さようならと告げる鳥の聲が聴こえる
かつての戦において、将としての才気を見出された銀が、泰衡の指示を仰ぐだけの立場にされるとは思えない。彼もまた、兵卒を率いる将となるのか。既に銀は泰衡からそう指示されているのか。しかし、将が軍議に行かぬというのも妙なことだ。確かに、他の郎党を傍につけられるよりは、望美としても銀が来てくれる方が親しんでいるために、安堵するところはある。けれど、それにしてもおかしい。
銀をこうして望美につけてでも、外に出したくない理由があるのではないだろうか。命が危ういのではなく、もっと他の何かがあるような気がしてきて、よく今の状況を考えている。
「――そうか、軍議」
望美は呟いて、そして銀の顔を窺いながら、口にする。
「そうか。泰衡さんは、私が軍議に顔を出すのを嫌ってるのね」
「奥方様……」
ますます困った表情になる銀に、念押しのように、そういうことなのね、と確かめるものの、彼は僅かに頭を垂れるのみだ。答えられないと言うことは、決して的を外した考えではないことを示している。
「わざわざここまでしなくても、来るなと言うなら行かないけど。でも、それほど来て欲しくないってことは、何かあるってことだよね」
独り言のように口にしていると、銀はひたすら困惑した様子で、奥方様、と呼びかけてくる。銀を困らせたいと思っているわけではなかったが、どうにも解せない。
泰衡が何故、望美をここまでして軍議から遠ざけるのか、考えていると、途端に不安が押し寄せてくる。
居ても立ってもいられない。そう、泰衡も言っていたとおりだ、知れば不安になり落ち着いていることもできない、ただ焦るばかり。思わずすっくと立ち上がった。
「お、奥方様……?」
「行くよ」
「どちらにでございましょう?」
「そんなの決まってる。柳ノ御所だよ」
「なりません、奥方様」
銀は飛び出そうとする望美の前に、するりと立ち塞がる。目の前に伸びた腕を、やんわりと触れて下ろさせると、銀にしては珍しく、溜息をついた。
「どうしても行かれるのですか?」
「嫌な予感がしてきたの。泰衡さんは、私の望まないことをしようとしているんじゃないかって、そう思えてならない」
武家の妻が軍議に出るというのも、あまり通常のことではないだろうが、望美は異なる。武士らとともに鍛錬し、ともに戦える女武者なのだ。戦に出向く身であれば、しかも総大将の妻であれば、軍議に参加するのはおかしなことではない、はずだ。当然、泰衡が望美からの余計な発言がある可能性を思い、遠ざけているのかも知れない。だが、それ以上に何かあるのではないか。
望美は、憂うような顔をする銀を見上げる。
「泰衡様はただ、奥方様を大切に思っていらっしゃるのです。それゆえなのですよ」
切に訴えるような声だ。何かある、とひたすら望美に、不安と焦燥感を植えつけるようなものでもあった。それゆえ、と銀が言う。泰衡が望美のために何か考えている。それは、彼女が望まないことであっても、泰衡の想いゆえのものだから、だから、受け入れろということか。
「銀は、泰衡さんが何をするか、知っているのね?」
「全てお伺いしております」
「でも教えてはくれないのね?」
「口止めをされているわけではありませんが、泰衡様から直にお聞きになる方がよろしいことかと存じ上げます」
望美は、銀の脇をすり抜ける。とうとう、銀もそれを止めなかった。その代わり、望美の後をついて来る。
彼に何も言わず、柳ノ御所へと向かい、足早に急ごうとした。しかし、門衛が厳つい顔をして外を見張っていたが、望美たちが近づくなり、驚いたように目を剥いた。二人の門衛の間をすり抜けようとすれば、逞しい腕に制される。
「奥方様、お待ちください」
「通しなさい」
「なりません。今御館(いまのみたち)より言いつけられておりますゆえ、奥方様はどうぞ中ににお戻りを」
眉を顰め、門衛を睨んだ。今御館――泰衡からのそのような命令は、ここまで徹底していたか。伽羅御所すら出さないようにしていたらしい。
「奥方様をお通しください」
すると、脇から突然、銀が門衛に向かい、請うた。驚いたのは門衛の方で、銀殿が何を仰る、と慌てた。望美も僅かに目を見開いて、思わず銀の横顔を見上げた。
「銀……」
彼は望美に微笑みかける。けれどもすぐに、その笑みは消え、真剣そのものの顔で、門衛をまっすぐに見た。
「泰衡様からの叱責は私が受けましょう。ですから、奥方様をお通しください」
門衛は半ば茫然とした様子で、そろそろと道を開ける。望美は、ごめんね、と告げながら、その間を通り抜ける。すぐに銀も背後から追いかけてくる。
「銀、ありがとう」
「礼には及びません」
彼は優美な笑みを見せてくれる。だが、門衛も驚いていた。銀が、泰衡の命令に背くことなど、今まであり得なかったからだ。
「でも、泰衡さんに怒られちゃうでしょう? ううん、できるだけ怒られないように、私が泰衡さんを説得するけど」
「奥方様のための叱責ならば、いくらでもお受けいたします。それにやはり、奥方様は今、知るべきなのだと、私も思うのです」
知るべきとは、何なのだろうか。やはり望美の想いとは全く違うことになるのか。
やがて柳ノ御所に辿り着いた。門を通ろうとしたところで、やはり奥方様と引き止められる。
「今御館より、この先に奥方様を入れるなと命じられております。どうぞ、これ以上はご容赦ください」
泰衡のやりようは、随分徹底しすぎている。それほどのことなのか。
「大袈裟すぎるんじゃない?」
喧嘩腰に門衛を睨むと、相手は少々怯んだ様子を見せるものの、さすがに政庁を守る武者だ、きりと表情を引き締め、いいえ、と応じる。銀に助けを求めるような視線を投げると、彼もまた、困ったように眉を垂れた苦笑を見せる。
「大袈裟かもしれません。ですが、今は奥方様をどうしても、ここに入れたくないとお考えなのでしょう」
泰衡が望美を大切に思う心ゆえだと、銀は話していたけれど、これでは嫌がらせにも近いのではないかと感じてしまう。
もう一度、挑むように門衛を見る。
「あなた方が叱責を受けないよう、取り計らいます。あの人の怒りは全て私が引き受けるから、どうか通して」
「どれほどお心を尽くしてくださるとお約束いただきましても、できぬことにございます」
ここの門衛は、折れない。実直なことで、褒めてもいいのだろうが、今はそれも難しい。
それなら、と望美は己の腰に手をやる。何があってもいいように、常に、腰帯に挟んで、短い刀を佩いている。これを、すらりと抜いた。さすがに、門衛たちは息を飲む。
「通さないと言うなら、無理にでも通してもらうから!」
宣言すると、すぐさま門衛に向かい、斬り込む。わあと声を上げ、門衛の一人は後退りする。彼もまた、腰の刀剣に触れるものの、だが、躊躇いながら手を離した。よもや、主の妻を傷つけるわけに行かない、と考えたのだろう。卑怯なことこの上ないが、それが狙い目だ。
「通しなさい!」
さらに刀を振るうと、彼女の腕を取ろうと、門衛は彼女の攻撃を避けながら、近寄ってくる。望美も、そうはさせじと、それこそ舞うような動きで翻弄する。
「奥方様!」
作品名:さようならと告げる鳥の聲が聴こえる 作家名:川村菜桜