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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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 京への行き来には、それだけの時間がかかるだろう。しかも、源氏の事情も探ってこねばならぬなら、そう簡単な話でもない。泰衡が望美に、こういった政や戦の関わることを依頼するなら、それだけ重要なことだと認識した方が良さそうだ。己の妻を遣わすなど、頼朝以外にやってのける人はそうそういないはずで、泰衡はどちらかと言えば常識人、それを曲げても行おうと言うなら、望美にも相応の覚悟が必要だ。
 望美は指を床について、頭を下げる。
「承知いたしました」
 こう応えた途端に、辺りの重い空気が、僅かに軽くなったように感じた。
 けれどゆっくりと顔を上げ、まっすぐに見た泰衡の表情は、それまで以上に堅くなっているようだった。



     ***



「心配なのでしょうな」
 柳ノ御所を辞した望美に、伽羅御所までお送りしよう、と申し出てきたのは、それを本来命じられているはずの銀ではなく、国衡だった。弟と全く違うのは、雰囲気も同様だ。少し豪快な性格をしていて、ともすれば大雑把にも見えるのだが、その実、他人の心の機微には敏感で、気遣いも自然とできる人だ。そういう意味で、泰衡は他人の感情に鈍感ではないのに、気遣いは下手だと言い切れた。そういう人を夫にしたのは自分自身だけれど。
 帰る道々、隣を行く国衡に言われたことに、目を瞬く。
「心配、ですか」
「ええ」
 国衡は、彼にしては珍しくどこか困ったような笑い方をしている。
「泰衡さんが、心配してるってことですよね?」
「そのとおりです」
「何を心配しているって言うんですか?」
「もちろん、神子殿のことですよ」
 今も望美を、神子殿と呼ぶ人は――不器用なのでなかなか直せないと以前に笑って言っていた――、当たり前のことのように言ってのける。
「私のことを、心配してるってことですか」
「ええ。それはもう、とても心配しているのだと思いますよ」
 そうなのだろうか。望美は少し首を傾げる。おやおや、と国衡は笑った。
「院から再三、あなたを遣わして欲しいと言われ、拒んできたのは、心配していたからですよ」
「それは、分かります。でも、心配と言うより、自分の妻を京に送るようなことは、普通はあまりないからじゃないんでしょうか」
 地方を治めることを朝廷から認められた人間のその奥方が、夫を伴わずに一人、都を訪れることはまずないだろう。使者に立つということも普通はないはずだ。朝廷に与するとは言え、己が妻の上洛を認めるものだろうか。そも、ここから京は遠い。
「今回は、私、普通に京に行くより、危ないことになるかも知れないわけですし」
 こういうときに使命を携えて旅立つ方が、心配がいや増すことだろう。それを、今回ばかりは行ってくれ、と言う。心配と言われてもあまり実感が湧いてこない。
 いや、と国衡はまた困ったような笑みを見せる。
「今回ばかりは、苦渋の選択なのですよ」
「それも分かってます」
 驚いたけれど、決して不満ではない。泰衡から命じられ与えられた役目が、心底から厭わしいわけではなかった。ただ、疑問なのだ。
「今回のことは、泰衡さんも本意ではなさそうでしたね」
 望美が、受け入れると頷いたとき、彼は満足そうには見えなかった。元々快い感情は滅多に顔に出ない人だが、それにしても、あの不愉快そうな表情は、受け入れられた人間のするものではないだろう。
「私としても、我らが当主の奥方を京へ送るなど、本意ではないのですがな」
 国衡まで、泰衡のように眉を寄せる。
「それでも仕方がない。我らが理由なく京へ行くわけにもいかない」
「だから、ちょうど呼ばれている私が行くことを選んだんですね」
「……そのとおりです」
 頷きたくないのが本心であるものの、頷かざるを得ないため、国衡は躊躇いながら肯定する。
 京へ行き、鎌倉の出方を探る。危険を伴う可能性は高い。
「深入りはせんで構わないのです。ただ、もしかすると鎌倉は朝廷に何か仕掛けていくかもしれません」
「そうでしょうね」
 あの頼朝も、宴が好きなようには見えない。敢えて呼ばれて参加するのならば、そこには何か思惑のある可能性が高い。そうなれば、これまでの動向も怪しいのだから、ますます一歩踏み込んだ行動を取らねば、ともすると奥州の命運が奪われかねない。泰衡たちは、鎌倉との戦以来、僅かの情勢の変化に敏感だ。滅多に政について話す人ではないが、時折、帰館した泰衡から、そういった話を聞くこともある。
「戦になるんでしょうか?」
「まだ分かりません。我らの杞憂かも知れぬとも」
 そうだといい、と彼も思っているようだ。望美も、二度とこの奥州に戦火が及ばねばいいと思っている。悲しく辛い思いをするのは、もう終わりにしたい。鎌倉と奥州では和議が交わされている。それが、覆されないことを祈るばかりだ。
 そのために、それが確かなものであると安堵するために、望美は京へ行くことになる。
 風に散った桜の花弁が、雪のように降ってきた。手を差し伸べて、返した掌に載せてみようとするが、指先に触れてまたどこかへ落ちていってしまう。
「私には、難しいことは分かりません。でも、できれば戦なんてない方がいい。奥州だけじゃなくて、よそであっても、そんなことは起こらない方がいい」
「そのとおりですな」
「鎌倉が、もしも本当に何かしようと考えているなら、それを防ぐ方法が戦以外にあるんでしょうか?」
「……神子殿」
 驚いた、そう言いたげな国衡の顔を顔を見上げる。
 京で、もしも本当に望美が頼朝を探り、何か戦でも起きるような事柄を知ってしまったとして、それを止めるには、戦う以外にどうするのだろうか。望美は政治のことを知らない。それゆえ、どうなるのかは皆目見当もつかない。武器を取って争わず、解決する方法があるのだろうか。それを、泰衡はどう考えているのだろうか。数年をともに過ごしてきた夫のことだが、彼がそういったときに何を考えるのかまでは、まだ理解に至らない。彼女が知っているのは、泰衡とて戦を好んでいないということだ。しかし、それでも戦となれば冷酷になるしかない、そういう面も持っている。最小限の犠牲で、最大限の効果をもたらそうとする、それがどれほど残酷なことでも、その胸がどれほど痛もうとも、実行してしまう人だ。
(だから、私は傍にいたいと思うの)
 あの人は心を痛めていることすら、表に出そうとしないだろう。そのような心は持ち合わせていないと、宣言さえしてしまうだろう。望美は、せめてその心の内、本当の気持ちを汲み、そういう彼の傍に在りたい。あなたの傷を私は知っている、だからここでは隠さずにいて欲しい、そう言って、彼を包める存在でありたい。
「京には、素直に行くことができます。不安はありますけど、泰衡さんが私に命じたことだから、私はそれを成し遂げたい」
「――さすがは、泰衡殿がお選びになった女人だ」
 感嘆したような国衡の言葉に、望美は微笑む。それほど立派な人間ではない、ただ好きな人、愛する人の力になりたいというだけのことだ。それは、どんな女の中にもある思いではないだろうか。



     ***



 怪我をしていて、体を思うように動かせない。泰衡は、そんな望美の肩を抱いて支えてくれている。