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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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ひとりじめ

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 キラはそうならないでくれよ、と言って大げさに溜息をついた。
「…そう言うのは生活の知恵って言うんですよ。」
 そう言って、二人で笑った。


 なんとなく、手を繋いだ。
 そうして、宇宙を眺めていた。
 ただ繋いだ手の温もりだけが、信じられる唯一の。


「…なあ、キラ。」
 そう呼ばれて、なんですか、と窓の外を見たまま返事する。
「お前…次の約束はしないって言ったの、まだ続けてるのか?」
 ぴくり、と繋いだ手が一瞬反応した。
 小さな溜息が聞こえて、覚えてたんですね、と言った。
「…次を期待してしまうと、戦えませんから。」
 戻れない事が怖くて。
 護れない事が怖くて。
 離れる事が怖くて。
「臆病になっちゃうんですよ…今以上に。」
 あなたのために必ず帰って来るとは言えないから。
 今、目の前のガラスを隔てたその先に漂う欠片たち。その最後の一瞬まで帰れると信じていただろう人たちの名残。
「…少佐は、こう言うふうに思った事、ないんですか?」
 この世界に、たったひとつだけないもの。
「絶対、は無いんですよ。」
 命を賭けて戦場に立つ者達。それは至極当然の摂理で、なにも自分たちに限った事では無いから。
 そうだなあ、とその生きてきた時間を感じさせる言葉。
「…あるよ。お前に会うまでは、俺もそうだった。」
 全く逆の答え。
 そのことがおかしいのか、小さく笑い声が聞こえた。
「俺達にとっては次の保障が無くて当然だったんだから。大切なものは少ないに越した事は無い…それだけ、覚悟が出来る。」
 二人とも、背中合わせに遠い所を見ているような気がした。今、すぐ隣に並んでいるのに。
 繋いだ手だけが、唯一、現実を教えてくれる。
 覚悟ですか、と言ってキラは目を閉じる。
「…こんなに辛い気持ちになるなら、護るものなんてない方がいいと思いました。」
 その先に待っているものがなんなのか、解らない世界。
「…辛い?」
 それが不思議なのか、フラガはそこだけ訊き返して来る。
 辛いですよ、と言って視線をガラスの向こうから引き剥がす。
「…幸せだなって感じる度に、次が無いと思うと。」
 あなたがいなくなってしまったら。
 他人の幸せを奪っているのは自分の両手だと言うのに。
 その自分が、幸せになろうだなんて。
「…自分の事ばっかり、考えてる。」
 自嘲するように笑うと、繋いだ手を引かれて肩が触れた。
「…バカ。そんなの当然だろ。…俺だって、お前が無事に帰って来なかったらって思うと怖いさ。」
 艦と、自分の身を守る事だけ考えろ。
 そう言われたのは最近のはずなのに、随分時間が経ってしまったような気がする。
「…まあな、もっと言えば俺はお前が無事に帰って来てくれればいい。つーよりも、お前だけ無事ならそれでいい。」
 その言葉に驚いて振り向くと、フラガはいつに無く真剣な表情をしていた。
「…本気ですか…?」
 少し呆れながらもそう言い切った人に尋ねると、もちろんと事も無げに返って来た。
「俺はお前に出会ってそう思った。お前だけを護るって…決めた。」
 護るものを持たない者が、どうして護るものがある者よりも強いのか。
 持たざる者には覚悟が、持つ者には強い想いが。その人の為に、生きて帰って来ようと言う強い意思の力が、持たざる者の覚悟すら圧倒してしまうと言うのだろうか。
 例えこの世界がどうなろうと、たったひとつの事を護るために。
 たった一人を、護るために。
 その想いが強ければ強いほど、人は強くなれると言うのだろうか。
「…僕も…」
 その先は言葉にならなかった。
 ただ傍に居たいとか、自分だけを見ていて欲しいとか、そう言う事では無くて。
 何があっても、この人だけは護り通そうとする事が。
 ただ、その人がそこに居てくれると言う事が。
「…人を好きになるって、そう言う事だろ。」
 そう言って、少し照れたように笑うその人が、堪らなく愛しくて。
「…そう、ですね。」
 そう言い切ってくれた事が嬉しくて。
 知らず、涙が零れた。


 まさか、そこで泣くとは思っていなかったから狼狽えてしまった。
 景色を眺めるためのスペースは、照明が控え目に設定されていて、微かな光を反射して虚空に散っていく涙が綺麗で、見蕩れてしまった。
 瞬きもせず、声も出さずに流れていく涙を、壊れものに触れるようにそっと拭うと、そこで初めてキラは微笑んだ。
 ぼくが、とその唇が動いて。
「…僕が、そう望めば…あなたは応えてくれるんですね。」
 そうだよと言う変わりに、柔らかく抱き寄せる。
「…お前がどう思っていようと、俺はお前を護るよ。」
 それが自分にとって唯一、この場所に戻ってこようと思った理由なのだから。
 せめて、自分に対して誠実であろうと思う。
 この腕の中の少年に対する想いに。
 自分達が望む、望まざるに拘わらず、世界は動いていくのだから。それがどんな結末を迎える事になっても、後悔はしない。
 ただ、この繋いだ手を放すような事だけは。
「…キラ。」
 まだ辛いと思うのだろうか。
 掠れた声で、はい、と言って顔を上げた少年。
 少しだけ不安そうに揺れる瞳を見て、もっと単純な言葉がある事を思い出す。
 柔らかな口付けを何度も繰り返して、その名前を囁くように呼び続けて。
「…お前が、好きだよ。」
 ただ、それだけを信じて。


 次の約束をしようか、とその人は言った。
 この戦争が終るまでなんて気の長い話では無く、明日とか、明後日とか。
 そんな、ごく近い未来の話。
「…向こうの艦で待ってるよ。」
 取り敢えず明日な、と言って笑う。
「落ち着かないんでしょう、ここ。」
 無重力ですからね、と言って笑みを返した。
「…実は僕もです。」
 居住区ですらごく僅かな重力しか無い艦は、プラント製造特有の造り。不安定なそれに随分苦戦して、結局医務室が一番落ち着くとか、そんな他愛の無い話をして、二人で笑って。
 そんな時間の欠片達が、大切で、嬉しくて。
「…帰って来ますよ。」
 何処に行っても、あなたの所に。
 他には、なにも要らない。
「…僕も、あなたを護りますから。」



 約束をした。
 保障なんか無くても、信じているから。
 だからきっと、帰って来れる。


「…幸せになろうな。」
 相当、酷い顔をしていたのだろうと思う。
 半壊したストライクを見て、廃墟の中で見つけたその人を見て。
 駆け寄った先には、いくつもの血痕がその存在を誇示するように鮮やかで、そればかりが脳裏に焼きついて。
 柱を背にして身体を支えるその人は、血の気の失せた顔でそれでも笑みを浮かべてそう言った。
「…なに、言ってるんですかこんなときに…ッ」
 初めて、銃を手にして。使わなければいいと思いながら、その場所に近付いて。
 大した事無いさ、と言うその人の額には汗が浮いていて、無理をしている事くらいキラにも分かった。それでも、安心させるように繰り返す。
「幸せになろうな…二人で。」
 何処までも余裕を持ってそう言うフラガに、苦笑する。
「…プロポーズみたいですね、それ…」
 足元を銃弾が掠めていく。
 そんな状況でも笑みを浮かべて、そのつもりなんだけど、と言った。
作品名:ひとりじめ 作家名:綾沙かへる