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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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 望美は、後白河法皇が寄越した女房らしき女性に、舞のための衣裳に着せ付けられていた。背中から帯を引く人に任せて、彼女は一人、目を閉じる。
「苦しくはございませんか?」
 ふいに訊ねられて、ええ大丈夫です、と微笑んで応える。ではもうしばし堪えてくださいませ、と女房はまた、着付けに取り掛かる。
 思えば、こうして人前で舞を披露するのは、五年振りのことになるのではないだろうか。以前も、この神泉苑で舞ったのだ。まだ、泰衡と出会ってもいない頃だ。名すら知らなかった。
 不思議だ、と思う。五年という月日で、全てが変わった。生きる世界も、心に秘めた決意も、誰かを愛する思いも、変わった。
 ――約束だ、と言う低めの声に告げられた、その言葉。
 小さな灯明に照らされた泰衡の掌の上に、それはあった。泰衡は望美をまっすぐに見て、約束だ、と言った。
(分かってる、泰衡さん……)
 破ってはいけない約束だ。だから、望美はこの京に、こうしている。
 やがて着替えが終わり、女房に舞扇を渡され、ようやく神泉苑の池の前まで案内された。そこには既に、思っていたより多い観客がそろっていて、その中には当然、後白河法皇の姿もある。さらにその隣に在るのは、数年振りに姿を見ることとなった源頼朝その人だ。少々年を取ったように見える姿だが、それゆえに以前よりも増した威厳を感じる。
「景時さん――」
 その背後には、かつてともに戦った人の姿も見つけた。奥州での合戦の折には、完全な敵対関係となってしまった人だが、今でも彼は、望美にとっての大事な仲間だ。
 望美が彼に気づいたことに、景時も気づいたらしい。少しだけ口元に笑みを見せたようだ。
「これはこれは、美しい」
 満足そうに声をかけてきたのは、今回、望美をこちらまで招いた張本人だった。膝をつき、頭を垂れる。
「法皇様、お招きありがとうございます」
「長らく待たされたものだったが、ようやく陸奥守も己が妻を人に見せる気になったようだ」
 陸奥守とは、泰衡が亡父から継いだ地位だ。その泰衡が、果たして度重なる法皇からの、望美を舞人として京へ寄越せと言う要求に対してどう断っていたのかは知らないが、大事な妻を人目に曝したくないという思いだった、と法皇は考えているらしい。
(まさかそんなんじゃないと思うけど)
 もちろん、心配したからというのはあるのかも知れないが、それ以上に、京などに妻を遣って、これを楯に取られて朝廷からあれこれ今まで以上に多くを要求されるのは適わないと考えていたのではなかろうか。ただでさえ、平泉から京へは多くを貢いでいるのだから、これ以上を求められるのは望ましくない、と度々泰衡も愚痴のように漏らしている。
 今回のことは、特別の理由がある。
「申し訳ありません、法皇様」
 しかし、ここは殊勝に謝罪する方が適切だろう。
 後白河法皇は、気にすることはない、と笑って見せた。腹の底で何を考えているのかは知れないが、今は何か企んでいるという様子を見せていない。
 では、と法皇が高く声を放つ。
 法皇らの傍を離れ、望美は数年振りに、舞殿の上に立った。扇を袖から取り出し、背をまっすぐに伸ばした。
 雨乞いの舞、一度ここでこうして、訳も分からず舞ったことがある。けれど、あのときは小さな子どもの姿をした白龍が傍に在って、心に問いかけてきた、雨が降ることを望むのか、と。これに応えたとき、僅かばかりの雨が、辺りを濡らしたのだった。
(もう、白龍が私のために、私の声を聞いて、そんなことをしてくれるはずはないんだけど)
 それでも、今は舞うしかない。
 ――誰にも、怪しまれないために。この舞のために、京へ上ってきたと思わせるために。
 人々の視線を感じる。法皇はもちろん、熊野別当、そして鎌倉殿がこちらを見ている。他にも多くの人々がこちらを見ている。
 耳を打つ楽の音色、水面を揺らす風の感触、舞う己の着ている衣の衣擦れ、けれども、神の来訪を告げる鈴の音は、彼女の耳に届かない。
(私は白龍の神子だった、でももう、過去のことだ)
 常にともに在った白龍も、龍の姿を取り戻して、天へ還った。彼女もそのときから、神子ではなくなった。何かある毎に聴こえてきていた鈴の音が響いたことはない。それは、悲しいことで寂しいことで、そしてきっと本当は喜ばしいことなのだ。神は天に戻り、歪んでいた世界は清浄に戻った。
 昔、白龍は望美の言葉をよく聞いた。彼女の願いを叶えたい、と純粋に言ってくれた。けれど、今の白龍は、誰のものでもない、誰か一人のために存するのではない。白龍は、この国を守っている。この国の全てを守るためにいるのだから、望美一人の声を聞くわけがないのだ。
 やがて舞は終わり、望美は息をつく。静まり返る場に、一度丁寧に頭を下げてから舞殿を降りた。法皇の御前にては、そこで深く礼をした。
「雨は降らなかったようだ」
 法皇の言葉に、望美はもう一度頭を垂れて見せた。
「私は既に、神子ではありませんので、龍神もすぐにはこの声を聞いてくださるわけではなくなりました」
「そうであったか。――いや、しかし以前にも増して、見事な舞であった」
「勿体ないお言葉です」
 謝礼の言葉を述べてから、彼の人の御前を辞す。
 着替えのために、神泉苑の主殿の奥へ戻る。白拍子の姿では、この後も続く儀式に列する気にもなれない。何しろ、袴の裾が邪魔で動き難いのだ。袖も舞ったときに広がりを持たせるために長いので、元の装束の方が楽なのだ。先程手伝ってくれた女房には、一人で大丈夫だと告げて出て行かせると、今度は気楽に自分で着替えた。
 それから、早々に宴の席まで出ようとした。しかし、主殿を出たそこに、見覚えのある人が佇んでいたため、駆け出そうと踏み出した足を、そこに踏み留めた。
「景時さん」
「……望美ちゃん、久し振りだね」
 少しだけ、複雑そうに見える笑顔をしている景時は、そっと近づいてきた。
「もう四年振りになりますよね」
「そうだね」
 彼は、仲間だった、そして、敵でもあった。
 それでも、戦はとうに終わっている。失ったものは多いけれど、今は笑い合うこともできるはずだ。それでも、長く顔を合わせることも、互いに文をやり取りすることもなかったのは、立場がすっかり変わってしまっているせいだ。
 望美は、奥州藤原氏が当主の妻であり、景時はその敵対した源氏に仕える人間なのだから、親しくするというのもおかしなことだ。過去を水に流すことができるとしても、望美自身の立場上、好ましいと思われなかった。
「君が、元気そうで良かった」
「そう見えますか?」
「うん。……あ、でも、ちょっと疲れてる?」
 少し驚いた。彼はやはりよく気のつく質の人だ。疲れていると言えばそのとおりだが、それよりも強いのは頭の奥に残る眠気だ。
「ちょっと、寝不足気味で」
「あ、そうなんだ、大丈夫?」
 緊張していたのかな、と問われて、そうかもしれません、と笑って応じる。
「でも、法皇様が仰ったけど、やっぱり望美ちゃんの舞、前より素晴らしかった」
「ありがとうございます、景時さん」