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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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 ついに望美は、声を上げることもなく、頭を振ることもなく、ただそこで銀の顔を見つめながら、座り込んでいることしかできない。背中を支える朔の腕が消えれば、このまま倒れてしまってもおかしくないほど、全身の力を失った。
 朔が、望美の頭を引き寄せ、緩く抱きしめた。だが、それに応じることもできない。泣き喚く気力さえ、今は出てこない。
 ――死んだ?
 その事実の意味すら、理解したくない。
「銀殿、その泰衡殿を斬ったと言う河田殿は」
「泰衡様の郎党の一人でした。ですが、突然泰衡様に刃を向けられて……。ちょうど、おかしな怒声が聞こえたため、私が急ぎ泰衡様の元へ向かいますと、既に泰衡様は腹部を刺されており、さらに河田殿が振り上げた刀に斬られかけたところでしたので、それを止めました。しばし私と争った後、河田殿は御所を飛び出して行かれました」
「捕らえられなかったのね?」
「泰衡様をどうにかせねばと思い、周りには舎人も、誰一人おらず、追うことも適いませんでした。その後は平泉のどこにも姿がなく、おそらくは、泰衡様が傷を負ったことを、鎌倉に報せに走ったのではないかと思われます」
 そう、と朔は重く息をついている。
「その後、泰衡様は一度、薬師の尽力により、目を覚まされましたが……」
 これまでは努めて淡々と語っていた銀も、それ以上は言葉を詰まらせた。
 しかし、と銀は続ける。
「泰衡様の最後の命を受け、私は昨日、鎌倉が平泉に入る前に、柳ノ御所に火を放ち、また、奥方様に全てをお聞かせするため、参ったのです」
「柳ノ御所に火を?」
 朔は目を丸くして問う。銀は、深く頷く。
「奥州藤原氏の祖となった清衡様以降、築き上げてきたものを、源氏の手に触れさせたくないという、泰衡様のお心がゆえに」
 そう、と応じる朔の声は、徐々に小さくなっていく。その腕にそっと抱き寄せられたまま、望美は動かなかった。どうすればいいのか、分からない。
 信じられない、ただその言葉ばかり、その感情ばかりが、脳裡を廻っている。
 望美は俯いたまま、自分の右手の小指を見下ろした。この指が、知っているはずだ。あのときの約束を、二人の間に繋げた指だ。
「奥方様、私が泰衡様に命じられたのは、もう一つ。泰衡様の最後のお言葉を、奥方様にお伝えするため急ぎ参ったのです。これが、泰衡様が私に託した最後の願いでした」
 はっと、望美は朔の腕を跳ね除けて、銀を振り返る。
「泰衡様は奥方様に――」
「やめて!」
 もう一度、叫んだ。銀は驚いたように目を見開く。跳ね除けられた朔も、望美、と上擦る声で彼女を呼んだ。
 望美は自分の両耳を、両手で塞ぐ。
「そんなの聞きたくない! だって、最後なんかじゃないのよ! 約束したもの、まだ泰衡さんは死んでない、死んだりしてない! 私と約束したのよ、帰ってくるって、絶対に無事に戻るって!」
 だから、最後の言葉など、遺言など、あってはならない。あるはずがないのだ。
 望美は立ち上がり、部屋を飛び出した。部屋の隅にいた女房をすり抜けて、追いかけてくる銀と朔の声を聞きながら、自室に向かい、その奥にある塗籠に入り込む。きつく戸を閉める。
「望美!」
「開けないで!」
「奥方様……」
「一人にして、放っておいて! 私だけは、私は信じてる、泰衡さんを信じてる、約束を破るはずないって!」
 小指が結んだ、決して違えぬと、誓い合った。
「奥方様」
「どこかへ行って!」
 誰にも見られていないからか、叫んでいると、涙が溢れてきた。それは止まりそうもない。声まで涙に濡れる。
 胸が苦しい、息ができないような感覚に陥る。思わず胸元に手を当てて、ふいにその下にある感触に気がついた。硬い、硬いものの感触だ。
 涙は溢れたままだが、望美は顔を上げた。
(ここに、ある……)
 運命を変えてきたもの、白龍の逆鱗、時空を越える力が。
「奥方様」
 銀が呼ぶ。しかし、応えない。ただ、意識はこの懐にしまったままの、強大な力に向かうばかりだ。
「これだけは、どうしても聞かせなければならぬと、泰衡様からお言葉を賜っております」
 やはり言葉ひとつすら返さない。
 すると、銀はそのまま、先を続けた。
「あなたは交わした約束を決して違えるな、そう仰せでした」
 息を飲み込む。
 全てを、泰衡に見透かされている。彼は望美のことをよく理解している。誤魔化すこともできない、泰衡には何一つ隠せない。そういうことなのだ。
 戸の向こうで、人が遠ざかるような足音が聴こえてきた。望美が命じたとおり、彼らは望美を一人にしてくれるようだ。
 戸に背を預けたまま、ずるりと滑るように座り込んだ。
 涙が止まらない、息が詰まりそうな感覚は続いている。懐の下には、運命を変えるための力が、密やかに眠っている。
(時空を渡っても分かるはずはない)
 誰にも、知られるわけがない。泰衡ですら、……彼ですら、上手く時空を渡れば、気づかないだろう。
 ――約束だ。
 初めて二人きりで過ごした婚儀の夜、彼と小指を結んで交わした約束は、いつまでも続いている。戦が始まる前、旅立つ前から、約束を破らぬよう釘を刺され、死ぬときまで注意を促された。
「だっ、って、だって、そんなの、ずるいよぉ……」
 生きて戻ると言ったのは誰だったのか。必ず帰ると、そう約束したのは誰だったか。戦でも傍に在り、あなたを守りたいと願った望美が、死ぬこと、傷つくことは我慢ならぬと言ってくれた、その人が、約束を違えたのではないか。
「人のこと、言えないじゃない……!」
 責め立てたかった。ここにはいないのに、どこにもいないのに、罵りたかった。
 最期の言葉など、聞きたくもない。泰衡本人以外の誰かから伝えられたくなどはない。
「ほ、ん、とに――本当に、何かあるなら、謝罪と一緒に、あなたが直に言えばいいじゃないの!」
 たった一人で、望美の許しもないまま、逝ってしまうなど、卑怯だ。
 止め処なく溢れる涙に頬を濡らしながら、ここに一人残された妻は、夫への恨み言を唱え続けるばかりだ。愛しているという感情よりも先に、憎いという思いの方が強く込み上げてくる。
「泰衡さん――!」
 声を上げて、床に伏して、ただ泣くしかない。それ以外に何もできないなど、守ることすらできず、傍にいることもできず、その最期を看取ることもできず、ここでただ待つばかりだった。ただ、泣くことしかできない。
 白龍の逆鱗の冷たい感触を、握り締めて、泣いた。



     ***



 腹部に感じる熱さは、痛みだ。
 泰衡は、意識が覚醒に導かれるまま、目を開けた。
「――泰衡様」
 呼ぶ声は、意識を失う前と同様、銀のものだ。この従者は、横たわる泰衡の左にいた。右には、見知った顔の薬師が泰衡を覗き込み、それから静かに頭を垂れてから、退室して行った。
「今朝の出来事、覚えてございますか?」
 河田次郎は泰衡を責め立て、刃を向けてきた。刺し貫かれた。ようようそれが思い出されてきた。声を発そうとすると、腹部の熱が増したようで苦しい。口を開いた途端に顔を顰めると、銀は何も言わぬまま、首を横に振る。泰衡は、首を縦に振る。
「申し訳ありません、泰衡様。河田を捕らえることは、できませんでした」