撃すれば話は別だけど。」
戦争をしていて、それを止めようとしているのだから当然だった。けれど、戦場に出ればあの人が何事もなくそこにいる事が分かって安心するから、不思議な気分になる。
「…そう、かな…」
再び不機嫌そうな表情に戻ってキラは呟く。
そもそもディアッカから見て、これだけ大切にされているのに何が不満なんだろうと首を傾げたいくらいだった。
「…何がそんなに気に入らないワケ?」
確かに一方的ではあの大人が気の毒だ。これと言って特別仲がいい訳ではないけれど、そろそろうっとおしい。何しろ溜息の数が尋常ではないのだから。
「…呆れない?」
微かに眉を寄せて、キラはそう呟いた。
もう充分呆れてます、と思いつつも軽く頷くと、俯いたまま話が続く。
「もう、少佐じゃないんだけど。」
そう言ったその人は、なんだか楽しそうだった。
この時点で言いたい事が分かるだけに、そうですねと呟いて曖昧に微笑みを返す。
少佐、と呼ぶ事に慣れきっていて、軍を抜けたからと言ってそう簡単に切り替えられるほど器用ではなく。気恥ずかしさの方が先に立っているのかも知れない。
それに。
「…みんな、呼んでくれてるじゃないですか。」
キラが驚くほど簡単に、この艦の人達は臨機応変に状況に対応していた。
「キラ?」
知らず、俯いたままだった視線の先を遮る様に、青い瞳が急に現れて、思わず後ずさってしまった。
それに苦笑して、俺はさと続ける。
「キラに、呼んで欲しいんだけど?」
名前で。
言葉には出さずにそう訴える瞳。
「…ヤです。」
視線を逸らしながら、出来るだけそっけなくそう告げる。
愛が足りないなあと、仰天するような事をさらりと言ったフラガは、わざとらしく溜息をついた。
「…そう言う問題じゃ、ないですよッ」
顔が赤くなっているのは十分承知していた。
ただ、通路の向こうから聞こえた声に冷静さを取り戻す。
「…楽しそうね。」
栗色の髪を、柔らかそうに浮かべたまま、その人は苦笑混じりに言った。
「そう見える?」
軽く言って、苛められてたとこなんだけどとフラガは続けた。
その言葉に軽く笑って、あら、とキラに向き直る。
「…キラ君、さっきからお友達が探してたわよ?」
あちらに戻るんじゃないかしら、と続けてから、火照りの残る頬に手を伸ばす。
顔が赤いわね、と言って触れた女性らしい柔らかな指先に、ざらざらとしたイヤな感じが心の奥底から滲み出した。
「…なんでも、ないです。」
それだけ言うのが精一杯で。
そう、と呟いて柔らかな笑みを浮かべるその人には、なんの落ち度もないのに。
「そうだわムウ、時間があったら後でブリッジまで来てもらえるかしら。」
ただ、彼女がごく自然にその名前を呼ぶのが嫌で。
それだけで、なんだか取り上げられたような気分になってしまう。
「…どうぞ、艦長。僕も、もう行きますから。」
それだけ言って軽く頭を下げると、格納庫に向かってフラガに背を向ける。
後ろからフラガに何か言われたけれど、綺麗に無視した。
「…それだけ?」
確認を取っておいてもやはり呆れたようにディアッカは言う。
その言葉に頷いて、キラは仕方ないよと苦笑混じりに続けた。
「僕にとっては、結構重要なんだ。」
他の誰もがそう呼ばなかったら。
自分だけが、少佐と呼び続ける事で、ひとりじめ出来るみたいで。
惚れた欲目だよなあ、と呟いて溜息をついた。
「その理屈で行くと、俺が今お前とこうやって話してるのも、おっさんにとっては嫌なんじゃないの?」
そう言ったディアッカに、そうかな、と言いかけると、頭上から答えが振ってきた。
「そうだよなあ、よく言ってくれたぞ少年。」
それに驚いて振り向くと、納得したように頷く渦中の人が立っていた。
「…少佐…」
明らかに失敗した、と言う顔のキラは素早く立ちあがる。
「いつからそこにいたんです…?」
唸るようにそう問い掛けると、最初からと軽く返事が返って来る。
「やっぱ可愛いねェ、キラは。」
そういって楽しそうに笑う。
恥ずかしくて、腹が立って、とにかくそこに居たくなかった。
つまり頑なに拒否していた理由がただのヤキモチで、それが相手に知られてしまって。
「…かわいくなんか、ないです。」
それだけ言って、端末を片付ける。
おい、と言いかけたディアッカは、そこで固まった。
怖い。
また、さっきの顔に戻っている事は、背を向けているフラガには解らない。
それに気付かず、フラガはそんなこと気にしなくていいのに、と無責任な発言を続ける。
「事実、もう軍人じゃないんだぜ?他にどう呼べっての。」
その言葉に、キラの中の何かがキレた。
「…少佐。」
そう言ってゆっくりと振り返ったキラは、穏やかな笑みを浮かべる。そうして、名前で呼んで欲しいんですか、と続けた。
「そりゃ当然。寂しいじゃないか、いつまでも少佐、なんて他人行儀でさ。」
その言葉に、笑顔のまま告げる。
「絶対、嫌です。」
それだけ言って、キラはさっさと後片付けをして格納庫を後にする。
その背中を呆然と見つめながら呆けるフラガを見て、ディアッカは溜息をついた。
あの人を繋ぎとめて置くために。
「他に誰も呼ばなくなるまで、続けてやる…ッ」
人の気持ちも知らないで。
羞恥心と、怒りに任せて元自分に与えられていた部屋に駆け込んで、クッションに拳を叩き込んだ。
幸い、まだこの部屋は空いていたようで、相変わらず生活臭のない空間のまま。誰に見咎められる事もなく、気が済むまでクッションを叩きつづけて。
根比べの始まり。
「…負けるもんか。」
趣旨が多少違う気もしたけれど、誰もいない空間に向かって呟いた。
まずいんじゃねーの、と端末に向かいながら呟くディアッカに何がだよと尋ねる。
「…今の、他にどう呼べってやつ。」
そう言われて、首を傾げる。
「…何が不満だと思う…?」