雪の華
自分はともかく、ここではフラガの容姿は目立つ。地元の人達に観察されている自覚があるのかないのか、ぽつりと呟いて大袈裟に身震いした。
「ええと、案内によるとここからバスに乗るみたいですよ。」
そう言ってキラが歩き始めると、荷物を引きずってフラガがどの位かかるんだよ、と訊いた。
「…バスに乗って二十分って書いてありますけど…」
面倒臭そうな声に苦笑しながら答えると、その後ろから誰かに呼ばれたような気がした。初めて訪れる土地に、知る人がいる筈もなく、不思議に思いながら辺りを見まわすと少し離れた所に立つ初老の男性が視界に入る。
「キラ・ヤマトさん?」
笑みを浮かべてその人は言った。
見覚えのない人。けれど、しっかりとキラを見てそう呼びかける。
「…そう、ですけど…?」
不思議に思いながらもそう答えると、その人は初めまして、と言った。
「弟子から連絡を貰いました。迎えに来たんですよ。」
こちらへどうぞ、と言って促された先には車が止まっている。しばらく逡巡してから、不意に思い当たった。
「…ディアッカのお師匠様ですか?」
さりげなく和服を着こなす男性は頷いて、不肖の弟子ですが、と言って笑う。
話が見えないらしいフラガは、黙って会話を聞いている。今回ここに来る事になった経緯は、その場に居たから知っているし、ディアッカの事も知っている。けれど、師匠と言う単語に首を捻っているようだった。後で説明しますね、と言って不慣れなバスに乗って迷うよりも、気を利かせて連絡してくれたであろう友人の心遣いを有り難く受け取る事にする。
街から少し車を走らせると、途端に山間の風景に変わる。平らな大地か、人工の大地しか見たことのないキラにとっては、珍しいと言うよりも既に別の世界に入り込んだように感じられた。熱心に窓の外を見る姿にフラガは苦笑して、楽しそうだな、と言った。
「…僕、プラント生まれの月育ちですよ。」
本やモニターの向こうでしか見たことのないものが溢れていて、キラにしては珍しくはしゃいでいる。
道の脇や、葉を落とした木の枝に残る雪が目に焼きついて離れなかった。
滞在予定の建物は、実際に着いてみると見慣れたホテルではなく、この土地の伝統を守る古めかしいもので、二人で並んでしばらく言葉もなく見上げていた。
「…なんか、懐かしいって言う気になるなあ…」
フラガがそう呟くのがなんだか似合わなくて、吹き出してしまった。
柔らかな笑みを浮かべる主らしい女性に迎えられて案内された部屋に入ると、正面に大きく採られた窓に駆け寄ってキラは小さく歓声を上げる。
「すごい…」
目の前に広がるのは、冬化粧をした林と、遠く霞んで見える山並み。見た事もない自然の広がる大地に、一種異様なまでの感動を覚える。
「…うーん、知識と実物は違うねぇ。」
冷たいガラスに手をついて、フラガは目を細めた。
案内してくれた女性が淹れてくれたお茶を啜りながら、部屋の隅に置かれたパソコンを借りてキラはディアッカにお礼のメールを送ろうと思った。電話の方が早いんじゃないか、と荷物を引っ繰り返しながらフラガが言って、携帯電話をキラに向かって放り投げる。そうですかと言って番号を呼び出すと、掛ける前に電話が鳴った。
「…あれ?」
相手は今連絡をしようとしていた人で、絶妙過ぎるタイミングに首を傾げながらも通話ボタンを押した。
そうしてその人は意外な事を告げる。
年末と言うのは得てして忙しい。
新しい年を迎える為の準備は万国共通で、それは自分達も例外ではない。ネットですら年末のセールを行い、年内に片付けるべき仕事に勤しむ同僚達に非難と同情の入り混じった視線で見送られながら、プラントを出たのが昨日の事。本来ならば自分だってこの時期は忙しく、評議会議員の父と共に挨拶周りやらパーティーやらに駆り出されているはずだった。
ところが今回は友人に付き合わされて地球に居る。しかもかなり田舎の、ひなびた温泉地に。
どうしてこんな事になってしまったんだろうと、何度目か分からない溜息をつくディアッカを他所に、ここまで来る羽目になった原因であるアスランは楽しそうだった。
「…イザークも連れてきた方が良かったかな。」
年季の入った建物を見た感想を呟くアスランを横目に、携帯電話で先に着いて居る筈の友人に連絡をとる。心の中では既にこれ以上ないくらいの謝罪を並べて。
「…ああ、久し振り?」
ここに着くまでに残しておいた気力は使い果たしていて、随分と疲れ切った声だな、と自分で思いながら久し振りに聞いた声は相変わらず何処かのんびりしていて思わず笑みが浮かぶ。
「…どうしたって、うーん、言い難いんだけど、オレ達も今ここに来てるんだよ。」
びっくりしすぎて理解不能の言葉を叫ぶ電話を少し離してやり過ごすと、短い言葉を交わして電話を切る。
「…アスラン、行くぞ?」
振り返って声を掛けると、物珍しそうに何処か遠くを見ていた同僚は気の抜けた返事をした。
「…どう言う事だろう…」
通話終了を示す電子音が流れるばかりの携帯電話を見つめて呆然と呟くと、取り敢えず鞄を掻き回すフラガを置いて部屋を出た。今下にいるから、なんて言われたら気になる。それに、彼は複数形を使っていた。もしかしたら、親友も来ているんじゃないかと思って。
「…キラ!」
その予想は、階段を降りたところで聞こえた良く知る声で確信に変わる。
「アスラン?」
小走りに近付いてくる親友の向こうから、電話をくれた人が軽く手を上げた。
「…ディアッカも?どうしたの?」
いつものように笑みを浮かべたままの親友は、心底楽しそうに休暇だよ、と言った。
「話を聞いたら、俺も来てみたくなったんだ。折角だから久し振りにキラにも会いたかったし。」
そう言われてしまえば、キラが疑うわけもなく。そっか、と言って笑みを返した。
「…賑やかになったなぁ。」
上の方から降って来た声は少し呆れていて、ほんの少しだけ残念そうだった。そういうところがたまに出る度に仕方ない人だな、とキラは思う。自分よりずっと大人のはずだと言うのに。
「…少佐。」
階段の途中に立ったままのフラガは、すっかり温泉に入る気で一杯ですといった様子で、片手に着替えまで持っている。
「…お風呂行くんですか?」
もうすぐご飯ですよ、と続けるとそれこそ意外だと言わんばかりに溜息をつく。
「おいおい、温泉つったら着いたらまずお風呂でしょ。」
気を抜くと鼻歌まで出そうな勢いで、フラガは楽しそうにキラの横を摺り抜けて行く。
「…オレ達も行こうぜ。折角来たんだから。」
そう言いながらディアッカはアスランに部屋のキーを渡す。
それに曖昧に頷きながら、フラガの遠ざかって行く背中をなんとなく追っていたキラは自分の部屋に戻るために階段を上がる。
宿側の配慮なのか、年末と言う時期の問題なのかは分からないけれど、自分たちのほかに宿泊客の姿はなく、ひとりで広い湯船にのんびりと浸かって緩く嘆息した。校長にも勧めたいくらいだ、なんてぼんやり考え込んでいると、見知った少年たちが入ってくる。
「…あれ、キラは?」