君のいる、世界は04
練習機から降りて来たキラに、お疲れさん、と言って、笑みを返すキラがそれほど不安定な精神状態ではない事を確認する。内心で安堵の溜息をつくと、不意にキラはディスクを一枚差し出した。
「…なんだよ?」
受け取って眺めていると、キラは少し強気な笑みを見せた。
「さっきの、模擬戦のデータです。それから、僕が勝手に弄ったシステムが入ってます。」
使い道、あるでしょうと言ってキラはまだへたり込んでいる自分の担当する候補生達のほうに歩いて行った。
「…しっかりしてるなあ、相変わらず。」
その背中に、苦笑混じりにフラガは呟いた。
それは突然鳴り響く。
戦争中は良く耳にした、警報の音。
模擬戦に参加した候補生一人一人に、細かく癖や欠点を指導している最中に、何の前触れもなく格納庫に響き渡った。
「…ッ」
頭が、真っ白になる。
一瞬で甦った凄惨な記憶。胃液が逆流して来て、口許を両手で押さえる。視界が霞んで、身体中が震え始めた。酷い眩暈で、立っている事が出来ない。
「キラ!」
こんな時、いつも助けてくれた人の声が聞こえた。突然蹲ってしまったキラを囲んでいた候補生たちを掻き分けて、フラガは隣りに膝をつく。
大丈夫か、と言ったフラガにほんの少し頷いた。
「…ごめん、なさい…」
絞り出した声は、驚くほど掠れている。抱えられるように支えられて、壁際に腰を下ろした。
コックピットに入ったからだろうか。モビルスーツを動かしたからだろうか。
この基地に異動になってから、何度か聞いた筈の緊急出動警報に、これほど反応した事は今までなかった。知らず、隣にいるフラガのパイロットスーツを握り締める。
「…大丈夫、です…」
ここは、戦場ではない。
麻痺した思考の中で、何度も言い聞かせる。
戦争は、終ったのだと。
警報から数分後、呼び出しを受けた。自分達を呼びに来た教官にあとを任せて、まだ青褪めた顔をしたままのキラを連れて格納庫を出る。向かう先は、あまり足を運ぶ事のないこの基地の司令室だ。
「…大丈夫か?」
先ほどの状態からは回復しているとはいえ、俯いたままのキラに向かって声を掛けると、小さな声ではい、と答えた。
「…大丈夫、ですよ。」
そう言って微笑う。かなり、無理をした笑顔で。
「…バカ。」
頭ひとつ下にあるキラの鳶色の髪をくしゃくしゃと乱暴に撫でて、フラガは呟いた。
あの時の記憶が、そう簡単に思い出になる筈がない。忘れる事は一生ないだろうと思う。フラガですら、その記憶は未だに鮮明なのだから、優しい少年が受けた精神的なダメージは計り知れない。
この場所に戻って来た以上、命令があれば従うしかない。それが軍人と言う職種なのだから。いくら普段は離れていると言っても、自分達は軍人だから。
すみません、と呟いたキラに溜息を返すと、司令室の前で待っていたそれぞれの副官が敬礼する。それを見て、フラガもキラも気を引き締めた。
「…どうしたんだ?」
敬礼を返して尋ねると、フラガの副官は微かに眉間に皺を寄せた。
「また、過激派がお出ましだそうですわ。」
過激派のテロリストが暴れているくらいで、自分達が呼ばれる筈がない。フラガもキラもモビルスーツのパイロットだ。自分達が呼ばれた、と言うことは、それらが必要なほどの事態なのだろうと思う。
同じ事に考えが至ったのか、キラの顔は見る見る蒼白になって行く。
なるべくなら、二度と戦場に出したくない、とフラガはいつも思っている。それはキラも感じているのだろうと思う。参ったね、と呟いて、フラガは並んで立っている副官二人に手のひらを振った。
「…ちょっと、むこう向いてろ。」
言いながら、微かに震えるキラの肩を抱き寄せて、柔らかく口付ける。知らず、噛み締めていた唇は微かに血の味がした。それを解すように何度か繰り返すと、キラは窘めるようにフラガの胸を叩いた。
「…なんて事するんですか…」
極近い所で、キラは呆れたように呟く。それに笑みを返して、フラガは大丈夫だよ、と言った。
「俺が護ってやるって、ずっと言ってるだろ。」
それは、あの時から今も、変わらない大切な誓いなのだから。
別の意味で、思考は真っ白になってしまった。緊急呼び出しを受けていると言うのに、なんて事をするのだろう。
恥ずかしげもなく軽く笑ったフラガは、明後日の方を向かせていた副官二人を手招きして、司令室の扉をくぐる。微かに赤くなった頬を軽く叩いて、キラも室内に足を踏み入れた。反対側の一歩後ろに付いた自分の副官が、非常に面白くなさそうな顔をしているのが可笑しくて、小さく笑った。
手段はともかく、キラを苛んでいた記憶は遠くに押しやられてしまった。お陰で、幾分冷静に話を聞く事が出来る。恐らく、自分達が呼ばれたと言うことは、テロリストの鎮圧にモビルスーツが必要になったのだろう。けれど、なぜ自分達なのか。通常勤務している兵士達の中に、パイロットは沢山いるはずだと言うのに。
その疑問は、室内に入ったとたん視界に入ったモニタと、その前に立つ校長の姿を見て解決する。
「…校長…」
老人は、小さく頷く。
その人は、キラがコーディネイターである事を知る一人。この基地内で、極僅かな人間だけが知る、キラの本当の経歴と、隠された機体の関係。それを知る、恐らくここにいる人間の誰よりも高い地位にいる老人。
その人がここにいる、と言うことは、キラのコーディネイターとしての力が必要になったのだと言う事で。
「…講義中に呼び出して済まなかったね。」
老人は、司令官よりも先に口を開く。誰もそれを咎めない。普段は、自室で鉢植えを弄っている老人が、この基地内で最高位にいる事を良く知っているからだ。
いいえ、と答えてキラはその後ろのモニターを見つめる。
「見て解ると思うが、この通り、相手はどうやらコーディネイターのようだ。モビルスーツの動きを見る限り、ここにいるパイロットの中で対応出来そうな者は君達しかおらん。…頼めるかね。」
フラガは、なにも言わずにキラを見ていた。恐らく、校長の言った事は良く解っているのだろう、ただ、個人としてキラがそこに赴くと言う事に賛成出来ないに違いない。
モニターの中は、多少荒れてはいても何があるのかは鮮明に映し出されていた。キラも何度か訪れた事のある、街の中心に立つ市庁舎。その周りを囲むように、かつての戦争中にザフトの主力として投入されたモビルスーツ、ジンと空中戦用モビルスーツ、ディンの姿。例え地球軍で開発されたナチュラル用のシステムを組み込んでも、ここまでの動きが出来るのはナチュラルの中ではフラガくらいだろう。
「…元、パイロットのようですね。」
確認出来るモビルスーツは全部で五機。きちんと統制がとれていて、訓練された者特有の動きを見せている。戦争が終って、行き場のなくなった兵士か傭兵と言った所。
「…ザフトには、連絡を?」
黙って聞いていたフラガは、そこで不意に口を挟む。ザフト、と言う単語に、キラの頭の中に親友の姿が浮かんだ。
フラガの言葉に老人は頷くと、隣に立つ司令官は手にしていた通信記録を読み上げる。
作品名:君のいる、世界は04 作家名:綾沙かへる