唄う風
普段ならば歩いて移動出来る程の距離だと言うのに車で出たのは、郊外のショッピングセンターに用があったから。必要なものを買い込んでリアシートに納める頃には、太陽が良く晴れた青空の高い所にあった。この時間ならランチは外になるかな、とぼんやりと考えながら、予め許可を貰っておいた駐車スペースに車を入れる。
顔見知りの住人と挨拶を交わし、手許のキーを弄ってドアをロックすると荷物を抱えてエントランスを通り抜ける。
「おや、久し振り。最近ご無沙汰だったから、ついに振られたのかと思ってたよ?」
管理人室の小窓から、初老の男性が揶揄混じりに掛ける言葉に苦笑を返し、目的の部屋までエレベーターで上がっていく。見慣れた部屋番号のドア、その横に、見慣れない子供用のおもちゃが積みあがっている。
「…また買っちゃったのか…」
ここを訪れる時間が取れなかった事は事実だ。
隣家の子供達と仲の良いフラガは、時々気に入ったおもちゃを買って来ては、こっそりとプレゼントしているらしい。こっそり、なのは彼らの両親に対して、だった。キラにはすっかり甥バカか姪バカ、と形容されるようになっている。
崩れかけたそれらを行儀悪く壁際につま先で寄せながら、キラはインターフォンを叩くように押した。不在ならば勝手に入るけれど、今日はフラガが在宅だと言う事を知っている。
「…お、お疲れ。悪いな、買い物まで頼んで。」
程なく開いたドアの向こうで、フラガは言った。どういたしまして、と言ったところで、不意に目に付いたもの。リビングへと続く廊下の片隅に、無造作に置いてあるもの。
「…少佐。」
溜息と共にキラは呟く。ビニールパックに詰められた大量の衣類。明らかに、クリーニングから帰ってきたもの。
「勿体無いからやめようって、決めたんじゃなかったんですか…?」
せっかく洗濯機があるのに、と買い物袋を手渡しながら呆れたように言うと、フラガはあからさまに固まった。
「…いや、アレはちょっとその、事情が…」
その言葉に、キラは片方の眉を少しだけ吊り上げる。
「…事情?」
これまでの事情と言えば。
「また面倒臭くなったんですか?それともクリーニング屋のおばさんに押し切られて?受付けのバイトの子が可愛いから?それとも…」
過去の「クリーニングに出した事情」を並べながら指折り数えて、一番肝心な事に思い当たる。
「…まさか、とは思いますけど…」
慌てるフラガを押し退けて、キラは廊下を進む。バスルームへと続くドアを開けると、そこには薄いグリーンの箱が正面に鎮座している。特に、変わりはない。
「…。」
無言のまましばらく見詰めて、キラは恐る恐る操作パネルに手を伸ばした。覚えている通りに電源を入れて、通常洗濯のコースを選んで、スタート。
しばらく唸っていた機械は、派手に電子音を響かせて沈黙する。
「…やっぱり…」
パネルには、エラーを示すメッセージが繰り返し点滅している。その文字を視線で追う限りは、とても素人が手を出せるようなものではないらしい。幼馴染ならばともかく。
「どうやったら洗濯機を壊せるんですか。」
いくら精密機械とは言え、昨今洗濯機を老朽化以外で壊した人間にはお目に掛かった事がない。少なくとも、今までのキラにはなかった。その稀少価値の高い人間は、睨まれるなり明後日の方向を向いてなんでだろうなあ、などと呟いている。
「…一体いつから壊れてたんですか。」
洗濯機の脇に置かれたバスケットの中身から大体想像は付いたけれど、取り敢えず尋ねてみる。
「うん?えーと、確か二週間ぐらい前…」
それでどうして放って置けるのか。修理に出すなり取り扱い説明書を読むなりすればいいし、普通の人は多分、そうする。どうにも、この人は普通の生活と言うか、何かの感覚に欠けている気がしてならない。
額に微かに青スジを浮かべるキラに観念したのか開き直ったのか、フラガは軽い口調で答えた。
ああもう本当にこの人は、と溜息と共に呟いてから、電話帳、と続ける。
「電話帳、貸してください。業者に頼んだ方が早いです。それから、この細かいものを洗濯しに行くところも探さないと…」
近くにコインランドリーあったかな、と呟きながらフラガはリビングの方へ歩いて行く。その背中に買い物袋、と声を掛けて、キラは目の前のバスケットの中身を近くにあった紙袋に詰め込み始めた。
「…溜め過ぎ…」
洗うのが面倒で、買い足したのだろうと思われる真新しい衣類が混ざっている。横着もここまで来るとある意味立派かも知れない。
限界まで詰め込んで、なんとか一つに纏めた洗濯物を廊下に出したところで、リビングの扉の向こうから独特の冊子を片手にフラガが顔を出した。
「あったぞ、電話帳。…てか、良く詰めたなあ、サスガサスガ。」
その言葉の裏に、主婦の鑑、とでも付いていそうだった。反論する気力も殺ぎ落とされて、キラは溜息を吐く。
「…お昼ご飯の用意と、業者に電話するの、どっちがイイですか…?」
少しだけ皮肉を込めてそう言うと、フラガはとても嫌そうな顔をした。
「来週には見に来てくれるってさ。」
細かな文字を辿って見つけた近所の業者に連絡を取って、子機を片手にフラガはキッチンに向かってそう言った。そうですか、と返事をしたキラは真剣にフライパンと向き合っている。
結局素直に電話係を引き受けて、食事の用意を押し付けた。出来ない訳では無いけれど、自分がやるよりキラが作った方が美味しいから、と言う単純な理由で。
カウンターに頬杖を突いて、慌ただしく作業を続ける背中を見詰める。随分と久し振りだな、と思った。
「…忙しかったもんなあ。」
その呟きは、フライパンに流し込まれた卵が立てる音に混ざって届かなかったのか、キラは半分振り返ってなんですか、と首を傾げる。その間も手が止まらない辺り、一種尊敬に値する。
「幸せな光景だなって言ったの。」
全く別の事を返しながら笑みを浮かべると、キラは微かに眉を寄せた。
「…なに言ってんですか。」
苦笑混じりに呟きながら、出来あがったプレートが目の前に並べられていく。運んで下さいね、と続けたキラはまたキッチンに引っ込んでしまった。
「…お、新作。」
最近、アジアものに凝っていると言う話をしたことを思い出した。独特の香辛料の香りが漂う。
キラは宿舎で暮らしているから、自分で食事を用意する必要がない。にもかかわらず、その腕は落ちるどころかどんどん上がって行くから、一体何処で覚えてくるのかとフラガは心底感心していた。
「…楽しいですよ?」
それを尋ねた時に、キラはあっさりとそう答えた。キラの生活する部屋の、あの狭いキッチンスペースで色々試作しているのかと思うと、なんだか面白い。
テーブルに並んだランチのメニューは、何処かのカフェで出て来そうだった。見た目も申し分無いし、多分味も悪く無いと思う。思うけれど、気持ち、口に運ぶペースが落ちている事を、キラは見逃してはくれなかった。
「…残したり、しませんよね?」
妙に強気な笑顔でそう言った。つまり、その理由が相手にはしっかり理解されていると言う事で。
「…はい…」