ひとりじめ
キラはそうならないでくれよ、と言って大げさに溜息をついた。
「…そう言うのは生活の知恵って言うんですよ。」
そう言って、二人で笑った。
なんとなく、手を繋いだ。
そうして、宇宙を眺めていた。
ただ繋いだ手の温もりだけが、信じられる唯一の。
「…なあ、キラ。」
そう呼ばれて、なんですか、と窓の外を見たまま返事する。
「お前…次の約束はしないって言ったの、まだ続けてるのか?」
ぴくり、と繋いだ手が一瞬反応した。
小さな溜息が聞こえて、覚えてたんですね、と言った。
「…次を期待してしまうと、戦えませんから。」
戻れない事が怖くて。
護れない事が怖くて。
離れる事が怖くて。
「臆病になっちゃうんですよ…今以上に。」
あなたのために必ず帰って来るとは言えないから。
今、目の前のガラスを隔てたその先に漂う欠片たち。その最後の一瞬まで帰れると信じていただろう人たちの名残。
「…少佐は、こう言うふうに思った事、ないんですか?」
この世界に、たったひとつだけないもの。
「絶対、は無いんですよ。」
命を賭けて戦場に立つ者達。それは至極当然の摂理で、なにも自分たちに限った事では無いから。
そうだなあ、とその生きてきた時間を感じさせる言葉。
「…あるよ。お前に会うまでは、俺もそうだった。」
全く逆の答え。
そのことがおかしいのか、小さく笑い声が聞こえた。
「俺達にとっては次の保障が無くて当然だったんだから。大切なものは少ないに越した事は無い…それだけ、覚悟が出来る。」
二人とも、背中合わせに遠い所を見ているような気がした。今、すぐ隣に並んでいるのに。
繋いだ手だけが、唯一、現実を教えてくれる。
覚悟ですか、と言ってキラは目を閉じる。
「…こんなに辛い気持ちになるなら、護るものなんてない方がいいと思いました。」
その先に待っているものがなんなのか、解らない世界。
「…辛い?」
それが不思議なのか、フラガはそこだけ訊き返して来る。
辛いですよ、と言って視線をガラスの向こうから引き剥がす。
「…幸せだなって感じる度に、次が無いと思うと。」
あなたがいなくなってしまったら。
他人の幸せを奪っているのは自分の両手だと言うのに。
その自分が、幸せになろうだなんて。
「…自分の事ばっかり、考えてる。」
自嘲するように笑うと、繋いだ手を引かれて肩が触れた。
「…バカ。そんなの当然だろ。…俺だって、お前が無事に帰って来なかったらって思うと怖いさ。」
艦と、自分の身を守る事だけ考えろ。
そう言われたのは最近のはずなのに、随分時間が経ってしまったような気がする。
「…まあな、もっと言えば俺はお前が無事に帰って来てくれればいい。つーよりも、お前だけ無事ならそれでいい。」
その言葉に驚いて振り向くと、フラガはいつに無く真剣な表情をしていた。
「…本気ですか…?」
少し呆れながらもそう言い切った人に尋ねると、もちろんと事も無げに返って来た。
「俺はお前に出会ってそう思った。お前だけを護るって…決めた。」
護るものを持たない者が、どうして護るものがある者よりも強いのか。
持たざる者には覚悟が、持つ者には強い想いが。その人の為に、生きて帰って来ようと言う強い意思の力が、持たざる者の覚悟すら圧倒してしまうと言うのだろうか。
例えこの世界がどうなろうと、たったひとつの事を護るために。
たった一人を、護るために。
その想いが強ければ強いほど、人は強くなれると言うのだろうか。
「…僕も…」
その先は言葉にならなかった。
ただ傍に居たいとか、自分だけを見ていて欲しいとか、そう言う事では無くて。
何があっても、この人だけは護り通そうとする事が。
ただ、その人がそこに居てくれると言う事が。
「…人を好きになるって、そう言う事だろ。」
そう言って、少し照れたように笑うその人が、堪らなく愛しくて。
「…そう、ですね。」
そう言い切ってくれた事が嬉しくて。
知らず、涙が零れた。
まさか、そこで泣くとは思っていなかったから狼狽えてしまった。
景色を眺めるためのスペースは、照明が控え目に設定されていて、微かな光を反射して虚空に散っていく涙が綺麗で、見蕩れてしまった。
瞬きもせず、声も出さずに流れていく涙を、壊れものに触れるようにそっと拭うと、そこで初めてキラは微笑んだ。
ぼくが、とその唇が動いて。
「…僕が、そう望めば…あなたは応えてくれるんですね。」
そうだよと言う変わりに、柔らかく抱き寄せる。
「…お前がどう思っていようと、俺はお前を護るよ。」
それが自分にとって唯一、この場所に戻ってこようと思った理由なのだから。
せめて、自分に対して誠実であろうと思う。
この腕の中の少年に対する想いに。
自分達が望む、望まざるに拘わらず、世界は動いていくのだから。それがどんな結末を迎える事になっても、後悔はしない。
ただ、この繋いだ手を放すような事だけは。
「…キラ。」
まだ辛いと思うのだろうか。
掠れた声で、はい、と言って顔を上げた少年。
少しだけ不安そうに揺れる瞳を見て、もっと単純な言葉がある事を思い出す。
柔らかな口付けを何度も繰り返して、その名前を囁くように呼び続けて。
「…お前が、好きだよ。」
ただ、それだけを信じて。
次の約束をしようか、とその人は言った。
この戦争が終るまでなんて気の長い話では無く、明日とか、明後日とか。
そんな、ごく近い未来の話。
「…向こうの艦で待ってるよ。」
取り敢えず明日な、と言って笑う。
「落ち着かないんでしょう、ここ。」
無重力ですからね、と言って笑みを返した。
「…実は僕もです。」
居住区ですらごく僅かな重力しか無い艦は、プラント製造特有の造り。不安定なそれに随分苦戦して、結局医務室が一番落ち着くとか、そんな他愛の無い話をして、二人で笑って。
そんな時間の欠片達が、大切で、嬉しくて。
「…帰って来ますよ。」
何処に行っても、あなたの所に。
他には、なにも要らない。
「…僕も、あなたを護りますから。」
約束をした。
保障なんか無くても、信じているから。
だからきっと、帰って来れる。
「…幸せになろうな。」
相当、酷い顔をしていたのだろうと思う。
半壊したストライクを見て、廃墟の中で見つけたその人を見て。
駆け寄った先には、いくつもの血痕がその存在を誇示するように鮮やかで、そればかりが脳裏に焼きついて。
柱を背にして身体を支えるその人は、血の気の失せた顔でそれでも笑みを浮かべてそう言った。
「…なに、言ってるんですかこんなときに…ッ」
初めて、銃を手にして。使わなければいいと思いながら、その場所に近付いて。
大した事無いさ、と言うその人の額には汗が浮いていて、無理をしている事くらいキラにも分かった。それでも、安心させるように繰り返す。
「幸せになろうな…二人で。」
何処までも余裕を持ってそう言うフラガに、苦笑する。
「…プロポーズみたいですね、それ…」
足元を銃弾が掠めていく。
そんな状況でも笑みを浮かべて、そのつもりなんだけど、と言った。