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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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第五章



 まだ夜明けまでは時間があった。夜更けと言って差し支えのない時刻だ。外は雨が降っているようだ。風と雨が、強く屋敷を叩いている。
 しかし目覚めたのは、その音が要因ではなかった。奥方様、と何度も呼ぶ甲高い声と、肩を激しく揺さぶられることによって、望美は無理矢理覚醒させられた。瞼を開けると、辺りはまだ暗く、彼女を起こした女房の藍野が近づけた灯明だけが頼りだ。
「どうしたの?」
「平泉より火急の使者にございます」
 寝惚けていた頭が一気に目覚める。隣に眠っていた朔も、起き出した。
「銀殿が、隣室にてお待ちになっています」
「銀が?」
 不審に思い問い返すのも無理からぬ話だろう。昨日の昼間、鎌倉の軍勢が平泉に向かったという話を聞いたばかりだ。おそらく、その報せを望美たちが受けた時点では、既に鎌倉軍は平泉に到達し、ともすれば再度戦いが始まっているだろうと思っていた。そうなれば、銀も将の一人として戦うはずだろう。遣いとして立つなどおかしなことだ。
 だが、藍野はお急ぎください、と単衣姿の望美を急かす。本来ならば、このような寝間着姿で従者の前に出るなどはしたないと叱られるところだが、火急とあれば藍野も、望美が一枚上に羽織って部屋を出ようとするのを黙認する。私も行くわ、と朔も同じような寝間の姿でついて来る。
 隣の部屋に踏み込むと、銀は鎧を着けた武者姿でそこに在った。よほど急いできた様子だと思うのは、いつも涼しそうな姿の彼にしては、外に降る雨と汗と土に汚れているからだ。普段は望美が気にしないと言っても、御所に上がる際、彼は身支度をある程度整えてから上がってきたのだが、今はそのような僅かの時間もないらしいことが窺える。
 銀は望美の姿を認めると、深く頭を垂れた。その様子も、あまりにも深すぎる頭の下げ方で、寧ろ奇妙だ。ともすれば、慇懃に見える。だが、銀はそのような態度を望美たちに取るような無礼な男ではない。
「どうしたの、銀?」
 さらに、声をかけても、彼はそうして頭を下げたままの姿勢だ。いよいよおかしい。
「ねえ、銀」
 彼の目の前で膝をつき座り、銀の肩に指先で触れる。顔を上げて、と言おうとしたとき、銀が顔を下向けたその床に、水滴を見つけた。雨粒か汗が滴っているのかと思ったのも束の間、すぐに彼の肩が震えていることに気づく。まるで、嗚咽するような震え方だ。
 ぞくりと、何故か肌が粟立つ。
 銀は、ようやく顔を上げたが、その顔はやはり、涙に濡れていた。望美の隣に朔がやって来て、銀殿、と心配そうに呼びかけると、銀はようやく己の顔を袖で拭い、申し訳ありません、と謝罪した。
「奥州は、鎌倉に、平泉を明け渡す次第となりました」
「……え?」
 思ってもみなかった言葉に、茫然とする。
「つまり、戦に負けたということなの?」
 朔が問うた。望美も、そのようにはっきりとした分かりやすい事実を知りたかった。
 たった一日で、この戦に負けてしまったのだろうか。どちらにしても、銀は信じられない速さで、平泉から外ヶ浜までやって来たことになる。通常なら三日かかるところを、たった一日か二日程度でやってきたようにしか見えない。休む間もなく、馬を駆ってきたのだろう。それも、この雨の中もただ突き進んできたのか。
 銀は、言葉に迷ったようだが、しかし、それでも応えぬわけに行かぬと心に決めた様子で、口を開く。
「戦わずして決した、それが真実にございましょう」
「どういうこと?」
 戦わなかったとは何か。戦うことすらできぬほど、平泉の軍が疲弊していたのか、それとも鎌倉の軍が圧倒するほどの規模だったのか。
 望美が思わず言葉にした問いを聞いた途端に、銀はそれまで以上に、表情を歪めた。それは、とても悲痛なものだ。歯を食い縛り、悔しげに、そして悲しげに、望美のことをまっすぐに見つめた。
「総大将を失ったためでした」
 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。総大将とは誰のことだったか。阿津賀志山の大将は国衡だった、あのときの泰衡は、多賀城において総覧していたのだ。だが、国衡はあの戦で死んでしまった人だ。平泉における総大将とは、誰だっただろうか。昨日の報告を受けた際は、そこまで聞かなかった。
 だが朔はすぐに理解したようで、隣で息を飲んだ。
「まさか――」
「真にございます」
 朔が思わず漏らした声に、銀が掠れる声で応えた。
 しかし、望美は眉を顰めるばかりだ。
 戦に総大将を失うことで勝てなかったなら、今、泰衡はどうなっているのか気になってきた。泰衡は奥州藤原氏の当主だ。厳しく処罰される、命すら取られ兼ねない。源頼朝が、よもや彼を許すわけもない。どうすればいいのだろうか。望美は妻として、後白河法皇にせめて夫の命を救ってくれと嘆願をするべきだろう。どうその嘆願書を出せばいいのだろうか。必死に考える。
 だが、考えるばかりで、何も言葉にならない。何も言わぬ望美を案じてか、銀が、奥方様、と呼ぶ。朔も、望美に呼びかけながら、その肩を撫ぜた。
「奥方様」
「あ、うん、ごめんね。ああ、でもそれなら、私、急いで京へ行った方がいいのかな」
「望美、何を言っているの? 何故、京だなんて――?」
「負けてしまったのなら、泰衡さんは、頼朝さんたちに捕まってしまったんでしょう? だから、許してもらえるよう、私がどうにか法皇様にお願いしておかなきゃ」
 朔は望美の言葉を聞きながら、絶句してしまった。何が彼女をそれほど驚かせたのか理解できない。救いを求めるように、望美は銀を見たが、彼は苦しげな表情のままで、望美を見つめているばかりだ。だが、己を取り戻したように、すぐに頬を引き締めた彼に、奥方様、とやや低めの声で呼ばれた。
「我らは総大将を失いました」
「だから……」
「平泉における戦の総大将は、泰衡様にございました」
 総大将を失った。それは泰衡だと言う。
「……失ったって」
 今度は、失う、とはどういう意味なのか、分からなくなった。喪失、失くす、ということ。なくすとは、亡くすに繋がる。
 それでも思考は理解へと導かれていく。だが、そこに到達したくないという思いが芽生えてきた。何故理解したくないのかすら、もう分からなくなる。ただ、知りたくない。
 銀が、もう一度、望美を呼んだ。
「泰衡様は、お亡くなりになりました」
 それまで床についていた膝から、力が失われた。その場に倒れそうになり、咄嗟に支えたのは朔だった。望美の両肩を背中から支え、望美、とこちらもまた悲痛の声で呼ぶ。
 頭の中が、真っ白だ。まだ、理解できない。いや、理解できている、けれど、受け入れたくない。
「そんなの、嘘」
「真のことにございます」
「嘘よ、だって、そんなの、あり得ない! そんなのおかしいよ!」
 頭を振った。必死に否定する。
「奥方様、真実です。泰衡様は、一昨日の朝、河田殿に斬られ、倒れられ」
「やめて!」
 聞きたくもない。だが、銀はその声を聞かなかったように続ける。
「一日はお命を留められましたが、昨日の朝、とうとうお亡くなりになったのでございます」
 高く歌うような声で、けれどもその頬に涙を滑らせ、銀は望美に向かい、真実の全てを話して聞かせた。