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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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間 章



 いくつもの戦を経験してきた鎌倉武士たちの強さは、やはり一度戦に勝利しただけの奥州武士よりも上回るものなのか。経験が違う、そこから得る知識も違う。百年近くは戦もなく安穏と暮らし、四年前に一度だけ鎌倉と戦ったきりの奥州の軍では、足りぬ部分が多いのか。
 しかし、負けるわけには行かぬ。
 阿津賀志山以南での戦で、大将だった国衡が首を取られ、奥州軍は敗退せざるを得なかった。多賀城に留まるは危険と促され、兵を指揮する間もないまま、玉造郡に立ち寄りながら、ようよう平泉まで退いた。
 どうやら鎌倉の軍勢も、体勢を整えることになったようで――捕らえた奥州の兵を処断するためか――、すぐにこちらへ攻め入るようではない。だが、油断しているわけにも行かない。また、下手に動くわけにも行かぬ。
 今度こそ、どうしても負けてはならない。ここは平泉、この地を奪われるなど許されない。
 戻った兵には十分な休息と、そして気を抜かず、覚悟を決めさせなければならないところだった。
 泰衡もまた、伽羅御所の居室に在った。先程まで、今後どう戦い抜くかを、郎党や残された武将たちとともに軍議を行い、終わったところだ。
 兵の士気が下がってきているのは当然のことと言えた。だが、それでも誰も、負けたいと思っているわけではない。溜息でも盛大についてしまいたいところだった。だが、ふいに脳裡に思い出され響いた声に、それもできなかった。
「溜息をついた分だけ、幸せが逃げていくんですって」
 そんな根拠すらない愚かなことを言っていたのは、彼の妻たる人だ。迷信ですけどね、と笑っていたものだ。
 泰衡の幸福はどこにあるかと言えば、奥州平泉に生きることだ。守るべき故郷、治めるべき地、育てるべき場所、ここに生き、ここで死ぬことだ。己のすべきことを全うし、いずれ土に還る。その幸福を逃すわけに行かず、溜息をつくことはできない気がした。
 ――帰ってきたら、私を強く抱きしめてくださいね。
 そう乞われて、大いに困惑したあのときから、どれほどの日が過ぎたか。平泉に戻ったものの、無事な姿でいるものの、喜ばしい帰還ではない。そして、ここには妻の姿はない。外ヶ浜へ逃れさせたのは、泰衡の命令だ。
 三年間、泰衡が帰れば、ここには望美の姿が在った。それが当たり前だと思うようになっていたことに、それがないことに違和感すら抱くようになったことに、気がつかされたのは、彼女が京へ上っていたときのことだ。あるべきものがない、そのような感覚。それほどに、彼女がともに在ることが、当然となっていたのかと思うと、不思議な感覚を味わった。
 孤独に生きると思っていた。妻を迎えても、一人でいることと変わらぬ人生を歩むものと思っていた。しかし、春日望美と言う人が現れて、泰衡を好きだと言い始め、やがて妻となった。理解し難い人だと幾度も思ってきたが、その最たることと言えば、婚儀の前日に彼女が語ったことだ。
 泰衡は一人で生きられる人間だが、だからこそ誰かと一緒にいることを知って欲しい、だから一緒に生きたいのだと、そう話していた。本当に酔狂な女だと思った。好悪の情よりも、泰衡に同情しているのかと思わされる発言だったが、彼女はその後すぐに、あなたを好きだとも、口の端に上らせる。己のような、女のことよりも役目の方が大事だと公言できる人間を好いて、時に不満を抱き、怒り心頭する割りには、泰衡を想い、傍に在ろうとする。矛盾していておかしなことだ。
 けれど、最も奇妙なのは自分自身だろうか。何故彼女を受け入れたのだろうか。時折鬱陶しくて、何故こんな娘を娶ったのかと考え込むこともある。だが、いないとなると、空洞を感じる。己の中から彼女が抜け落ちて、空いてしまう穴だ。帰館すればそこに彼女がいることが、彼女と触れ合い眠る夜が、彼女の傍にいることが、当たり前になっている。己の半身であるかのように。
 ――傍にいたいの。離れるのは嫌なの。……怖い。
 戦に連れて行かないと話したとき、彼女は泣き出しそうな顔でこう言っていた。大事な者を失い、それを取り戻すために時空を駆け巡り、運命と神の力に翻弄されてきた妻が、何を最も恐れるか、彼は知っていた。しかし、泰衡にも望みはある。
 己の守るべきものを、最後まで傷一つつけずに守ること。故郷の歴史や景色、そこに住まう人まで、そうして守りたい。だが、戦となれば民を失うこともある。一人二人ではない規模で失う。それを最低限に抑えたい。取り分け、己の家族は――せめて、妻の一人くらいは。
 泣いた妻の頬に口づけたとき、その涙の跡は僅かに塩辛く、それを思い出すと、傍に置けば良かったと思うことも、戦となってからの僅か数日のうちに思うこともあった。傍にいないということは、寂寥を呼ぶのだと、彼女が彼に教えている。
 人を愛するとはこういうことなのだと、彼女だけが泰衡に教えた。彼女と出会ってからの数年間、泰衡は、人の生の意味を知った。そういうことなのだ。
 外を見やれば、空は秋の色に染まっていた。そして、秋は深まろうとしている。
(勝つだけだ……)
 弱気になってはいられない。ただ勝つだけだ、それだけで、全て終わる。そうしたら、また彼は奥州のため、平泉の発展のために力を尽くす日々を送れる。
「泰衡様」
 銀に呼びかけられ、なんだ、と問う。
「由利殿がお戻りになられました」
「通せ」
 戦況を伝えるために外ヶ浜へ遣わしていた郎党が戻った。武者姿の男が一人、頭を下げながら入ってきた。
「奥方様およびアトイ殿には、全てお伝えしております」
「そうか、ご苦労だった」
「それから、奥方様よりご伝言を預かってございます。九郎義経様と弁軽殿が、こちらに向かっているとのこと」
「九郎と弁慶?」
「はい」
 思わず眉を寄せた。大陸に渡ったものと思っていたが、どうやら戻ってきたのかも知れない。既に外ヶ浜にて、望美との再会は済ませたのか。
「戦に加わって頂けるなど、心強いことです」
 由利は、満悦の様子だ。しかし、泰衡はそうは行かない。それに気づいたのか、郎党たる男はふいに表情を引き締めた。
「如何なさいました?」
「――由利、悪いがもう一度、使者として立ってはくれないか?」
「は、今からでございましょうか?」
「ああ」
「それは構いませぬが、次はどちらへ?」
「今、文をしたためる。それを持って、平泉に入る前の九郎たちに手渡せ」
「入る前でございますか?」
 面食らった様子の郎党に、もう一度深く頷いた。
「九郎たちがどの道筋を辿っているか、予想はついているのだろう?」
「は。私は獣道を参りましたゆえ、おそらく御曹司は奥大道を通っているものかと」
「ならば、頼む」
 こう言うなり、泰衡はさっそく文机に向かい、紙と筆を準備した。墨を磨り、すぐさま短い時間のうちに、九郎らへ伝えるべきことを書いた。
 素直にそれを受け取った由利は、戦から使者の役目へ変わって後の疲れも癒せぬまま、馬を駆り、御所を出た。
 文を読んだ九郎が、怒りに燃える姿が目に浮かんだ。



     ***



 妻からの文が届いたのは、泰衡が郎党に対して、九郎への文を渡せと伝えてから五日後のことだった。九郎は、無事に外ヶ浜へ戻ったようだ。