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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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 いつでも隣にいた人は、ようやく微笑んだ。良かったと、掠れる声で口にし、また涙を流している。彼女は感情的で、そして涙脆い。
 彼女の背に右手を回し、そのまま引き寄せた。抱きしめてやれるほどの力は、もう残っていない。傷は塞がっていないのだろう、痛みはいや増していく。だが、そうせずにはおれなかった。
 半ばに倒れてきて、泰衡の肩に額を寄せる望美も、静かに泰衡の体を包むよう触れる。
「もしも、俺とあなたに子があれば、その子をあなたが連れていれば、鎌倉殿も放っておきはしないだろうが、ないからこそ、あなたは遠く逃れられる」
「……うん」
 父にも民にも望まれてきた子、次の総領となる存在は、結局できないままだった。けれど、いないからこそ源氏に命狙われる心配もない。
 応じた声は少し寂しげに響いた。
「だが、もしもいたのなら、今後の、あなたの慰めになっただろうな」
 後悔の念が深まる言葉を己で紡ぐなど、愚かなことだ。
 僅かに顔を上げ、望美は泰衡の顔を見下ろす。戯言だと、苦笑を交えたものの、彼女は驚いたような顔をして、彼の顔を見つめる。泰衡もまた、歪んだ笑みなど消し去って、彼女を見つめ返した。
「生きろ。あなたは、生きることを諦めるな」
 それが、今、泰衡が唯一彼女に願うことだった。
 夫の後を追い、死ぬことのないように、それだけを希う。
 望美はその顔を彼の肩に押し当てた。衣が濡れる感触がある。涙を止め処なく流しているらしい。
 一人生きていけと言うのは、酷なことだと分かっている。だが、泰衡には、ともに死んで欲しいとは言えない。言いたくない。自由で闊達な彼女は、まだ年若く、まだ生命力に溢れている。まだ、生きて行って欲しい。これまでも自由であったように、これからもそう在って欲しい。
「ちゃんと、生きてく」
 やがて、震える声が、腕の中から響いて、安堵する。
 それからしばしは、ただこうして、互いを抱き寄せていた。しかし、いつまでもそうしているわけには行かない。そろそろ、銀も案じて戻ってくるだろう。
 腕を緩め、彼女に顔を上げさせた。
「元の時空へ戻れ」
「……うん」
 名残惜しげに頷き、立ち上がり、彼女は己の胸元の逆鱗に触れる。そこから、光が生まれた。彼女は消える。
 けれど、消える前に、彼女は笑った。涙に濡れた瞳のまま、微笑んだ。
「泰衡さん、ずっと、ずっと、愛してます――」
 知っていた。言葉にされなくても、ずっと、知っていた。この先の未来のことも、もしかしたら、知っているのかも知れない。
 ああ、と応じた泰衡の声が聴こえただろうか。彼女は、光とともに消えた。
 ちょうどそのとき、足音が響いてきた。銀が戻ってきたようだ。
「泰衡様」
 呼びかけられ、入れ、と命じる。
 最期の仕事を済ませておかねばならない。



     ***



 夜明け前、暗い部屋、雨と風の荒ぶ音、隣に眠る朔の気配。
 望美はゆっくりと、起き上がる。目が痛い、きっと赤く腫れてしまっているだろう。泣き過ぎてしまった。
 両手で顔を覆い、息を長く吐き出す。
 駆けるような足音が聴こえ、近づいてくる。奥方様、と焦るような声が甲高く響いた。飛び込んできたのは、女房の藍野だ。望美が眠っているうちに、彼女にしてはあり得ぬほどに取り乱していたのか。
「奥方様!」
「起きてるよ」
「あ、ああ、そうでしたか。今、銀殿が」
「すぐに行く」
 望美は上に一枚羽織ると、すぐに立ち上がる。その落ち着いた素振りに、藍野は面食らったようだ。言葉もなく、望美を見送る。
「朔も、起こしてあげてくれる?」
 ふと振り返り、それだけ願うと、望美は隣室へ向かう。
 彼女の訪れを待っていた銀が、その姿を見るなり、頭を深く垂れた。あのときと同様に、彼はそこから顔を上げようともしない。肩を震わせ、泣いているのだ。彼の目の前に行き、そこに膝をつく。その肩に触れる。
 ちょうど、朔もやって来た。
「銀殿、どうなさったの?」
 朔も驚いたように、望美の隣に寄り添った。
「……銀、話して」
 はい、と静かに頷いた銀は顔を上げ、何か語ろうと口を開いたが、閉じる。目を僅かに瞠り、望美の顔を凝視する。夜明け前で雨雲に空が覆われているとは言え、部屋には明るく灯明が差されていた。望美の表情をつぶさに見ることができたのだろう。
「奥方様、目が……」
 やはり泣き腫らしていることが、知れてしまったらしい。朔も気づき、望美の横顔を見つめる。しかし望美は、首を横に振った。
「私のことはいいから、話して、銀」
 既に知っている事実でも、聞かねばならない。望美はまだ、泰衡の最期の言葉を聞いていない。聞きたくないと拒んでしまったからだ。
 銀は静かに語り出す。
「奥州は鎌倉軍に、戦うことなく負けることとなりました。私が平泉を出た折にはまだ、鎌倉軍は到着しておらず、どうなったかはまだ分かりませんが、泰衡様のお言葉により、武士などは逃げるか、あるいは源氏に身を預けるか、それぞれが生きるべき道を選ぶこととなっております」
 朔が驚愕し、言葉を失っているその隣で、望美はそう、と静かに首肯する。
「それは、泰衡さんのみんなへの遺言なのね」
「――望美」
 息を飲み、朔は望美に視線を転じる。望美も朔を見て、口元に僅かな笑みを見せた。そうして、銀にも同じ顔を向ける。銀も、目を瞠っている。
「そのとおりにございます」
 そして、息苦しそうな声で答えた。
「泰衡様は、一昨日の朝、河田殿に斬られ、倒れられました。一日はお命を留められましたが、昨日の朝、とうとうお亡くなりになったのです」
 元より知っていたことだというのに、覚悟を決めてここにいるはずだと言うのに、何故か今も、ひどく辛い。銀の言葉の全てを聞きたくないとすら思ってしまう。
 だが、泣くまいと堪える。泰衡にとって辛いことは、妻たる己が戦いに赴き、傷つき、死ぬこと。それに、夫の死に際して、泣くこと。ここ数ヶ月、望美が泣く度に、泣くなと言ってきた人なのだから。
(私は、泣かない。もう、泣かないよ。だって、一晩、泣き続けたもの)
 涙はそれでも涸れていない。だからこれ以上零れてしまわないように、必死に堪える。心を抑えて、銀の言葉に耳を傾ける。
「泰衡様は一度、薬師の尽力により、目を覚まされ、最後のお言葉を下されました。しかし傷は深く、お命を救うに至らず……」
 銀は言葉を詰まらせ、朔も痛みを堪えるような表情だ。けれど、望美は無表情で、能面のような顔のままで、語られる事柄を受け止める。
「それから、泰衡様の最後の命を受け、昨日、鎌倉が平泉に入る前に、柳ノ御所に火を放ち、こちらに参ったのです」
 語り終えたか、銀はまた、深く頭を下げている。
 隣で、朔が嗚咽を堪えている。
 望美は、炎上する御所を思った。泰衡自身が、全てを終わらせようとしたのだ。奥州の武士や民に、そして望美に、生きろと言葉を遺し、自らは死出の旅路に出た。百年という彼の一族の歴史を、炎で焼き払い、幕を引いた。
 ただ沈黙の中に、雨風が屋敷を叩く音だけが響く、それだけの時間がしばし過ぎた。
 やがて、銀がもう一度顔を上げ、奥方様、と呼びかける。なに、と望美が返すと、彼の視線は朔に向けられた。