さようならと告げる鳥の聲が聴こえる
武者は心強く思ったのか、それまで沈んでいた表情を、僅かに明るいものへと変え、御意、と深く頭を下げ、また慌てた様子で退出して行った。引き止めて、休んで行くよう伝えたかったが、あの様子では、すぐさま平泉に戻る気なのだろう。
せめて水の一杯をあげて、と出て行く武者を追うように、菅生に言いつけると、部屋には朔との二人きりになる。
「前と違って、頼朝さんが出てきている影響は、大きいのかな」
「そうでしょうね……」
阿津賀志山で負けたからと言って、この先も負け続けるわけではない。泰衡がそのようなこと、良しとしないだろう。奥州も粘るはずだ、そこに勝機を見出すはずだ。九郎と弁慶も戦に加わってくれるというのだから、きっと良い方向へ変わるだろう。
大丈夫、と自分のために呟いた。
胸元に触れると、そこに硬い感触はある。白龍の逆鱗を、密やかに懐に隠している。使うわけではない。手を離れた場所に置いておくのは、己の住まいではないため、不安になるからだ。
国衡も忠衡も亡くなった。本当なら、時空を駆けて舞い戻りたい。全てを変えてしまいたい。だが、できない。
――約束だ。
泰衡に、堅く誓った。小指と小指を繋いで、約束をしたのだ。
婚姻の夜、父の命に手をかけたと、己の罪を語った泰衡に、望美も全てを打ち明けた。白龍の逆鱗を彼に見せ、これを使って全てを変えたのだと告白した。
驚愕していた泰衡だったが、それでも、望美の語る全てに耳を傾け、静かに受け入れてくれた。
そうして、
「もう二度と、それを使うな」
厳しく、そう言った。
「他人の運命を、あなたが変えていいはずはない。もう白龍は天へ還り、あなたは神子の役目から解かれている。神の力は、もう必要ない」
うん、と望美は頷いた。
「約束だ」
彼のまっすぐに自分を見ているその瞳を見つめ返した。
望美が右手を差し出し、小指を立てて見せると、泰衡は怪訝そうな顔を見せる。それで、少し笑いながら、
「約束するときは、こうするものなんですよ」
彼の右手を勝手に引いてきて、その小指と自分の小指を強引に絡ませた。
「もう二度と、使ったりしません」
誓う言葉に、泰衡は深く頷いて返した。
だから、泰衡の妻となってからの望美は、封印するように、櫃の中にこれを隠していた。そうして、時を過ごしてきた。
けれど今、あの頃のように戦乱に巻き込まれた愛すべき地を、救うために使いたい。そう望んでしまいそうだ。けれど、他人の運命は望美が決めるものではない。望美が運命を変えることで、生きるはずの人が命を落とすこともある。それは、確かな罪だ。
だから、二度とこれを使うことはない。泰衡との約束なのだ。
それから、やはり懐に一緒にしまっているものを、こちらはそっと取り出した。泰衡が贈ってきた羽根の一枚。
――約束だ。
泰衡は望美の元へ帰ると、無事に戻ると言ってくれた。小指と小指を結んで、約束をした。だから、信じればいい、それだけでいい。
作品名:さようならと告げる鳥の聲が聴こえる 作家名:川村菜桜