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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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「何だろう?」
 ますます分からなくなってきた。不安もさることながら、緊張感も増す。
 望美と銀がとうとう柳ノ御所の門前までやって来ると、門衛たちは心得たように頭を下げてくる。初めの頃はそのように丁重に扱われていることの分かる他人の仕種に戸惑いばかり覚えていた望美だが、さすがに三年以上経てば慣れる。ただし、今はそれが平素より恭しい様子に映る。中では一体何が行われているのか、不安が増大しそうだ。
 ゆっくりと御所へ足を踏み入れる。勝手知ったる建物だが、今日ばかりは銀の案内を受けて、奥へと向かう。泰衡が執務を行う部屋ではなく、人を招くべくある部屋へと向かっていた。
 この御所へやって来るときは、大抵、こちらが勝手に泰衡に用事があるとして訪れることが多かったため、改めてこうして召喚されると、また居心地が違うように感じられる。勝手に上がり込んだときの方がよほど気楽だとは、全くおかしなことかも知れない。
 下がった御簾の手前で、銀が一度歩みを止める。望美もまた立ち止まり、息を一つつく。中には幾人かの人の気配と、何か話し合う声が聞こえてきていたが、
「泰衡様、奥方様をお連れいたしました」
 銀が声をかけた途端に、それらは途切れる。静かだ。
「通せ」
 短く命じる泰衡の声に、銀はこちらを見ると、軽く頭を垂れて見せながら、下がっていた御簾をするりと上げる。望美も、長い衣の袖を押さえながら、頭を下げて中へと進む。裾と袖の長い装束は、泰衡の妻となった折にはまだ着慣れず、一歩行くのにも難儀していたが、今はそんなこともなく、それと同様に、こういった場での所作も身についている。
 縦に長い部屋には、両脇に数人ずつの郎党の姿が並んでいて、上座には彼女の夫が座している。最も彼に近い位置には、国衡が在る。皆、頭を垂れながら望美が泰衡の目の前へ彼女が到達するのを出迎えた。望美は、普段よりずっと丁寧に、一歩ずつを踏み締める。泰衡の目の前にある円座を見つけ、その手前で彼女も頭を下げてから、泰衡が首を縦に振るのを確認し、座る。
 真正面から見る泰衡の顔は、相変わらずの仏頂面で、見慣れているとは言え、こういった場になると、妙な威圧感を覚えてしまう。周りからの視線も痛かった。
 ちらりと、その目を泰衡の右脇に投げる。目が合ったのは、国衡だ。泰衡と母親の違う兄で、二人はあまり似ていない。それは外見だけでなく、性格までも言えることだ。国衡の方が、ずっと気安い人で、彼とは親しく話したことが何度かある。望美の視線に、彼はその心中を汲み取ったのか、僅かに笑いかけてくれた。少しほっとしたのも束の間、もう一度見やる夫は、やはり堅苦しい表情だ。
(こういうとき、察してくれるのは夫であるべきじゃないの?)
 本当に、そういったことが下手な人だ。とうに諦めていることだけれど、今さら不満に思うことすら莫迦なことだけれど、それにしても何やらがっかりしたくなる。
「お呼びと聞き、参じました。どのようなご用向きにございますか?」
 意を決し、ともかく訊ねてみる。こんな口調は彼女らしいものではなかったが、奥州藤原氏当主の正妻たるもの、この程度演技じみてやって見せなくてはならない。夫がそれを当然のこととして求めるのだから、致し方あるまい。
 泰衡は一つ頷くと、僅かに躊躇うかのように間を空けてから、口を開いた。
「お呼びしたのは他でもない、あなたに京へ赴いて頂きたいのだ」
 一息に言われ、はい、と頷いてしまいそうになった。しかし、留まる。
 目を瞬き、しばしたった今の夫の言葉を、脳裡で幾度か反芻した。そして、首を傾げ、もうしばし考える。
「……京?」
 懐かしい地の名を聞いた。
 生まれ育った世界からこちらの世界へ流されてきたとき、初めに暮らしたのは京だった。その後は転戦を繰り返したこともあったが、以前ならば最も落ち着いて暮らせた場所だった。
 しかし、解せない。
「何の用で?」
「後白河院のお召しだ。白龍の神子に、雨乞いの舞を所望でいらっしゃる」
「舞ですか」
 昔、京にいた頃、日照りが続くがゆえに雨を降らせる舞を、後白河法皇の前で披露したことがある。あのとき、ほんの少しだけ、白龍が雨を降らせてくれたのだった。けれど、今は既に白龍も力を得、元の龍としての姿を取り戻し、天へ帰ってしまった。望美は今も白龍の神子であるとは言い難い。白龍が望美の舞を見、声を聞き届けるかは、分からない。しかし、後白河法皇はそういったことを理解していないだろう。
「でも、どうして急に私に? 今までだって、京が日照り続きだというときも、呼ばれたことはなかったのに」
 後白河法皇に舞を見せたのはあの一度きりで、しかももう数年前のことだ。今さら、わざわざ声がかかるには理由があるように思えた。泰衡は、溜息じみたものをついて、いや、と言う。
「今までも幾度か、同じように求められたことはある」
「え、でも」
 聞いたこともない。
「その度に断っていただけだ」
 望美に話すこともなく、声がかかる度に、それはできぬと答えていたわけか。
 断った理由を聞きたいと思うが、今はそれよりも気掛かりがある。
「それなら、どうして今回は?」
 今まで断っていたのなら、何故今回ばかりは、そうしないのだろうか。もちろん、朝廷の申し出に逆らうことなど本来であれば良くないことのように思われるし、受け入れるに越したことはないだろうが、それにしても泰衡にしては奇妙な判断だ。
「その舞を見せる宴に、源頼朝も招かれている」
「……頼朝さんが」
 そうだ、と深く頷く。
 源頼朝は源氏の棟梁であり、鎌倉やその周辺の武士を束ねるまでになった男、そして以前の戦における敵将だった人間だ。
「今、鎌倉の動向がきな臭い」
 望美は思わず、目を見開いた。
「どこかで戦があるっていうことですか?」
「まだ分からぬ。だが、何もないということはないだろう。だから、あなたには京において鎌倉殿の動向を探って頂きたい」
 つまりは、間諜の真似事でもしろということのようだ。
 望美が平泉に来てから後、泰衡にこうしたことを命じられたり、頼まれたりすることはまずなかった。彼はそういったことを、彼女にさせるのを避けている節があったと言ってもいい。それを、今回ばかりはどうしたことか。それほど、鎌倉の動きが怪しいということなのかも知れない。それも、他人事で済ませられるわけでないように思える。
(火の粉は、奥州にも降りかかるのかも知れない……そういうこと?)
 訊ねたかったが、場の雰囲気がそれを許さない。郎党たちが皆、望美の返答を待っているのが分かる。そして、余計なことを話したくないというようにも感じられる。ただ、待つ。空気が重かった。
「……私一人ではありませんよね?」
「ああ、銀を筆頭に、武士を幾人かつける。よもや、以前のように徒歩で行かせるわけがない」
 平家と源氏が戦っていたとき、あるいは鎌倉に追われるようになり、平泉まで逃走してきたとき、望美は当然、徒歩で移動したわけだが、今はその際とは事情が異なる。既に奥州藤原氏が当主、泰衡に嫁した身だ。よもやそのような旅をさせるわけに行かぬ、ということだろう。
(一ヶ月はかかる……)